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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

モンテスキュー

 昨晩読んで居りましたモンテスキューの「法の精神」は、やはり堂々たる古典であります。古典というものは現代でも通用するということです。しかし現代では世界が狭くなったとはいえ、数の多さに圧倒されてどれから読んでいいものやら、迷う所あるものです。わたくしは若い頃不勉強でしたので、今頃古典と言われるものを読んで行って居ります。そうすると大概間に合います。現代では古典を云々することが多いからです。原著を読んでいたら間に合うのは当たり前です。そしてその古典でさえもが引用している文献がありますから、それを読んでも読まなくても素人の域ですからその大古典を読めば十分でもあります。前のブログ「マリーゴールドの幻惑」で最後の頃「ドン・キホーテ」を読んだようなことを書いて居りましたが、実際に読んでみると素晴らしいの一言です。またヘロドトスやツキジデスの「歴史」「戦記」を読んで感嘆したことも書きましたが、誤謬はあり得てもその壮大さには素晴らしいものがあります。もう忘れているかもしれませんが、そのエッセンスのようなものは残っているように思われます。彼らの歴史記述には書いている人が浮かび上がって来ます。そこがとても魅力的な所です。近代のブローデルにもいつか挑戦したいと思って居ります。そう「地中海」です。地中海という場所には豊かな何ものかがあります。やはり海に面しているということはそれだけでも恵みなのでしょうか。内陸の国々にはない、魅力があります。ロシアも不凍港を目指して南下政策を取っていたことは周知でしょう。そしてそれは現代のロシアにも言えることでしょう。これは軍事目的かもしれませんが。それにしても昔から国々は戦争、紛争を繰り返して来たのだなとつくづく思います。ツキジデスの「戦記」と訳されている書はヘロドトスの「歴史」と同じ「ヒストリア」いう原題だそうです。歴史というものは戦争というものの記述にほぼ合致するのかもしれません。確かに文学史、絵画史、経済史、政治史と色々ありますが、戦争と不可分なのは当たり前のようなことでしょうか。ピカソだって「ゲルニカ」を描いて居りますし、現代文学も第二次世界大戦抜きでは語れない所があります。今の日本人は「平和ぼけ」しているかもしれませんが、世界のあちこちでは今も紛争が絶えないのですね。平和ぼけと言われようが、日本の政治家が頑張ってくれたお陰で、平和を満喫していることが出来るのだと思います。しかしドイツ人から見ればこの日本は様々の縛りが多く感じられて、息苦しく感じられるそうです。ドイツ人はアウシュビッツを忘れまいとしているようですが、本当は楽天的な国民性のようでもあります。勤勉実直な反面ですが。合理的だから楽であるのかもしれません。日本人は合理性に欠ける所がありますから、縛りを作ってしまうのかもしれません。経済史、政治史は戦争とは切っても切れないご縁でしょう。

 ところでそういった合間にも人というものは愛だの恋だの言っているものです。今日NHKFacebookを見ていると、「軍師官兵衛」のことが書かれてありまして「初陣そして初恋」とありました。「戦争と平和」ではありませんが、やはり戦争の合間にも人は愛だの恋だの言っているものなのでしょう。この大きな両輪が世界文化を作って来たのかもしれません。そして忘れてはならないことは食文化です。子供の頃わたくしは日本のと言いましょうか母の作る家庭料理をあまり食べることが出来ませんでした。でも今は母の作るものは何でも食べます。日本の家庭料理は高齢者向きなのかもしれません。さっぱりしておりますから、外国にいると無性に食べたくなるそうですが、若い人でもそう感じるようですから、日本人はよほどカロリー低めなのでしょうか。先日テレビでパエリアだのご飯具材のパプリカ詰めだのヨーロッパのご飯料理で家庭料理がありましたが、日本人はお米そのものを炊いて食べる珍しい国民なのかも知れません。勿論味ご飯もありますが、ご飯そのものを美味しく出来ただの失敗しただのと言っている国民は変わっていると言えば変わっているかもしれません。でもやはり茶の湯の世界にも通じる素材を味わうという点では日本料理は一番かも知れません。それを言うなら北極に近いエスキモーの人々がアザラシのなま肉を食していたのはどうかと言われるかもしれませんが、あれは料理ではありません。あれはただの食べ物です。これは他文化を知らないということかもしれませんが、お腹を満たすだけならば、料理とは言えないような気がするのです。暴言失礼つかまつりました。

 もすぐ五時です。暫くすると夕食です。また母の手料理を食することが出来る喜びを感じます。この地はわたくしの義務教育の時代までは確かに表日本と言われていましたが、最近の気候は裏日本化して居り、今日はこの地は曇りです。洗濯しましたが、一日では乾かないことでしょう。家には乾燥機がありませんので冬や梅雨時は困ります。でも洗濯は洗濯機がやってくれますし、干したらつり下げておけばいいだけなのではありますが。干したり畳んだりが大変と言っていたらもう切りがないですね。最近はお掃除ロボットまで出来ましたが、人の言論まで或は行動までお掃除されるのはご免被りたい所です。やはりオリックスのカードを取得することは出来ませんでしたが、見てろよオリックス、という感じですね。まあタイミングが悪かっただけでしょうが。わたくしの知ったことではありませんから。大きな客を逃してしまった後悔を味わうことになるでしょう。政治家絡みだったらわたくしは赦さんぞ。たったの四百万ぽっちのカードをどうこう言う気かという所です。

 昨日は一日、外で働いている家人の顔を見ませんでした。朝は早くに出、夜は遅くに帰って来ましたので、見ることが出来ませんでした。今朝もみませんでした。今晩は是非見たいものです。後一時間もすれば夕食は出来ているでしょう。もうブログは書いてしまう所ですから、後は読書に時間を取りたいと思って居ります。その合間に家人の顔が見たいのですが。先に食べているかもしれませんがニュースなどを見ている間に帰って来ることでしょう。わたくしも将来に備えて、お料理をシミュレーションしておかねばなりません。作ればいいじゃないかと言われそうですが、それはわたくしだけの問題ではありませんので出来ないのです。

 最近のNHKは政治色がありません。人の顔を見て言わなくても言えばいいじゃないかと思いますが、そこら辺が日本のマスコミの弱い所ですね。ジャーナリズムなんだから、お天気の話ばかりしていないでガンガンやりゃあいいのです。今の日本が言論の自由を奪われているとは到底思えません。自分から身を引いて行くことは止めてもらいたいものです。多様な人々のそれぞれに訴えることを報じれば良いのではないかと思います。本来ジャーナリズムは大人には出来ないことかもしれません。大人は大概保守的になって居りますから、パンチの効いたことは出来ないかもしれません。アメリカ合衆国の公共放送を参考にするのはいいことじゃないかと思います。あれは大人の遣り方ですが、若い大人です。いい塩梅です。パッ君が一度英語の勉強にジム・レーラーの番組を素材にしようとしていましたが、わたくしには難しそうで遠慮して居りました。面白そうでしたが。彼の国には大統領史研究家という人々が居り、フーンと思ってみていましたが、それぞれ国によって違うのだなあと思い知らされました。最近は殆どテレビを見ないのでよく知りませんが、9.11はアメリカに取って大きな不幸でした。あの頃ジャーナリズムが冷え込んでしまいましたが、今はまた以前の状態を回復しているのではないか、というより賢くなったのではないかと期待しています。一体この文章にここまで付き合ってくれる人がいらっしゃるものやら分かりませんが、ここでいい加減に終わることといたします。