マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

やきもき

 11月は推敲せねばならない時期に当たっていたが、なかなかできなかった。12月に入ってなんとか間に合わせたが、12月10日が締め切りの大きな賞の方のは、特に問題はなかったが、もう一つの小さな賞の方は12月31日が締め切りであるが、今年、同人誌に掲載されたものなら応募可だったので、同人誌を3冊送った。そこに貼る、表紙の400字詰め換算の枚数を間違った。作品自体は30枚以上50枚以内という規定には添っているのだが、当初別の作品を投稿予定だったので、そっちの方の換算枚数を書いて出してしまった。うっかりミスである。ちょっと急ぎすぎた。同人誌の方の編集の手伝いもあったので、早めに出してしまって日程的には良かったのだが、そんな間違いをしでかした。おっちょこちょいである。まあ、入賞しないのはわかりきっているので、いいのだが。しかし12月10日が締め切りの方は、前回はメールで受け取った旨、返事が来たのに、今回は来ない。

 応募数が多かったのは前回もそうである。だから応募数が増えたにしても、規約が変わったとは思えない。私のメールアドレスが変になっているのだろうか。そういうことも過去にはあった。知り合いからのメールの返事もなかなか来ない。それは相手が忙しいことはわかっている。だからいつものことなのであまり気にしてはいない。でもメールアドレスの確認はしてみよう。やはり間違ってはいなさそうである。私は知り合いでもない応募先からでさえも、切って切って切りまくられているのだろうか。前回は2日に出して5日には返事をもらっている。今回は5日に出したが返事は来ない。前回メールで予選通過者名なども送られてきたので、親切なところだなあと感慨深かったものだったが。こういうことがあると無事に届いたものやらわからなくなる。でもまあいいや。この作は来年、本を出すときには収載するつもりである。落こっちることはわかりきっている。

 東大出、新聞記者あがりには世間は口出ししない。私は口出ししたが。だっておかしいもん。文学の世界でこんなことが罷り通っていいものだろうか。私のようななんの肩書きもないものには、ああだこうだ言ってくるのにである。確かに私のはおかしいところもあったかもしれないが、草創期の人々だったらもっと違った対応があったのではないかと思われてならない。そんなことが上から下まで罷り通っている。もうみんな天国に逝っちゃった、草創期の人々。これから先いいこともなさそうである。早く死にたい。早く死ねるかもしれない。癌かなにかで死にたい。家の家系は癌だから、案外、癌で死ねるかもしれない。でも私は母方似、母方は癌の家系ではない。そういえば母方の叔母が癌だったが、私は延命治療はしない。抗癌剤も使わないつもりだ。私はあっさりと死んでゆきたい。でも母が生きているうちには死なれない。母を看取ってから死にたい。でも姉も心配だ。

 こんなことが文学と何の関係があるのかと思われるだろう。そう思われても仕方ない。文学の中には生きている全てが含まれる。文学賞がもらえないからといって、死にたいと思うのは短絡的に過ぎやしないか。確かに短絡的ではあろうが、私には趣味というものがない。楽しみがないのである。若かった頃は履歴書の趣味の欄にはいろいろ書いたものである。絵画鑑賞、音楽鑑賞、読書、日本舞踊等々。芸術はなんでも嫌いではない。でも私はあまり詳しくはない。日本舞踊は習っていた。能楽もちょっと習った。フルートもちょっとやった。中学の頃は深夜放送も聞いた。クラシック音楽も好きだ。一番好きなのはクラシック音楽だ。次が長唄、とくる。しかし詳しくはない。今ではどれもほとんど聴かない。それで小説の細部として取り入れることもない。なんか邪道な気がする。私は小説書きの代わりに絵描きを持ってくることがよくある。それは擬態だからしょうがない。細部ではない。

 12月10日に投稿した作は、去年書いたものだった。手を入れて再度出した。同じところではない。しかし題名は変えなかった。それ以外に考えられなかったからである。私は題名のセンスがないにもかかわらず、その題名には拘った。私は今、尿意を催している。早く書き上げねばならない。最近、東大出の作家が少ないのは、作家業が儲からないからだろうか。松浦寿輝氏はいる。もしプロになれたにしても食べては行けないかもしれない。それほど文筆業の価値は低くなっているのだろうか。しかし私はそんなことは問題にしてはいない。私は書くことが好きなのだ。邪道は許さん、自分には。だから基本的に「ノルウェイの森」も本当は認めたくない。あまり認めてはいないが。笑止である。私ごときが賞を取った作家について書くとは。賞品の万年筆の部分は削ったが、その後で大きな新人賞の副賞が万年筆と明記されるようになった。私の作は読まれていないにもかかわらず。そう、私の影響ではないのだ。

エルサレム、エルサレム

 「この広告は90日間以上更新されていないブログに表示しています」様のことが書かれてあって、その広告というのが、夏頃行った美容室で見た雑誌に載っていた560万円もするエメラルドカットのダイヤモンドの指輪が素敵だったので、帰ってからしばらくして、ネットで検索してみた。するとネットでは桁が違って、30万円以下であるものしか出てこない。そういう訳で自分で種は撒いた訳だが、その広告は、私がネットで検索したものである。ヘンリー王子の婚約者に贈られた指輪とどこか似ているが、もちろん広告の品の方が見劣りはする。しかし私が見た雑誌のダイヤモンドの指輪は素晴らしかった。私はカットのせいだろうか、ダイヤモンドという宝石が好きではなかった。しかしエメラルドカットされたダイヤモンドは素敵である。でも私はエメラルドもサファイヤもルビーも好きではない。もちろんどれも持ってはいない。贈られたこともない。

 ブリリアンカットというものが好きではない。光ればいいというものではない。輝きよりも佇まいである。お相撲を云々する人々ではないが、品格である。ブリリアンカットは品がない。雑誌に載っていたものは台座が24金のようだった。その組み合わせも良かった。普通ダイヤモンドといえば、プラチナか白金の台座が多いようだが、ダイヤモンドのクールさを優しく緩和する、その台座の色味が良かった。月収の3倍が560万円以上の人というのは限られているだろうか。ヘンリー王子ならばちょろいものだろうか。ダイアナ妃ゆかりの品で、ご自身でデザインされたとか。そのお品も中央部分はエメラルドカットに見えたが、見間違いだったろうか。ちょっとゴテゴテした感じには見えたが、王室となればそれぐらいのゴージャス感はあった方がよろしいだろうか。個人的にはシンプルなエメラルドカット一つが好きである。こんなことを宣言しても誰も贈ってはくれないだろうが。

 なぜネットには安めの宝石しか載っていないのだろうか。検索するものを選んでいるのだろうか。そう勘ぐるしかないが、私は検索欄に560万円と入れたにもかかわらずである。ユダヤ系の人々がダイヤモンド市場は握っているようだが、ダイヤモンンド自体の質の良さなども関連しているのだろうか。桁違いにしても30万円以上のはなかなか出てこない。出てきてもゴテゴテしている。私だったら23万円弱ぐらいのアマンで我慢する。それが好みなのである。しかしなぜ高価な宝石は、しわくちゃの婆さんに集まるのだろうか。若い人には似合いそうにもないが。でもそのちょうど真ん中ぐらいの層に、なぜ集まらないのだろうか。イヴァンカさんなら持っているかもしれないし、義理のお母様のメラニア夫人だって持っているかもしれないが。しかしあの人々には品格があるだろうか。エメラルドカットの品格があるだろうか。

 エルサレムは誰のものであろうか。アメリカの福音派の人々ならば、ユダヤ教徒でなくても、イスラエルのものだという意識が隠れているかもしれない。旧約聖書によればコーランもだが、ユダヤ人のものかもしれないが、これを言ってしまったらおしまいなのである。新約聖書ではユダヤの神は世界に開かれた。もちろんユダヤ教も基本的にはそうだが、ドイツ人つまりゲルマン民族の神父が言ったものである、キリスト教はアジア的ですよと。どうもご自分の感覚とは齟齬がありそうだった。私ども日本人は世界を知る必要がある。そのドイツ人の司祭は宣教師ではなく、修道司祭だった。故郷で最初に高校に行った人であり、ドイツでは高校に行った人は自動的に大学進学となる。ドイツの高校は英語と数学に力を入れているそうだ。今80歳代の人だから、今は違ってきているかもしれない。その司祭は大学へは進まず、神学校に母親の手によって売られたと、冗談で言っていた。もちろん、彼の同僚には大学まで行ってから神学校に入って司祭になった人々もいる。

 エルサレムは3つの宗教の聖地であるから、誰のものでもあり誰のものでもないのかもしれない。政治は無宗教に語られがちだが、無論、神は歴史に介入されるかもしれない。トランプ発言は自分の支持層に取り入った感はあるけれど、そういう一つ一つのことが歴史を刻むのである。いいと言っているのではない。悪いと言っているのではない。争いの火種が用意された感もあるが、今後、世界はどうなってゆくのか、イスラム教徒にとっては受難のときだが、エルサレムは空白地帯でもいいのかもしれない。既成事実というものがある。その恩恵に与ってきたものにとっては、変わりたくないだろう。それに、世界はイスラム教徒の立場の擁護をするだろう。それが今までの良心だったからだ。バチカンはローマの司教座である。これもとても政治的である。バロックロココと文化は進んできたけれども、カトリックプロテスタントは仲の悪い兄弟関係から、歩み寄ろうとしている。また日本では仏教とのコラボもある。私たちの隣人は誰だろうか。自分は悪者だと自覚している人々には先が見えるような気がする。ここまでおつきあいいただきありがとうございます。

Twitterくささ

 Twitterなんてあぶくなどやるものかと思っていたけれど、なんの拍子か、つい手を出してしまった。無論、無名人なので、私のつぶやきはあっという間にかき消されてしまう。ホームを見ていると、だんだん眠くなってくる。知らないことが多いからでもある。こういう先端を行くところを追っていると、自分の卑小さが思い知らされる。ある有名な画家がフォロー0というのがおかしかった。フォロワーはさすがに多かったが。突飛だが、五木寛之氏はこういうのはなさらないようなきがするが、どうだろうか。何かネットとは無縁でいらっしゃるような気がしたりしているが、そんなことはあり得ないだろうか。先日たまたまラジオをつけると、五木寛之氏の番組があっていた。藤圭子についての番組だった。私は演歌は嫌いだが、ごくたまに気になる歌はある。藤圭子はもう他界されたが、音楽関係者をはじめとして文化人の面々が、彼女について言葉を献じておられるようだった。音楽として個人的に聴く気はしないが、五木氏がまとめておられる文脈で、合間合間に聴くと面白かった。宇多田ヒカルのお母様なのだよなとか、私などはつい思ってしまうが、五木氏はそのようなことはおっしゃらない。電撃結婚、電撃離婚については軽く触れられただけだったが、私はこのことは彼女にとっては大きなことだったと思う。どうしても当人同士のことではなかったように思われたからだったが、あれはどう考えてもいびつな結婚だった。芸能界というところが個人の域を超えてきて、なだれ込んでくる、そういう気がした。デリケートなことだからあっさり済ませられたのだろうが、彼女も触れられたくない部分だろうか。私がほじくり返すのもなんなので、これ以上書かないが、人の浮沈というものはわからないものである。盛者必衰の理であるかもしれないが、歳をとるごとに円熟する人もいるにはいるが、衰えを醸しながら変化してゆく。一人の人の中でも、あの能力は衰えたが、この能力は伸びているというふうに複雑ではあるが、やはり人も無常の風に吹かれるのだろう。それにしても、何か制作するということは、自分の力を超えたものが働く瞬間を感じることもあるが、私なんぞの作でそう言うのは笑止かもしれない。書いているときは苦しいが、書いた後もまた怪しゅうこそ物狂おしけれであって、スッキリするものではない。悩みは尽きないが、嬉しい瞬間がないとも言えない。ブログだってつぶやきのようなものだが、ブログのように長めに書くのも下手だし、Twitterでつぶやくのも下手だが、時間ばかり取られるこういうものに手を出してしまう自分が信じられない。スマホは絶対にやらない。と思う。ではまた。

今も昔も、昔も今も

 以前、姉の評判について文句を言った私であるが、私自身も相当な云われ方をしてきた。私の知人は私にいたずら電話をされていると思い込んでいて、皮肉交じりにいろいろ言っていたが、私はなんて失礼な人なんだろうと思いながら無視していた。ご近所では毎晩のように集まりがあり、そこでは私の「犯罪」についても云々されていたようだ。例えば私が痴漢的殺人行為を行ったとか、姉の書いたと言われていた小説を我が物にしているとか、もちろん私が書いたのであったが、ここが悪い、あそこが悪いと、実にうるさかった。普通なら自殺は避けられなかっただろう。そこのところ私は異常に精神力がある。へなちょこの私だが、叩かれても死なない。日本中が修身の教科書みたいになって、一人の私を叩く。実にヒステリーじみた奇怪な現象だった。しかしあるときを境に、それは失せた。まるで私の妄想だったように。あるときと云っても、8か月ぐらいのブランクがあった。8か月経って戻ってみると、その現象は失せていた。まるで私の妄想だったかのように。

 北風のような環境では、人は縮こまってしまう。8か月経って帰ってみると、私の精神的凍傷も治ったのか、まるで雪解けの合間から覗く花のように、私の心にも花が咲くようだった。つまり暖かさと、静けさと、安らぎがあった。私はあのような環境に耐えられるほど精神力があったが、やはり異常をきたしていた。3か月もあれば十分だったのに、私のねじ曲がった義侠心から、問題を起こしそれを過大視されて、5か月以上もの余計なときを過ごした。家の外壁は綺麗になり、工事はとっくに終わっていた。しかし世の中に無駄なものはない。その5か月の間に私は貴重な拾いものもした。世の中は自分次第というところもある。不当に云われることもあったが。ルールとマナー、これは必要なことである。身体はガチガチに硬くなり、怪我をしたり痛いところが幾つかあった。自分の身が思い通りに動かないということも初めて経験した。

 8か月経って帰ると心は癒されていたが、身体の不調との戦いが始まった。身体が不調な分、心にもその痛みは影響したが、8か月前のような、理不尽さはなかった。私の顔はその間、舐めた苦痛によって口角が下がり、不快なものになっていた。それから私は少々太り、顔もふっくらしていたので、さほど貧相ではなかったが、自分ではわかるのだ。いかに苦痛を味わってきたものの顔であることか。しかし傍目には、むしろ若くなったとみられる向きもあった。それはひとえに太ったせいであるが、その8か月前に痩せっぽちだった私が、むしろ貧相だったこともわかってきた。なにが良くてなにが悪いか、一言では云えない。地獄の8か月間のような気もしたが、その間も、心温まることは多かった。8か月前はいろいろと取りざたされて、針の筵のようだった。しかし過去から学ぶにしても、過ぎ去ったことに囚われるのは考えものである。

 今からが勝負だと思っている。老年期を前にしてこう云うのもなんだが、身体も以前よりは軽くなってき、心も案外、安定している。過去様々の良くないことがあった。それらにケリをつけねばならない。悪かったところは、詫びを入れ、手紙を書いて謝罪したりしてきた。もちろんその前に、神様に謝った。そして、人々との間にもいい加減にしてきたツケを支払ってきたりした。やはり私にも悪いところはあった。ひとりよがりは良くない。強調性のない私には、他人と共にしてきたことで、人を傷つけてきたことも多かった。一方的なものでないにしてもである。そういったことは黙って見過ごしてはならないだろう。私を苦しめた人を苦しめたことを後悔している。だからその人々の、幸福を祈りたいと思っている。

 すべてのことをあい働かせて、益と為したもう神の業を思うものである。私には苦しみが必要だったのである。そういった漠とした苦しみから、私はいろいろと学んできた。実際に大学にも行った。いろいろと学んだ。そういう意味では私は自分を向上させてきた。それも神様から頂いた精神力の強さに感謝したい。そして私を苦しめた人々も、やはり私の愛する人々だった。悲喜こもごも、愛憎半ばする、そういった引き裂かれる思いは、人を豊かにする。どちらか一方ということはあまりないのではないだろうか。悪いと思われたときにも、いいことはあったし、いいと思われたときにも、悲しむべきことはあった。今、私はまだまだ伸びる一方で、収穫の秋を迎えてもいるような気もする。収穫するためにはいろいろと準備が必要である。その必要を、今、満たそうとしているかのようである。収穫のための準備。そういった時期のようである。若かったころは、今から思うと空っぽのような気がする。しかしたまたま見つけた過去の論文などを見てみると、今とさして変わりはない。昔から見ていた風景は変わらないのだろうか。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

新しいものはない。

 自分でも訳のわからないことを書いているものだ。なんか焦っていたのだろうか。いつものことだが。いつも焦っているのだろうか。いやむしろ、残念な思いを抱えて、それを一応はやり過ごしてから書く場合もあった。つまらねえブログだと自分でも思う。何もわかっちゃいないのだ。誰かわかっている人がいるのだろうか。それはともかく、私にはわからない。ある程度わかっている人々はいるのだろう。無論、人間は全知ではないから、鳩首してやってゆくものだろう。新しいものは何一つない。少なくとも本当にごくたまにしか新しいものはない。連続して本を出す人など、違ったことを書いているのだろうか。しかし、旧約聖書の昔から、新しいものは何もないと言われている。自然科学の分野では発見があるが、既にあるものの発見であって、なかったものの発見ではない。人間が知らなかっただけである。しかし、そういう発見が素晴らしいことなのだろう。社会科学の分野では、変化というものに敏感な気がする。しかし、変わらないものは変わらない。根底から覆されるというようなことはあまりないようである。人文科学の分野では、新しい切り口というものがある。自然には何一つとして同じものはない。クローンがいるとしても、違った状況を生きねばならない。同じ親から生まれてきた子供が、全然違うように、一卵性であっても、全く同じではないし、やはり違った状況を生きることになる。同じマラソン選手でも、順位が違うように。何一つとして同じものはないし、何一つとして新しいものもないのである。パソコンでさえ、同じ工場で生産されても、全く同じではない。個体に備わった出来というものがある。私のパソコンは出来があまりよろしくない。立ち上がりが遅いのである。聞くところによると、どの地域で作られたものが出来が良い悪いということではなさそうである。やはり個体に備わった出来なのだそうである。今日は千文字あたりでお暇しようかと思っている。いつもは2千文字強なのだが、書くこともないのに2千文字という短文でも書き継ぐのは困難である。訳のわからないことを書くのは、そういうことも影響している。千文字でも危ういが。妄言を吐く私は、自分では普通だと思っているが、あらゆる意味で普通とは何かとうことで、普通の定義が危ういこともあって、まあ、とろいということで、普通ではないかもしれない。妄言は消し去りたい気もするが、キャッシュされるだろう。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。ではまた。

卑近なところから世界まで

 やはり人というものは、下品なものが好きのようである。私が下品な表現をすると、読者は増える。しかし近しくしていた人は去って行く。ブログは本音を書いても良さそうなところだが、自分ではあまり本音は残したくない。しかし人は本音が好きである。ああ、そうだ、私は下品なものである。だから私の本音は下品である。だが私のブログなんかほとんど読まれないに等しい。70歳までしか生きないつもりだから、その先、生きるようだったらどうしようか。自殺も考える不届きものである。最近の自殺者は、二万人代である。随分減ったものである。一万人近くは減っている。いいことのように思えるが、本当だろうか。どうも安倍政権は私の書くことを気にするようだ。障害者施設法の改悪を書いたら、それに反応した。過重労働を書いたらそれにも反応した。他にもあったが忘れた。いちいち覚えてられるかい。こちとら政治家のような暇な精神はしておらん。彼らは忙しそうにしているが、本当は暇なのである。国会中継をたまたま見ていると、視聴者を気にする、というか、私が見ていることを気にしている。しかもバカにしてやがる。そういうお前さんらがおバカさんなんだ。そんな暇があったら、審議に熱中しろい。あくびの出るのは仕方ないが、その分その直後ぐらいは気をひきしめよ。だべりやがって。真面目なのは安倍さんと蓮舫さんぐらいじゃないか。質問者は、私が見ているのを察すると、いつも予定を変更する。なんか都合でも悪いのか。麻生さんは、ここで言わなかったら誤解されるのでと、えらい勢いで僅かの時間で喋る。この人は遊びたいのを我慢して、仕方なく椅子に腰掛けているといった風情である。でもこの人が首相だったときには、ホテルのバーで飲みながら人々と歓談するという親睦を図ったが、それは私がホテルのバーで飲む人々をよく書くからだったが、彼はそれでそれが国民一般だと読み違えたらしい。そんな贅沢は一般国民はしないらしい。私もホテルのバーで飲んだのは一度きりである。もちろん私は支払わなかったが。自分の銭では行けない。しかしあれはいい試みだと私は思った。麻生さんは、ホテルのバーで歓談し続ければよかったのに。やはり一般のバーよりはホテルのバーは清潔感がある。それがよかったのにである。国民も度量が狭い。この人は頭がいいのか悪いのかわからない。多分いいのだろう。それが報道される場面に出てこないだけであろう。なにを隠そう、私は麻生さんのファンなのである。次期首相には歳を取り過ぎているかもしれない。やはり小泉ジュニアか誰かになるだろうか。民進党は論外である。こういうことを言うと安倍さんの嫉妬を買うからやめておこう。TPPは本当に保護主義から遠いのだろうか。先進国の有利になるだけではないだろうか。もちろん自分の生活が危うくなることを感じながら書いている。日本人にとってはいいかもしれないが、世界のバランスで考えたら、TPPでは生きられない人々も多くいるようだ。これはアメリカのような超大国が不参加だから言っているのではない。彼らはシャープまで取り込もうとしている。あまりの無節操である。それにしても今からは新しい時代が始まるのだろう。今までの枠では収まりきれない状況になるのかもしれない。先を読みながら、善意の外交をして行くべきだろうか。日米同盟は今までのようなわけには行かないかもしれない。しかし、日米間が一番いい次期だったはずのオバマ政権のもとで、アメリカの本土防衛が叫ばれた。日本は守られているという意識を変える必要があるかもしれない。トランプ大統領ではそれは望めないだろうし。ただ彼はビジネスでは日本を無視するわけには行かないだろう。軍備には持論がないから、核充実を図ろうとするようなことを言ったのかもしれない。しかし核軍備はもう古い。それは過去の軍備だ。今からはもっと違った構図が出来上がるだろう。沖縄も長い目で見て、負担は軽減される方向に行くかもしれない。アメリカは日本を守らないなら、去っていただくしかないからである。中国との諍いの道具にされては真っ平である。中国は現に領土を拡大している。もともとあんなに大きな国土の国なのに。もっと内陸部の充実を図ったり、人権問題や差別をなくす方向に気を使えば世界から尊敬されるだろうに。香港や台湾を締め付けるだけでは、問題は片付かない。鄧小平はもっと賢かった。近来、中国の政治家は道を誤っている気がする。今のところ、核軍備していない国が圧倒的に多いのである。もっと減らす方向で行くべきである。日本が軍備をアメリカに頼らないとしたら、それ相応の自衛はしなければならなくなるかもしれないが、核軍備はしないほうが世界とのバランス上もいいだろう。日本が核軍備したら、中国を刺激するだろう。日本の軍備は、既にそれ相当なものである。アメリカの核の傘のもとにいると、思い込んでいるだけで、核の傘というものがいかばかりのものであるか、今だって十分にわかっているのではないか。今から自分の国に目が行くようになれば、自国の足で立つことが求められるようになるかもしれない。もちろん、援助はなされるにしても。やはりイギリスは新しいのかもしれない。それそうとうの苦難を予測しての出たとこ勝負であろうか。EUというものもその圏外のものにとっては、あまり意味のないものである。今からの世界の動きは見ものである。どう変わってゆくのか。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

行き着くところは神様、

 今年も末ごろにあるだろう教会のバザーに出す服を、早々とクリーニングしてしまった。痩せていた頃に買ったはずのレインコートが、太っている今もブカブカである。ピージャケットは小さすぎる。姉からもらった、上等のジャケットもなぜか大きく感じる。それを着たらまるで男みたく見える。以前はそう見えなかったのだが、髪を短くした今はそう見える。髪を伸ばす予定はないし、この3つはバザーに出そうと思っている。レインコートはクリーニングに出す上で、撥水加工もしてもらっている。ニタニユリエである。いずれも良い品だが、合わなくなっているので、お譲りしようと思っている。男みたく見えるというのは、そのジャケットを着たときばかりではない。どんな服を着ていても、去年の4月ごろインタビューを受けたときに、写真が必要だったのだが、私が構えると、「どうも、ボーイッシュに見える」と文芸ジャーナリストはのたまわる。2度目にお会いしたときには、少しでも女らしく見えるようにと、赤い服を着た。それでも白黒写真だと思っていたら、カラー写真だった。書斎が一番いいのだがとおっしゃったが、私の部屋は書斎と呼ぶには、貫禄がない。それにうっすらと埃が積もっているし、何せ4畳半なので、ところ狭しである。この中に約1500冊の本があり、タンスがあり、もちろん机と椅子もある。低いおんぼろソファまである。汚いのは私の部屋だけではない。築45年の我が家はどこも汚い。自室にたどり着くまで、汚い廊下と階段を通ることになる。いつもはそんな家にしがみついている私であるが、見られたくないばかりに遠藤周作記念文学館まで、わざわざ行った。スコセッシ監督による「沈黙」が映画化されたとの情報が流れたのは、そのちょっと後である。遠藤周作の記念の年だったらしく、もうすぐ記念の行事がある様子だった。私がカトリックであることを知ったその御仁は、遠藤周作についての何かを聞き出したい様子でもあったが、私はあまり興味はないとの一点張りで通した。実際、あまり興味はない。スコセッシ監督が映画化されたのでまた多く読まれるかもしれないが、私はその機運にも乗らないだろう。しかし、遠藤周作という人は好きだった。テレビを通してしか知らない、いや一度、母校であった彼の講演会を聴きに行ったことがある。彼は「一応売れているのに、自分がその土地に行って何か喋ると、途端に売れなくなる」とか言っていた。私はその講演会に遅れ気味に行ったのだったが、私が席を探している様子を見て、にんまり笑ったような気がした。その人がもういないのだ。しかし、彼は死んでしまってはいないようだ。彼の存在感はしかとある。彼の文学館は外海地区に寂しく建っている。風に吹かれている。それでいいのだろう。私はカトリックとは無縁のものを書き続けるかもしれないだろうが、ふざけた小説まがいである。

 今度の文学賞に落選して、自分で梗概を書いたものはなくなった。書くべきものも書かなかった気もするが。ともかく落選した。勝負は2か月後である。私は自分で書いたものの梗概が書けない。そんなに短くできるものならば、長く書く必要もないではないか。私は本能的に書いているので、なおさら梗概は書けない。私は着地点を知らないまま書くのが好きである。それから調べないで書くのが好きである。ただのデタラメかもしれないが、最低限しか調べない。事実とは異なったことを書いているかもしれない。しかし私の作はもともと創作である。人様にお尋ねして書いても良かったものを、その労を取らないで書いたこともある。ただのズボラである。しかし、自分自身の身に起こったことは、ちゃんと裏を取ってある。私にしかわからないが。それにしても、こんな私のような小さな存在が大きな企業に影響を及ぼす。なんだか空恐ろしような気もする。ペンの力はやはり大きなものらしい。ペンの力は書いたものの力によるものだろう。ペンそのものに力があるのではないからには。私にも力があるのだろうか。波紋なら何回も投げかけた。しかし文学として評価されることはなかった。私は直木三十五賞が欲しい。芥川賞は年寄りの私には向かないような気がする。それに内容的にも、向かないような気がする。なにを寝ぼけた戯言をと思われるかもしれない。賞には無縁の私である。今、朝日新聞では吉田修一氏の小説が連載されている。この方とは同郷である。同じ新聞の同じシリーズに載った。しかし私はこの方のような才能もなければ、探索力もない。私は図書館学を学んだが、図書館でうまく資料を探せない。私の探そうとするものは特殊なせいか、ヒットしないのである。キーワードで探して借りて読んでも、すかされる。やはり人様とのつながりも必要なのだろう。本ばかりが相手ではない。取材するにはある程度の、認知度がなければならないかもしれないが、私の場合、教会の神父様にお尋ねすれば良かったものを、それさえしなかった。そのことを知っておられるような神父様がまだお一人いらっしゃる。いずれお尋ねしたい気がしている。だがだいぶあとになるだろう。30年ぐらい前まではラテン語でミサがなされていたようであるが、地域と時代によって異なるそうである。その違いが知りたい。長崎で当たり前でも、全国ではどうだか知らない。私の家はもともと仏教なので、その辺り訊く人がいない。先祖代々の信者さんが多いこの地域で私は異色の存在だが、結婚のために、それを通して洗礼に至る方も多いようである。最近はあまりそういう方も見かけないが、結婚講座は開かれている。2、3か月後にはなにが待ち受けているのだろうか。私には縁の薄い事柄ばかりだが、世間では日常的に起こっていることである。異宗婚というものは寂しいものである。私は結婚していないが、私の家族は同じ宗教ではない。それでもぶつかることはないが、一人で教会へ向かうのは寂しいものである。カトリックの方はよくご一家で信仰を持たれる。それがいいあり方のような気がする。無論、信教の自由があるので、他宗教の人と結婚しても、家族の中で信仰が違っても構わないのだが。私は神棚の水も変えれば、仏壇にご飯も供える。さすがにお参りはしないが。しかし親戚の仏壇にはお参りする。それは日本の風習だからである。ご都合主義かもしれないが、自分では柔軟性があると思っている。信仰は秘められた中にあり、公にされる。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。