マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

伊藤整の仕事

 伊藤整の「小説の方法」をやっとまともに読んでいる。まだ3章までしか読んではないが、今度は読み通せそうだ。古い文庫本で、昭和55年ぐらいに買っているようだ。38年ぐらい前の話である。私は読者として関心を持つと同時に、微かに、自分にも小説まがいが書けないものかという意識を持っていた。文章読本なる体裁の本なら、いくつか持っていた。福田恆存谷崎潤一郎中村真一郎、などである。しかし伊藤整のはただの文章読本ではない。もちろん日本文学科の学生として、持っていた感は否めないが、当時から理解不能だったにもかかわらず、野望を抱いていたことは認めねばなるまい。彼が問題にしている作品を、読んですらいなかったことも、理解できなかったことの理由として大きい。世界の名だたる本だが、まだその頃読んではいなかったものが多かった。名作とういうものは、人を広い意味で幸せにしてくれる。何事か起こるわけではないが、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んだときには、特にそう感じた。ゲーテの「ファウスト」もそうだ。心の中では何事か起こったのかもしれない。広い世間を見せてもらったという気もする。広い世間というより、深い世間というべきだろうか、世間という言葉はふさわしいだろうか。ドン・キホーテ郷士だから限りなく庶民に近い。ファウストは老学者だったが、若返って若い娘と恋をする。また、ヘレナやイゾルテのような女性とも恋をする。ヘレニズム系やゲルマン系を意識しながらヘブライに囚われ、大きくはヘブライに準じている。若い娘グレートヒェンの救いを、ファウストの罪を贖わねばならなかった。伊藤整は日本人としてキリスト教に囚われない幸福と、残気を持っていたようだが、近代人として西欧諸国の文学作品を理解するにもちろんやぶさかではない。彼は西欧の文芸批評にも通じていたようだし、翻訳もしていることは有名だが、実作者として思うところ大だったようである。彼が単純に日本の「竹取物語」「源氏物語」や、「枕草子」「徒然草」を西欧の小説などと同列には置かないことは、そこにキリスト教の影がないからだろう。アウグスティヌスの「懺悔録」、ルソーの「懺悔録」の文学的意義は、神の前ではなく、一人で書かれ、一人で読まれることを意識して書かれたと言う。古代のあるいはサロンの文化の花開いた時期には、多くの人々の前で発表されるという、作者も視聴者も同時にそこにいて供されるというのとは自ずと違ったものになってゆくのだろう。しかし伊藤整カフカを論じない。カフカは友人間で朗読しあって作品を発表した。十分印刷技術のあった時代の人だったが、死後発表することは禁じていたにも関わらず、その遺言は破られて、今、私共はその恩恵に浴しているわけである。伊藤整が1900年代の半ばを生きた人であるからには、カフカを知っていてもおかしくないのだが、彼の関心はジョイスの「フィネガンズウェイク」などにある。多分、原典で読んだのだろうが、伊藤整の語学力には敬服するものである。私は自分の母語しかできないで、かりそめにも書いているが、それというのは書く上で大きな損失だろう。伊藤整は自分のチャタレー裁判の成り行きを小説化したりもしているが、私の家のどこかに文庫本でロレンスの「チャタレー夫人の恋人」があったのを読もうとして読めなかった。私には読もうとして読めない本がたくさんある。少しづつ切り崩していってはいるが、昔読めなかった本が読めるようになるとうのは嬉しものである。さしあたって今は「チャタレー夫人の恋人」にはあまり興味はないが、彼のこういう「小説の方法」のような批評的文章には興味がないでもない。だからこうやって読んでもいる。しかし小説も少ししか読んでいない。奇しくも伊藤整と同じ学歴の助教授の秘書的バイトをやったことがあって、その先生は多分、東大が入学試験を見送った年の受験生で、家計の都合上、小樽商大に行かれたのだろうと想像される。大学院はそれも伊藤整と同じ、一橋大学である。小樽商大には「蟹工船」の著者小林多喜二も在学している。ずいぶん毛色は違っているが。小樽商大は侮れない大学だ。まあ、学歴はともかく、東大以外の作家の学歴となると、どこだろうとなるのは自然の成り行きだろうか。それにしても、作家業はあまり儲からないのだろうか、最近東大出の作家をほとんど知らない。私はお二人ばかりお名前を知っているが、東大出だから読もうとは思わないのは当然だ。かくいう私は人を知らないし、ものを知らない。私の知らない人で優れた人は多いのだろう。「フィネガンズウェイク」の翻訳まである日本だが、実はこれもまだ読めていない。私が読めないのは当然だろうが、島崎藤村の「夜明け前」は読んでいるので、書き始めてからはまだ手に取っていないので、「フィネガンズウェイク」もそのうち読めるかもしれない。私は知らないことには全く手が出ない方で、どこかしら自分に何かの端緒が見つかれば読める質なので、歳をとった分読める可能性は出てくる。でももしかしたら失ったものもあるかもしれないのだが。語学力がないというのは、書く上で大きな損失である。日本の近代の作家の牽引役である、漱石と鴎外がお城に住んだり馬に乗って狩りをしたりする姿は想像できないが、と伊藤整は書いているが、漱石も鴎外も近代文学者としては立派な仕事をしていたが、貴族などではなかったので、それがまた漱石の神経衰弱の発端ともなったかもしれない。イギリスでの窮乏生活は相当こたえたようである。鴎外は軍の方なのでさほど困らなかったようだが、漱石は文部省の派遣留学生だったから貧窮にあえいだようだ。鴎外は「普請中」の日本を背負っていたのだろうか。彼の史伝は立派なものかもしれないが、いわゆる創作は「舞姫」など一連の小説は文語で書かれており、彼はわざとそうしたようだが、そうう文体で書くものの内容を次第に失っていったのではないだろうか。集英社近代文学全集は伊藤整も編集に名を連ねており、森鴎外の冊は2冊あるのだが彼らの選んだ鴎外の作はよく知られたものも多いが、書くものがないといった作品まで選んである。漱石近代文学者として一応一定の水準を保ち今に残るが、鴎外は近代文学者としてはちょっと物足りない気はするが、彼の近代日本語に対する貢献は大きかったようだ。冊子上で文芸批評をしたのも新しかった。いわゆる三人冗語である。一葉を見出したのも大きい。話は逸れたが、伊藤整も日本文学の行く末を案じただろうか。彼は日本語そのものより日本文学環境を案じたような気がする。外国語のできない私は一面的な見方しかできない。日本語で書いている私は外国の方々にまで届くだろうか。日本語でしか書けない私は、人間の普遍に迫ることができるだろうか。おしなべて文学それ自体裾野を広げてきているようだが、いろいろと書く人は多いから、多様であるのかもしれない現代であるが、私本人は日本だけを意識しているわけではない。一応外国を舞台にして書いてもいるのは、単なる趣味ではない。かく言う私は外国へ行ったことがない。だから書く資格はないだろうか。私は全くそうとは言えない気がする。インターネットでつながっている時代である。テレビで世界の風景を見ることもできる。人間の普遍と個に迫りたい。私の書いたものを好んでくださる方がいらっしゃれば、どこの国の方だって構わない。伊藤整は私のような世代の知る、最後の日本的個にこだわる多才な人だったかもしれない。日本の中での文学事情について云々した人だろうか。外国語のできない私が言うのもなんだが、今でももちろんそれは看過される問題ではないが、価値あるものは国境を超えるだろう。ここまでお付き合いくださりありがとうございます。

病、犯罪の内在

 なにかものごとがうまくゆかないとき、人はどういった思いを持つだろうか。大概は、自分になにか足りないところがあったのだろうかと、吟味する。しかし私のような誇大妄想狂のものになってくると、なにか社会悪があるのじゃなかろうかとか、誰かがなにかやらかしたのではないだろうかと、考えがちである。まがりなりにも小説など書いていると、誇大妄想狂の世界が繰り広げられることが案外あったりする。ただ平凡な日常を平明なタッチで描く作家さんも大勢いらっしゃるだろうが、創作小説などは、何かが起こるという場合が多い。その点、私の小説などはいたって平凡である。実生活では誇大妄想狂なのに、創作の場では常識を働かせる。全く世の中はおかしな構成になっている。そういうわけで世のまともな作家さんたちはおかしな人ではなかろうかと勘繰られたりする。私は先日、全く自分のことではなくて創作を書かれるのかと訊かれた。それは例えば、私の創作物「おしゃべり機械」なるものを登場させたことにも拠る。それは、自分の喋っていることや考えていることが表面的には体裁を整えていても、本当はその言葉の裏には、なにかが隠されているのではないかというので、その「おしゃべり機械」が、つらつらと表面上の考えを表出したあと、ある鳴り物がなってからあとに、本音が繰り広げられるという設定である。実は私はこのような着想は、ある時期の夢うつつの中で目覚め直前、つまり夢のような形で自分が体験したことに拠った。綺麗に整った考えの裏が発表されるのは、スリリングである。ごくたまに本音も素晴らしいときもあった。だが大概の場合、お恥ずかしいことになるのは、それは実は多くの人に共通するものではないだろうか。私の本音を聞いた聴衆はそんなもんかなといった体で、特に非難するでもなく去っていった。私はここで聖書のある箇所を思い出す。貫通の現場を捕らえられた罪の女が、人々によってイエスのもとに連れてこられて、この女を石打ちの刑にするか、赦してしまうのか問うた。イエスが律法を無視して、愛の教えを主張するのか、それとも愛の教えを引っ込めて律法主義に従うのかどうか試したのである。よく知られているように、イエスは罪のないものから石を投げなさいと言われた。すると誰も石を投げずに去っていったという記事がある。この人々と、私の本音を聞いた人々はどこか似ている。イエスの存在はないが、聴衆自ら判断して、まあ、そういうもんだよなといった具合にことは進むのだ。本音というものは恥ずかしいものである。立つ瀬もないぐらいである。どういうことが語られたか今は記憶にないが、ああ、そこは言わんどいいてくれと、何度思ったことか。だが私は晒された。しかし誰も私を非難しなかった。そういう夢うつつの頃合いの想念が、私にそのようなことを書かせた。言葉の裏に隠れた本心というものは、私たちはごく日常的に本当は意識している。お世辞、お追従、卑下、その他諸々、本音を意識しながら私たちは生きているのではないだろうか。つまり私たちは社交しているのである。場合によってはお天気の話で終わるというのはそれが最も安全だからである。政治、宗教などには普通は話を及ぼさないものである。自分と他人は違っていることが多く、諍いの原因にもなるからだ。しかし、諸々の事象は違っても、人間心理は共通するということはある。そんな風に私たちはできている。違っているように見えるものも実は同様の見解だったりする。争っているのは違うと感じている本人たちだけということは歴史上よくあることである。しかし、私たちは独自の見解というものに固執している場合もある。学問の世界、芸術の世界、スポーツだってそう言えるかもしれない。独自のものという挑戦し甲斐のあることはあるものだ。しかし何事も先行するものを踏まえているということは言えるだろう。つまり継承発展なのだ。自分の足りなさを感じるのは至って健康なことである。それでも、誇大妄想狂の世界もあったほうが面白い。実際になにかで世に出た人は、独自のなにかを持っているのだろう。私のような能力に欠けた誇大妄想狂は、実は危ないのだが、思いとどまっているのはなんとか適応しているからだろうか。ルールに反しない限りで、いろいろと試してみたりはする。んなことわかり切ったことじゃないかということを、わざわざ試してみたりする。おかしなことだがと自分にもわかっていながら、そうせざるを得ない気がするのは、弱さがあるからだ。ひょっとして皆さんそうだろうか。イヤ、うちの至って健全なる家族は、私のようなことは考えもしないようである。あっさりとできている。私は粘着質なのだろうか。そうかもしれない。うちの家族といると、私の異常性があぶり出される。やはり私は単なる誇大妄想狂なのだ。単なると言えるのは、犯罪には至らないからだが、世の中の犯罪者と自分を分ける線は何処にあるのだろうか。確かに行動には移さないという面はある。しかし、ルールに反しない限りの行動はあるのだ。とするとあまり違わない。違わないのだろう。やはり犯罪を犯してしまった人々を、糾弾できるものではない。それはよくわかっている。だから私はニュースを見ても、なんの感想も言わない。最近よく出てくる、つじつま合わせの企業犯罪には、特に忸怩たるところがある。その場にいたら私もそうしそうだといった思いがしきりにする。やはり問題として出てくる企業体質といったものは、人間の本質的なところに根ざし、個人個人の本質的な部分に関与しているのだろう。だから線引きはできない。また健常と病との差もはっきりとはしない。せいぜい病識を持つことに、救いがあるような気がする。誇大妄想狂の私が申し上げるのは、甚だ困難だが。キリがないのでここで終わるが、ここまでお付き合いくださってありがとうございます。

社会病理と個人的病理の狭間で

 世の中には奇怪なことがある。普通、精神病者は奇怪だと思われている。しかし、その周辺でもっと奇怪なことが起きる場合がある。金融機関は、契約者が精神病であることを知ったら、そしてその人に莫大なお金があったとしたら、どうするだろうか。このお金の行くへはどうなるのだろうかと、想像を巡らすかもしれない。このお金があったら、とも思いはしないだろうか。誰かにそのほんの一部を握らせて、何かあった場合の罪の擦りつけどころとして用意して、闇ではもっと大きな金が、国、地方を問わず流れているかもしれない。日本には病床がある。急性期の人には、あるいは必要かもしれないが、未だに社会的入院がまかり通っている。イタリアでは病床数ゼロである。偏見が全くないとは言えないかもしれないが、それだけ精神病者に対して誠実であろうとしているように考えられる。世の中から全く遮断されるというのは、古い治療方法上、考えられたことだった。しかし、彼らの社会復帰はそれによってむしろ難しくなる。もし情報がなかったら、病者は妄想を膨らますだろう。情報からの遮断より、正しい情報が与えられる方が、まだしもである。情報を歪んで受け取るという特徴はあるかもしれないが、もし愛があるならば、病者の不安はそれなりに拭われるだろう。日本社会では病者は、復帰しないものと考えられている。正しい知識が愛をもって伝えられるなら、飲みたくないお薬も飲むことだろう。お薬を飲むということは、病識がある程度あるということを示す。つまりお薬を飲んで生活するということは、精神病、身体の病に関わらず病識があるということである。たまに誤診ということもあるが、それは一旦、置くとして、日本ではお薬を飲むとうこと自体、よくないことをしているという思い込みがある。妙な精神論である。お薬はあまり飲まない方がいいよと、健康な人はよく言いがちである。病気とは一体なんであろうか。病気とは珍しいことではない。生きとし生けるもの全てかかるものである。植物も。健康という状態がある。その状態だから病気もある。お薬を飲みながら生きるということは身体の病気ばかりではない。当然精神病もである。お薬を飲むのはある程度病識があるのである。ということは、ちょっとおかしいかなとう気分をもっているということである。そして人間として、ちょっとおかしいかなという気分を持つことは、日常であるべきなのだ。健康な人は却って不問にする。病気だからそれができるという場合がある。キリスト教の世界では、毎週毎週「全能の神と、兄弟の皆さんに告白します。私は思い、言葉、行い、怠りによって度々罪を犯しました。聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、罪深い 私のために神に祈ってください。」と告白して祈る。つまり、自分は罪人だと言っているのである。これが言えない人は自分が罪人ではないと思っている人である。ただこの宗教じゃないので、この言葉を知らないということはありうるが、自分は無辜であると信じて疑わないという人は、少なくとも私の目から見たら異常である。職務上の罪を犯す人は案外いるものである。ちょっとした出来心というものだろうか。知らないで犯すのだろうか、知りつつ犯すのだろうか。金融関係の職場は信用が一番で、その採用はそれが重んじられていると聞く。しかし同じ人間である。集団で知りつつ犯す罪というのはありうるだろう。気付かれなくてよかった、という程度の人は案外いる。国のトップがやっていることだからということだろうか。しかし日本は独裁国家ではないはずだ。そういう人々は北朝鮮の人々とあまり変わらない心象と言えるだろうか。精神病者には、なにをしても許されるという風潮もあるかもしれない。それは職務上、やってしまうことかもしれない。人の心というものは、言われなければわからないというところがある。気づいているようで気づいいていない。そうして、ニュースなどでなにか発覚した罪の人をなじったりする。実は自分もやっているということは大いにありうる。人間とはそういうものだ。精神病者はつまはじきだから、彼らにはなにをやってもなにも言われない、彼らの言っていることは信用されないだろうという楽観があるのだろうか。日本から精神病棟が消えないのは、金融機関の存在が大きいかもしれない。通いの人よりも入院している人には経済的に豊かな家庭の人が案外いる。お金というものは魔物である。金融機関は社会的入院の推進者ででもあろうか。これは日本社会の特徴だろうか。日本だけではないだろうが、先進諸国では病床数は圧倒的に少ない。日本の現場で働いている医療者は日本という社会の中で、忙しい毎日を、その社会のあり方と向き合いつつ、医療をやって行かねばならない。日本は縦割り行政だから、金融のことなど、医師がいろいろいうことはできない。しかし誰かが突破口にならねばならない。おかしなことはいろいろあるが、金融という堅い場面でも、おかしなことはある。安倍や麻生がしていることだから、我々も許されるだろう、などと職業倫理もなにもない人々はいる。私は窓口業務の可憐な女性たちをターゲットにしているわけではない。もっと裏の輩である。男性職員なら平でも知っているかもしれない。気付かれなかったと思っているのだろうか。日本には今のところ、言論の自由はあるのだ。いびつな社会ながら、中国程度のネット環境ではない。これは放送局でもないし、一つ一つを鑑みられるようなこともないだろう。

哀悼

 津島佑子さんが、お亡くなりになったそうである。まだ60歳代のようである。早い死である。お悔やみ申し上げる。

 津島佑子さんが選考委員をなさっている文学賞に初めて応募した。彼女が読まれるような段階まで、愚策が残っているかはわからないが、なんだか肩透かしを食らったようで残念である。それにしても、彼女は読むことがおできになったのだろうか。去年の11月末日が締め切りだった。それから現在まで三か月もなかったのである。

 ご存知の通り、太宰治の娘さんである。何年か前NHKであっていた「ブックレビュー」に出演なさっていたのを拝見したのが、最後だった。誇り高そうな方だった。今思い出したが、その後何かの番組でも拝見した覚えがある。「斜陽」のお母様、ではなく、正妻のお子であられるわけだが、ご自分のお母様が太宰の最愛の人だったと、残った書簡を証拠に、そう言っておられた。「シーシュポスの神話」を書いた人は、太宰に倣って正妻をないがしろにして、愛人のかたを大事にしたが、津島家では太宰の心は正妻にあったということだったのだろう。そう言ったことにこだわり続けるのは、母親、父親、夫を愛しているからだろう。もっとも太宰が共に入水自殺を図ったのは「斜陽」のかたでもないが。

 遺体の上がらないのを目論んで、玉川上水に入水したわけだが、皮肉なことに太宰と愛人の遺体は上がった。遺体は綺麗な顔をしていたと、三羽烏の一人は書いている。

 私はどうも間が悪い。選考委員の方が亡くなってしまうとは。もっとも、津島佑子さんが目を通されたかはわからないし、そう考えるのは無理かもしれない。目を通されたにしても愚策がお目に止まるとは限らないが。私は土曜日の早朝にこれを書いているが、津島佑子さんの亡くなられたのを知ったのは19日の金曜日の夜だった。私は新聞をほとんど読まないので、家人がその記事を読んで教えてくれた。家人は私がその文学賞に応募したことは知らないと思うが。

 祖父が貴族院議員、伯父が貴族院議員、親戚が国会議員津島佑子さんは、どのように育たれたのだろうか。そんな華々しい親戚があり、一方無頼派の作家である太宰治を父とする彼女は。彼女の小さな時に逝ってしまった父親を、彼太宰治の兄である人は薬物中毒になっていた彼を迷惑な弟と、感じていただろうか。太宰の中期の安定した時期に結婚もしてうまくいっていたようだったが、彼は「桜桃記」を書く。ちなんで彼の命日は桜桃忌と呼ばれ、お墓は多くのファンで溢れるようだ。津島佑子さんにしてみれば、不本意な忌号かもしれない。

 津島佑子さんと私は出会わなかったが、彼女の「山猿〜」という作品は、どうも私のことではないかという疑念がある。読んではいないのだが、ちょうどブックレビューで取り上げられていた。その話される内容からして、そう感じたのだったが、思い過ごしかもしれないが、もしそうだったら津島佑子さんは私のことを少しはご存知だったかもしれない。

 それはともかく文学賞はどうなるのだろうか。津島佑子さんが欠けたまま選考されるのだろうか。初めて応募したのにその年にお亡くなりになるとは。太宰治のことをちらりと書いた。誇り高い津島佑子さんが、どう思われるかわからなかったが、今、思い出したが、太宰治は中期の安定した時期、甲府に住んでいたのだった。それで山梨だったのだ。今頃気がついた。というのも私には山梨といえば個人的に強烈な印象のある地であって、しかも甲府の方面ではなくて、韮崎、甲斐駒のあたりなので、甲府津島佑子さんが縁だったことを失念していた。

 甲府の郷土料理のなんとかいう、すいとんのような食べ物はいただけない。あれは不味かった。あんな不味い料理の店が出ているのは信じがたい。それはリンガーハットのちゃんぽんのキャベツが芯ばかりなのとは似ていないが、不味いという面では変わらない。私の味覚は異常なのだろうか。ここ長崎でもリンガーハットではなかったが、昔からある中華料理店のちゃんぽんがあまりに不味かったのと似ている。あんな不味いちゃんぽんを食べたのは初めてだった。

 津島佑子さんのご冥福をお祈りいたします。つまらないことを書き綴ったが、なかなか難しい立場を生きてこられた津島佑子さんは、ご自分のお仕事ではね返してこられたのだろうか。いつまでもお母様のことを思われるお姿を思い出す。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

信仰と文学と護教論

 前回の元旦に書いた状況と今の状況は何一つ変わっていない。だから今書くべきかどうか迷った。しかしここはもともと、自分自身について語るところではなかったはずだったのだ。「マリーゴールドの現実」に成ってから、自分を語ってばかりである。こんなのは自分でも嫌である。

 最近「文學界」の2月号が来た。4月の初めに来る5月号には新人賞に輝いた人の作品が載る。3月の初めに来る4月号では予選通過者の氏名、作品名などが載るらしい。だから2月にはほぼ予選通過者はわかるのではないだろうか。この1月14日現在でも、もうわかっているかもしれない。

 しょぼくれている自分が見えるようだ。だが運動はするだろうし、朝ご飯も作って食べるだろう。昼ご飯も、夕ご飯も規則的に食べるだろう。こういうとき、家族がいるというのはありがたい。すっからかんでも、物事は動く。動かしてもらう。自分だけではなく、他者の命がかかっているということは、強いことだ。ゴミ集めをしながら、ああ、もうとか思いながらもやり通すだろう。ポットにお水を注ぎながら、ああ、もうと思いながらもやり通すだろう。

 だから私には活計がない。あと一年我慢できるだろうか。もう来年度の作品は3作目を作っている段階だ。推敲作品も入れれば4作目ということになろうか。準備はいいのだが、雑である。そして、真実な部分を削除したりしている。

 「パンセ」で有名なパスカルは坊さんだが、「パンセ」も護教論だという人々もいる。彼はジャンセニストだが、厳格さで有名な派である。その彼の「パンセ」をなんの疑いもなく読んだ少女時代だった。疑うということは知らずに、ただ読めないなと思うと自分の頭が悪いのだと思った。しかし「パンセ」は読めた。今は人口に膾炙している「人間は考える葦である。しかし云々」ぐらいしか覚えていない。読み返すということは殆どやらない私である。暗記するほど読み込むという人の気が知れない。そうはいっても、読み方が遅いので、冊数も読んではいない。のちに誰かの評論で、「パンセ」が護教論だと書いているのを読んで、そんなに簡単に片付けてもいいのだろうかと、素朴に思った。読んでいたときには、宗教のことは一切考えなかったからである。私はただ人間というものを考えにおいて読んだ。それは私が当時仏教徒だったからかもしれない。神という観点がなかったのかもしれない。カトリック者となった今でも、私の語り口は神観点ではない。育ちというものは争えない。自分では神観点で書き出したはずだが、そうではなくなっていることがままあった。いつの間にか登場人物の観点になっていたりする。今では始めから神観点は捨てている。

 私は護教論だけは書きたくないという思いは持っている。それは私が真面目な信者ではないということに関係するが、信仰心があまりに単純だからでもある。「パンセ」のような奥深さは持ち合わせない私であるから、すぐに護教論であることを見破られるだろう。それなりに教えは護りたい。しかし私に残っている無頼漢じみたもの、不良の部分、そういったものが、自分の単純さをどうにもできないで、ただ自分自身で唖然としている。しかも、私は神様も護りたいが、教会というこの世の国、この世の国というのは神に反するという意味ではなくて、この世での神の姿とでも言おうか、そういった方法のようなものをも弁護したいところがある。多くのカトリック圏の作家が神は信じても、教会は敵に回したのとは違うかもしれない。坊さんたちをないがしろにするところは、まま見かけられる。私はむしろ科学者で信仰者である人々の信仰心に近いところがあるかもしれない。信仰について言は弄さないかもしれないが、単純に信じているというあり方である。言は弄さないと書いたとき、自分を恥じた。私は言葉をよく、もてあそぶからだ。そういえばパスカルも科学者でもある。気圧の単位に名前が残っているぐらいだ。子どもの頃「パンセ」を読んだときには宗教臭さを感じなかった。宗教など意識もしていなかっただけかもしれない。日本人がビートルズを受け入れるようなものかもしれない。いいものはいい、それだけだ。モーツァルトはいい、それだけだ。

 この文章は一体どこを目指しているのだろうか。闇雲に書き始めたが、護教論という言葉を自分でレッテル張りしながら、自分に嫌気がさしている。それにしても私は多重人格者であるから、多様性のある人物たちを書けるのではないだろうか。一人の中での多様性もさることながら、いろいろな人物を書き分けること、そういった試練を乗り切りたい。そしてそういったことは昔からなされてきた。教会なんて胡散臭いと言って切り捨てるのは簡単だが、ボロボロの教会に敢えて居続けることは、案外、立派なことではないだろうか。教会はボロクソな扱いのされかたである。それは文学者だけではなくて、どこにもいる信徒のだれかれにも見受けられる態度である。

 キリストの神秘体とはよく言われることだが、教会はその具現化したものである。教会にはさまざまの役目を負っている人々が集っている。身体の他の部分が尊いとか卑しいとかは言えない。プロテスタントの教会堂には祈りには行かないが、カトリックの教会堂には祈りに行くのはなぜだろうか考えた人がいた。それは、御聖体が安置されているからだろうと、その人は結論付けた。そうかもしれないが、祈りは生活に根ざしたものでありながらも、そこから遠くありもしなければならない。そこが聖なる場であるからには、生活とも切り離せないのだが、キリストが祈るときには扉を閉め、一人で祈るように言われたことと、関係がありそうだ。実際には扉が現にあるかどうかどうでも良いのだが、そういった意識を持つということは大事なことのようだ。または聖なるところなど存在しないという側面もある。それも理がある。私たちはそういったデリケートな問題を、バランス良く運んで行かねばならない。なんといっても人の救いがかかっている。それが大事なことかもしれない。きりがないのでここまでとする。お付き合いくださってありがとうございます。

元旦から揺らぐ

 元旦に計を立てたことなどない。それだけ漫然と過ごしてきたということかもしれない。この文章でもそのようなことは考えにない。元旦とは限らず、計画を立てることはよくある。しかしいつものことながら、計画倒れである。三日坊主という言葉があるが、まさにそれである。計画とはちょっと違って、定期購入というものをしている。向こうからやってきてくれるものだが、これもよく期日を伸ばす。ただ雑誌の購読などは毎月やってくる。しかしそのおかげで、少しは文字を読む。大学生だった頃とは違って、本もひと月に一冊ぐらいしか読まないので、それぐらいは縛りをかけねばならない。そういうのが二か所あるが、どちらも文芸誌である。その二冊は性格を異にしている。片方はやや商業化された文芸誌であり、もう一方はほぼ書きたい人が読む文芸誌である。前者は文藝春秋社、後者は大阪文学学校のである。後者のは季刊誌しか読まない。他の八冊はあまり読み込まない。私は読むのが遅いので、あまり大量には読めないからだ。それに集中力もなくて、いつの間にか字面だけ読んでいたり、読み始めたかと思うとすぐにパタリと本を閉じるということを繰り返す。私の人生はそのような読み方に象徴されている。本を読むという最低限のことは、連綿と続いているが、途中でパタパタ休みが入ったり、上の空だったりする。それに長い間、本を読むこと自体、殆どできない時期も長かった。それが少し回復してきたのがこの十年ほどである。子供の頃読んだ本の影響というものは読む方向性を決定づけている。なんでも読めるということは私の場合ない。おのずと読むものは幅が狭くなっている。子供の頃、川端康成の「千羽鶴」が読めなかった。「千羽鶴」はご存知の通り短い作品である。難解でもない。しかし日常的にロシア文学などを読んでいた若かった頃には、どうしても読めなかった。ロシア文学は若者の文学である。「千羽鶴」は少し頽廃の様子がある。私が受け付けなかったのはそういうところである。そういえば同じロシア文学でも、また同じ作家でも、読めなかったものがあった。「千羽鶴」も「悪霊」も近年読みおおせた。「悪霊」は途中で何度もパタパタ閉じたが、なんとか読んだ。「千羽鶴」は一気に読んだ。読めなかったものが読めたときには達成感がある。少しだけ人間の幅が広がったような気がする。キリスト教的価値観で貫かれながら、ギリシャローマ神話の素養がないとなかなか読めないゲーテに関しては、無知からくる狭量さで読めなかった。私はよく字面だけ読んでいることがありながら、内容が理解できないと殆ど読めないたちである。わからないながら読むだけは読むということができない。多少はわからなくても読むが、自分なりに許せるものでなければならなかった。一応、過去形である。最近は歳をとったせいか、読み始めたらなんとか読んでしまう。人との付き合い方もそんなものだろうか。私が選ぶというより、出会った人々に、付き合ってもらっているというというのが正しいが、読書傾向から察するに、大概の人とときどき衝突しながらでもやって行けるということなのかもしれない。無論、私の知人たちは頽廃的なわけではない。昔からの友人たちも、最近出会った人々も、読んではいなかった本のように、読んでいた本も含めて、やはり他者である。他者というものを意識すると、途端に固くなる私だから、本との出会いもままならなかった。人との出会いは察するに余りある。歳はとってもまだまだごつごつしている私は、高校生ぐらいの精神年齢かもしれないが、普通は高校生にもなると、もう大人の部分が出てくる。やっとそれに近づいたのかもしれない。そういえば、若者の若者らしい頽廃を自分自身が、なしてきていた。頽廃にもいろいろあるのだろうか。時期がちょっとずれただけで、大きく人生を左右する時期であるから、自分自身を慈しんでやらねばならない。自分の歩いて来た道を肯定してあげようか。否定してもいいのだが、同じことである。自分自身を愛するがゆえである。自分が受け入れられるようになれば、どうにかなるかという展望がある。自分がいかに無知であるか、つくづくと感じる昨今だ。若い頃はそれなりに物知りだと思っていた。しかし今は全くそう思わない。それは人様から見たら明らかではあるが、なにせ以前は人々を「幻惑」していたものである。うまく人を騙していたのかもしれない。いや人々は騙されはしない、私は孤独だったのだから。自分自身を愛することができるようになったら、ものごとの始まりのような気がする。いや、私はまだまだ自分が受け入れられない。人様の愛も受け入れることができない。大きな口を叩いた。今そのことで日々すったもんだしている。私もまだまだ成長期らしい。揺らぎそのものの中にいる自分を発見する。愛の対象の焦点は定まっているのだが。

夢想する私

 夢想するということは、悲しくも楽しいことである。夢想するのは満たされていないからで、悲願の要素がある。そして願っていることを手に入れた状態を想像して楽しむのである。寒い冬には暖かい着物や、寝具に包まれることを願う。今、持っている古びたものには飽きたりてはいない。本を読んでは知識のなさを省みて、この本を読んでいたら、と残念がる。そして本ぐらいだったら、図書館に行ったり、本屋さんに行ったりして調達して、暇があったら読むこともできようか。寝具はありあわせのもので、どうにか暖かくしているが、服となると経済力がよく現れるところではないだろうか。日本の地方のお年寄りは、皆似たり寄ったりの、地味な服装をしている。日本のお年寄りはさほど豊かではないのだろうか。それとも、戦後の貧しい時期を通過しているから、贅沢はできないのだろうか。お年寄りは身綺麗にすることを願ってはならないのだろうか。先日亡くなられた平良とみさんの生前の録画を見て思ったことは、ピンクの口紅がよくお似合いで色っぽいなという感慨である。素敵だなと思った。私のよく見かけるご老人たちには夢想するということがないのだろうか。私自身、初老の年代に入って、美しくありたいという願いは強まる一方である。若い頃はかえって構わなかった。服装には少し気を使ったが、肌の手入れなどには無頓着だった。私は学生の頃はまだお化粧はしなかったし、基礎化粧もほとんどしなかった。今とは時代が違うのかもしれない。私の若い頃には今のように何から何まで揃ってはいなかった。私はニキビ肌だったので、母が洗顔クリームのいいのを買ってくれたりもした。でも手入れはしなかった。初老のこの歳になると、かえって肌を気にしたりする。気にする暇があるだけだろうか。その割にはマメに洗顔しないし、基礎化粧もさほど行き届いてはいないのだが。お化粧は外出するときだけするし、服装も外出するときだけまともに考える。ただ私の外出先は飾り立てて行くほどもないところであるのは、普通だろうか。まあ、おかしくない程度に考えるだけである。慎ましく暮らしたいとは思うものの、このような調度品に囲まれて暮らせたらいいなと、カタログを見ては嘆息する。家よりも劣悪な住環境の方は案外いらっしゃるだろうが、築45年の家には不満も多い。3階建てのビルなので平家の広い家を夢想したりする。「本朝文粋」に家の図面を引くのが趣味の男が出てくるが、私も実際、図にしたりしていた時期があった。そういえば高校生の頃までの私は、性欲の充足に満足できない状況に明け暮れていた。性に対して知らない夢想をしていた。それが大きかったようだ。この歳になると性欲はほぼなくなるし、他の所有欲や何かが出てくる。あんな暖かそうな寝具に包まれて眠りたいとか、こんな素敵な服が着たいだとか、こんな部屋でこんな調度品に囲まれて過ごしたいだとか、そのような低級な夢想にあふれている。実際は買えないことが多いし、代替品はボロでもある。同じことなのか知らないが贅沢に暮らすというより、美的に暮らしたいと思う。いらないものは全部捨てたい気がする。少ない品数で、あっさりと過ごしたい気がする。45年も経つと余計なものがたくさんある。我が家の食器棚には使わないお皿や器がたくさんある。もっとスリムに暮らしたい。冷蔵庫の中だってもっとすっきりしないものだろうか。カタログを見てはこれが欲しい、あれが欲しいと思っていたが、それがならないとなると、余計なものは捨てて、身軽に過ごしたいという欲求が高まる。そのように夢想する。廊下に積まれている不要な品々はなくなり、収納庫にきっちりと収まり、無駄のない生活。家族の中でそれにほぼ成功しているのは私だけである。その私でもまだ捨てたいものはある。着ることのない服をまだ持っている。いつか着ることのできる体型になるかもしれないという思いでとっているものもある。この歳になってはほぼ無理であろうことはわかっている。だから次の機会には手放そうと思っている。来年の末の話である。グレードアップしたものを持ちたいという欲、叶わないならもっとすっきりと過ごしたいという真っ当な欲。夢想の種はあれこれある。そして何と言っても、この歳になってもできる仕事で稼ぎたいという不遜といってもいい欲がある。しかし現今、私のようなふらふらしたものには与えられそうもない仕事である。夢想と欲は切り離せないだろう。しかし夢想は欲とは違って、楽しいものである。夢想は夢想に過ぎず、それ自体人畜無害だが、夢想に浸って半日を潰すという時間の無駄をもたらす。夢想は日常的になると困る。夢想はお祭りのようでなければならない。普段はちまちまと暮らさねばならない。その暮らしをもうちょっと美的にしたいという欲とも夢想ともつかないものは、捨てることしかないような気がする。しかしそれがまた贅沢であるとも言える。捨てるということは贅沢なのではないか。だから、捨てるというより、お譲りしたいという気がする。私の夢想などごくつまらないものだが、理性と情緒の織りなす祈りにおいてはもっと真っ当なことを祈っている。世界の平和や人々の幸福などなどである。人間の精神生活にも様々な局面がある。この小説を読んでいないのが悔やまれる、あのエッセーを読んでいないのが悔しい、今からでも読もうかなどと思う。だがもう初老の域である。万巻の書がある中でどれから先に読むべきだろうか。残された時間はあまりない。読んだからといってどうなるか。私の望む職業には欠かせないことであるが、読む順序には序列がつけられるだろう。しかし夢想を捨てるわけにはゆかない。夢想は我慢することをもたらし、その前に豊かな気持ちに少しなりと浸ることができる。ままならない世において、人間が人間らしくある満たされなさの良き発露ではないだろうか。夢想はなんでも実現してしまっているという非人間的状態から人を救い出すものなのだと思う。人間には100%はないのだろう。してみれば、夢想だにしないことが起きる可能性はいつも残されているのだろう。冒頭お年寄りの身だしなみのようなことを書いたが、それだって夢想することさえしなくなったら、平良とみさんのようではあり得ないのだろう。噂話に明け暮れて、自分ではよくしようとはしないならば、無駄に歳を重ねることになる。夢想する暇があったら実現のための努力はするべきかもしれないが。噂話も情報交換であるが、なんでも洗練されたものとそうではないものがある。やはり上質を求めるのは人間の性だろうか。陶潜のような人間は貧しい中でもその情緒と知性を開いていたのだろうか。逆よりはいいかもしれない。おそらく私は貧乏とは切っても切れない仲なのだろう。人一倍、富への執着はありそうだが、貧乏に生きている。神様は良きにしてくださる。時期が来たらそうされるだろうか。いい人間になりたいと夢想することはあまりないような気がする。そのような殊勝なことはない。私は知られているようで知られていない、知られていないようで知られている。私自身がどうにかなるというより、人様に委ねるべき問題かもしれない。ここまでお付き合いくださってありがとうございます。