マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

書くことへの疑い

「寂しさの徒然に」と題しようかと思ったが、徒然はともかく、寂しくはないなと思った。本来私は客観的には寂しいと思われる者である。だが今は寂しくない。寂しい時もあった。これから先寂しいと感じる時も来るだろう。だが今は寂しくない。客観的に見たら…

何する人ぞ

つくづく私は稼げないようになっている。在宅OKパソコン、スマホでできる仕事を探して、もちろんスマホは格安スマホを使っているくらいだからできないし、当然パソコンを考えていた。するとMacOSは使えないことが判明した。日曜日の午後ぐらいしかできないな…

「夢千代日記」に行き着いた

年が改まって初旬も過ぎようとしている。初旬である間に一つぐらい書いておこうと思う。主題はない。本当なら、小説まがいを書き始めねばならないのだが、書くことが溢れかえるような質じゃないので、少し端緒が得られたら書き始めることにする。実はある人…

中庸、下世話ネタ

今日は美容院へ行ってきた。ヘアダイとヘアカットである。私はパーマはかけない。ヘアダイをしている間に、コーヒーとチョコレートをいただく。いつも出していただく。待ち時間のある人には出されるようである。そのお店でも最小限のことしか話さないが、よ…

理解が大事

私が自分のことをオナニスト呼ばわりすると、バカにする人々がいる。私の書く謂は、修辞としての謂である。なんだか情けない。この歳になって肉体でするかい。アホくさい言葉もいい加減にしてもらいたいものだ。しかも私の名前は呼び捨てである。なんという…

SNS尽くし

メモ帳兼日記の余白もあとわずかになった。あれはいつのことだったかを調べるのにだけ有効なもので、殆ど読み返されないのだが、シコシコとつけている。今年はツウィッターなどに手を出してしまって、自分でも驚いている。フェイスブックもツウィッターも殆…

やきもき

11月は推敲せねばならない時期に当たっていたが、なかなかできなかった。12月に入ってなんとか間に合わせたが、12月10日が締め切りの大きな賞の方のは、特に問題はなかったが、もう一つの小さな賞の方は12月31日が締め切りであるが、今年、同人…

エルサレム、エルサレム

「この広告は90日間以上更新されていないブログに表示しています」様のことが書かれてあって、その広告というのが、夏頃行った美容室で見た雑誌に載っていた560万円もするエメラルドカットのダイヤモンドの指輪が素敵だったので、帰ってからしばらくし…

Twitterくささ

Twitterなんてあぶくなどやるものかと思っていたけれど、なんの拍子か、つい手を出してしまった。無論、無名人なので、私のつぶやきはあっという間にかき消されてしまう。ホームを見ていると、だんだん眠くなってくる。知らないことが多いからでもある。こう…

今も昔も、昔も今も

以前、姉の評判について文句を言った私であるが、私自身も相当な云われ方をしてきた。私の知人は私にいたずら電話をされていると思い込んでいて、皮肉交じりにいろいろ言っていたが、私はなんて失礼な人なんだろうと思いながら無視していた。ご近所では毎晩…

新しいものはない。

自分でも訳のわからないことを書いているものだ。なんか焦っていたのだろうか。いつものことだが。いつも焦っているのだろうか。いやむしろ、残念な思いを抱えて、それを一応はやり過ごしてから書く場合もあった。つまらねえブログだと自分でも思う。何もわ…

卑近なところから世界まで

やはり人というものは、下品なものが好きのようである。私が下品な表現をすると、読者は増える。しかし近しくしていた人は去って行く。ブログは本音を書いても良さそうなところだが、自分ではあまり本音は残したくない。しかし人は本音が好きである。ああ、…

行き着くところは神様、

今年も末ごろにあるだろう教会のバザーに出す服を、早々とクリーニングしてしまった。痩せていた頃に買ったはずのレインコートが、太っている今もブカブカである。ピージャケットは小さすぎる。姉からもらった、上等のジャケットもなぜか大きく感じる。それ…

痛し痒し

10月も書かず、11月になってしまった。今、特に暇なわけではない。また特に忙しかったので書かなかったわけではない。人にはいろいろと、事情があって書けないことがある。私など文学賞に応募している者は、余計なことは書けないという心理が働く。しかし去…

アーメン

私にはわからないことが多い。当たり前かもしれないが、つくづくそう思う。このブログのアクセス解析の部分だけでも謎である。9月の11日から12日にかけて4という数の方が読んでおられるようだが、単なる4人なのか、何かの単位なのかわからない。無料ブロ…

言葉、もろもろ

昔の作品を見返すと、いやあ、ひどいものである。よくあんなものをいけしゃあしゃあと投稿していたものだと思う。あれで昔は自信満々だった。今もさほどに上達はしていないが、もうちょっと謙虚にはなってきた。今は自信もなく、これだけしか書けないから仕…

評判の悪い私、

ある県へ家族旅行してきた。私と姉の仲の悪いのは知られているようで、いろいろ憶測された。しかし母の評は違っている。母は姉と私は絆が強いという。母にはあと二人の妹がいるが、彼女らと仲は良くても、姉と私のような絆の強さではないという。よく考えて…

伊藤整の仕事

伊藤整の「小説の方法」をやっとまともに読んでいる。まだ3章までしか読んではないが、今度は読み通せそうだ。古い文庫本で、昭和55年ぐらいに買っているようだ。38年ぐらい前の話である。私は読者として関心を持つと同時に、微かに、自分にも小説まが…

病、犯罪の内在

なにかものごとがうまくゆかないとき、人はどういった思いを持つだろうか。大概は、自分になにか足りないところがあったのだろうかと、吟味する。しかし私のような誇大妄想狂のものになってくると、なにか社会悪があるのじゃなかろうかとか、誰かがなにかや…

社会病理と個人的病理の狭間で

世の中には奇怪なことがある。普通、精神病者は奇怪だと思われている。しかし、その周辺でもっと奇怪なことが起きる場合がある。金融機関は、契約者が精神病であることを知ったら、そしてその人に莫大なお金があったとしたら、どうするだろうか。このお金の…

哀悼

津島佑子さんが、お亡くなりになったそうである。まだ60歳代のようである。早い死である。お悔やみ申し上げる。 津島佑子さんが選考委員をなさっている文学賞に初めて応募した。彼女が読まれるような段階まで、愚策が残っているかはわからないが、なんだか肩…

信仰と文学と護教論

前回の元旦に書いた状況と今の状況は何一つ変わっていない。だから今書くべきかどうか迷った。しかしここはもともと、自分自身について語るところではなかったはずだったのだ。「マリーゴールドの現実」に成ってから、自分を語ってばかりである。こんなのは…

元旦から揺らぐ

元旦に計を立てたことなどない。それだけ漫然と過ごしてきたということかもしれない。この文章でもそのようなことは考えにない。元旦とは限らず、計画を立てることはよくある。しかしいつものことながら、計画倒れである。三日坊主という言葉があるが、まさ…

夢想する私

夢想するということは、悲しくも楽しいことである。夢想するのは満たされていないからで、悲願の要素がある。そして願っていることを手に入れた状態を想像して楽しむのである。寒い冬には暖かい着物や、寝具に包まれることを願う。今、持っている古びたもの…

余計な事柄

暖房を切るのを忘れて眠ってしまった。なんとも言い難い罪悪感にとらわれる。無駄にエネルギーを使ってしまったという公共心と、無駄なお金をかけてしまったという残念さとが押し寄せてくる。しかし今も暖房を切ることなく、これを書いている。寝起きにブロ…

人間的な、

私はお年寄りが案外好きである。過去知り合ったお年寄りの方が、ご病気になられて、手紙でも書いてくれと頼まれたので、かなり頻繁に出した。すると、あまりに多すぎたせいか、あちらは負担に思われたようで、不快の印象が伝わってきた。また別の方にお年賀…

お詫び

突然、google+を止めて、申し訳ないと思っている。自分がそういう目にあって初めて気づいた。すみませんでした。悪い意味での自尊心のなさが、人様からのご好意を踏みにじる結果をもたらしたのかもしれない。自分のことはわからないものだ。私もある人が、突…

SNSの両義性

二転三転するが、フェイスブックは続けることにした。それというもの、ネットはもともとあやふやなものでありながら、しっかりしているところはしっかりしているからだ。確かに開設した覚えはないが、2013年以後のことはなんとか記憶を辿ることができる。し…

インターネットはドストエフスキーを超えられるか

google+だけではなく、フェイスブックもしばらくしたら、やめる方向で考えている。フェイスブック上で至らぬことを書いてしまったからでもあるが、どうもフェイスブックは自分で開設した覚えがないから、便乗は良くないだろうと思ってのことでもある。アカウ…

書くしかない

気になっている人の意向が知れないということは、悲しいことである。おそらく皆さんは、そんなことは簡単なことだと思われるだろう。直接、会って聞けばいいじゃないかと思われるかもしれない。しかし世の中には、面と向かっては言えないことが多くあるもの…