マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

明けましておめでとうございます

 二日間、ブログ名を設定するのに彷徨った。こうやってわたくしはパソコンを壊して来た。ちょっと違うかも知れないが。わたくしはLDなのかもしれない。よく読まずに気ばかりせいて直感でやってしまうのである。お陰で修理費にバカにならないお金を使った。失敗しているうちに少しは知恵が付くのではあるが。

 さっきからpost masterのお知らせがどかどかやって来ている。このmailのシステムはどうもおかしい。後一週間もすればそういうことはなくなるかもしれないが、ひょっとするとそうならないかもしれない。支払い能力に欠けているとは思わないが、しょっちゅう通販会社から発送のお知らせが来る。なぜRe.が届くのかさっぱり分からない。ひょっとしてわたくしが何らかの返事を書かないでいる所為か、或は自動的に返信かなんかされているのだろうか。それでやってくるのだろうか。分かっているよ、プレゼントだろう。わたくしを安心させようとしていたのだろうが、どうも裏目に出ていたようである。ボタンの掛け違いはこんな所にも及んでいたのだろうか。擦れ違いや傷つきはそのような所からもやって来る。でも今まで気付かないでごめんなさい。皆様には何のことを言っているのかお分かりにはならないだろうが、約一名分かる人がいるはずである。いや案外知られているのかも知れない。

 やはり椅子を高めにするとエコノミークラス症候群の心配はあまりしなくても良さそうだ。一日五分の運動を心がけよう。そうしたらもう少しスリムになれるかもしれない。今はお餅が多いのでどうも食べ過ぎてしまう。そういえば昨日は七草粥の日だった。この日家にあるお守り類を焼いてもらいに行こうと決めていたのだったが、四日の日に済ませたので、七草粥にはありつけなかった。家人達がお守りを買っている間、わたくしはぼんやりとカトリックだからなあと思いながら後方に立っていた。でもお守りというのはきれいな金襴緞子で出来ているので持ってみたい気はする。

 「が」という助詞はやっかいである。普通主格を作るとは思われていないが、なんの会話ではよく「が」を主格を作る助詞として使うものである。正確には「の」と言うべき所に「が」を使う。或は「を」を使うべき所に「が」を使う。この「が」を使ったら、同人誌の編集者に何か言われかけたが、まあいいかという感じで会話の部分だったし、通った。いや地の文だったかな。その方はもうこの世にはいらっしゃらない。新聞記者のOBだった。筆まめな方で葉書や手紙でご指導くださった。しかし、よく練られていると良い作品になるとは限らない。雑な文章でもいい作品はよくあるものだと感じている。今までの自分の作を振り返って、良い出来だと思ったものは、雑であるよと言われたが、然りながら十分に楽しんでくださったようである。その二作品は巻頭でも巻末でもなかったが、他に良い作品があったのでその座を奪われてしまった。大した作でもないものが巻末になったことが一度あるきりである。巻頭を飾ることが出来るような作品を書いてみたいものである。

 話がだんだん逸れて行くのはわたくしの常であるが、心に移り行くよしなしごとを書いているのでこうなるのだ。もうすぐ昼ご飯である。お腹も空いて来たことだし、そろそろ終わることにしよう。色々試していたのでこんな文章を書いているが、午後からは読書に勤しみたい。それでは今日はこの辺で、さようなら。