マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

Twitterくささ

Twitterなんてあぶくなどやるものかと思っていたけれど、なんの拍子か、つい手を出してしまった。無論、無名人なので、私のつぶやきはあっという間にかき消されてしまう。ホームを見ていると、だんだん眠くなってくる。知らないことが多いからでもある。こう…

今も昔も、昔も今も

以前、姉の評判について文句を言った私であるが、私自身も相当な云われ方をしてきた。私の知人は私にいたずら電話をされていると思い込んでいて、皮肉交じりにいろいろ言っていたが、私はなんて失礼な人なんだろうと思いながら無視していた。ご近所では毎晩…

新しいものはない。

自分でも訳のわからないことを書いているものだ。なんか焦っていたのだろうか。いつものことだが。いつも焦っているのだろうか。いやむしろ、残念な思いを抱えて、それを一応はやり過ごしてから書く場合もあった。つまらねえブログだと自分でも思う。何もわ…

卑近なところから世界まで

やはり人というものは、下品なものが好きのようである。私が下品な表現をすると、読者は増える。しかし近しくしていた人は去って行く。ブログは本音を書いても良さそうなところだが、自分ではあまり本音は残したくない。しかし人は本音が好きである。ああ、…

行き着くところは神様、

今年も末ごろにあるだろう教会のバザーに出す服を、早々とクリーニングしてしまった。痩せていた頃に買ったはずのレインコートが、太っている今もブカブカである。ピージャケットは小さすぎる。姉からもらった、上等のジャケットもなぜか大きく感じる。それ…

痛し痒し

10月も書かず、11月になってしまった。今、特に暇なわけではない。また特に忙しかったので書かなかったわけではない。人にはいろいろと、事情があって書けないことがある。私など文学賞に応募している者は、余計なことは書けないという心理が働く。しかし去…

アーメン

私にはわからないことが多い。当たり前かもしれないが、つくづくそう思う。このブログのアクセス解析の部分だけでも謎である。9月の11日から12日にかけて4という数の方が読んでおられるようだが、単なる4人なのか、何かの単位なのかわからない。無料ブロ…

言葉、もろもろ

昔の作品を見返すと、いやあ、ひどいものである。よくあんなものをいけしゃあしゃあと投稿していたものだと思う。あれで昔は自信満々だった。今もさほどに上達はしていないが、もうちょっと謙虚にはなってきた。今は自信もなく、これだけしか書けないから仕…

評判の悪い私、

ある県へ家族旅行してきた。私と姉の仲の悪いのは知られているようで、いろいろ憶測された。しかし母の評は違っている。母は姉と私は絆が強いという。母にはあと二人の妹がいるが、彼女らと仲は良くても、姉と私のような絆の強さではないという。よく考えて…

伊藤整の仕事

伊藤整の「小説の方法」をやっとまともに読んでいる。まだ3章までしか読んではないが、今度は読み通せそうだ。古い文庫本で、昭和55年ぐらいに買っているようだ。38年ぐらい前の話である。私は読者として関心を持つと同時に、微かに、自分にも小説まが…

病、犯罪の内在

なにかものごとがうまくゆかないとき、人はどういった思いを持つだろうか。大概は、自分になにか足りないところがあったのだろうかと、吟味する。しかし私のような誇大妄想狂のものになってくると、なにか社会悪があるのじゃなかろうかとか、誰かがなにかや…

社会病理と個人的病理の狭間で

世の中には奇怪なことがある。普通、精神病者は奇怪だと思われている。しかし、その周辺でもっと奇怪なことが起きる場合がある。金融機関は、契約者が精神病であることを知ったら、そしてその人に莫大なお金があったとしたら、どうするだろうか。このお金の…

哀悼

津島佑子さんが、お亡くなりになったそうである。まだ60歳代のようである。早い死である。お悔やみ申し上げる。 津島佑子さんが選考委員をなさっている文学賞に初めて応募した。彼女が読まれるような段階まで、愚策が残っているかはわからないが、なんだか肩…

信仰と文学と護教論

前回の元旦に書いた状況と今の状況は何一つ変わっていない。だから今書くべきかどうか迷った。しかしここはもともと、自分自身について語るところではなかったはずだったのだ。「マリーゴールドの現実」に成ってから、自分を語ってばかりである。こんなのは…

元旦から揺らぐ

元旦に計を立てたことなどない。それだけ漫然と過ごしてきたということかもしれない。この文章でもそのようなことは考えにない。元旦とは限らず、計画を立てることはよくある。しかしいつものことながら、計画倒れである。三日坊主という言葉があるが、まさ…

夢想する私

夢想するということは、悲しくも楽しいことである。夢想するのは満たされていないからで、悲願の要素がある。そして願っていることを手に入れた状態を想像して楽しむのである。寒い冬には暖かい着物や、寝具に包まれることを願う。今、持っている古びたもの…

余計な事柄

暖房を切るのを忘れて眠ってしまった。なんとも言い難い罪悪感にとらわれる。無駄にエネルギーを使ってしまったという公共心と、無駄なお金をかけてしまったという残念さとが押し寄せてくる。しかし今も暖房を切ることなく、これを書いている。寝起きにブロ…

人間的な、

私はお年寄りが案外好きである。過去知り合ったお年寄りの方が、ご病気になられて、手紙でも書いてくれと頼まれたので、かなり頻繁に出した。すると、あまりに多すぎたせいか、あちらは負担に思われたようで、不快の印象が伝わってきた。また別の方にお年賀…

お詫び

突然、google+を止めて、申し訳ないと思っている。自分がそういう目にあって初めて気づいた。すみませんでした。悪い意味での自尊心のなさが、人様からのご好意を踏みにじる結果をもたらしたのかもしれない。自分のことはわからないものだ。私もある人が、突…

SNSの両義性

二転三転するが、フェイスブックは続けることにした。それというもの、ネットはもともとあやふやなものでありながら、しっかりしているところはしっかりしているからだ。確かに開設した覚えはないが、2013年以後のことはなんとか記憶を辿ることができる。し…

インターネットはドストエフスキーを超えられるか

google+だけではなく、フェイスブックもしばらくしたら、やめる方向で考えている。フェイスブック上で至らぬことを書いてしまったからでもあるが、どうもフェイスブックは自分で開設した覚えがないから、便乗は良くないだろうと思ってのことでもある。アカウ…

書くしかない

気になっている人の意向が知れないということは、悲しいことである。おそらく皆さんは、そんなことは簡単なことだと思われるだろう。直接、会って聞けばいいじゃないかと思われるかもしれない。しかし世の中には、面と向かっては言えないことが多くあるもの…

小さな頭

結婚するときに、離婚を予測して結婚するものだろうか。今の時代、案外そういうこともありうるかもしれない。私自身だって、今から結婚となると、自分はともかく、相手に嫌われるかもしれないという不安がないこともない。それで離婚するかもしれないという…

井の中の蛙的

英語ができないということは、パソコンをする上で、とても障害になります。文法もですが、語彙力がないということは響きます。私の場合、ごく基本的な語彙力にも欠けているので、それはそれは、不自由です。一々、なにそれ、という感じでドギマギしてしまい…

現実で繋がるということを目指して

ソーシャルメディアをやっていると、止めてしまいたいときがときどき訪れる。このブログもその一つだが、以前「マリーゴールドの幻惑」を書いていたが、止めた。そしてまた今回の「マリーゴールドの現実」を書き始めた。他にももう一つだけソーシャルメディ…

お金がないからには

わたくしはテレビを殆ど視ません。それを利用して、治療のシナリオが組まれたことすらあります。つまり世の中のことをよく知らないので、それが利用された訳です。わたくし自身のことを、自分よりも他人の方がよく知っているように思われることがあります。…

明けましておめでとうございます

正月の二日には、子供時分に習っていたお習字の先生の家で書き初めをしたあと、善哉を頂いたものでした。日本舞踊の新年宴会は大概、成人の日でした。当時はまだ十五日でした。長崎由来の卓袱料理を頂きながら踊ったりしたものでした。今ではお習字を習った…

病と死

同人誌と文学学校にそれぞれ投稿し終えまして、昨日は洗面所に置く棚を家人と共に組み立ててしまいました。それで時間がぽっかり空いたところで、ブログを書こうと思い立ちました。すっかり月一のペースになってしまいました。 最近、過去のことを思い出して…

高貴な狂気

先日書きました文学賞は逃してしまいました。残念と言えば残念ですが、仕方ないですね。今の実力でしょうか、それとも才能がないのでしょうか。同人の方に見て頂いたときには、「ここは田舎だから理解されないかもしれないよ」と言われました。県庁の息のか…

文学賞前夜近く

わたくしは若い女性でもありませんが、学校の先生に気に入られたことも、一度たりともありません。それに無料ブログですので、そんなに読まれているとは思えないです。そういう風にしか思えないように、パソコン上では反応はありません。ときどき、温泉卵は…