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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

初めての経験

 わたくしはこの度初めて自分に正直な選択をいたしました。それは自由な心から出てくるものでした。軽やかなとも言えますでしょうか。なぜ人々は物事が成り立って行き、わたくしは一人相変わらずであったのかが分かりました。常識の固まり、固定観念の固まりであってはならない場合が多いということが言えそうです。新しいことは常識破りで始まるものでした。

 朝起きると大きな窓のカーテンは開けますが、小さな窓の方のカーテンはずっと開けないでおりました。そして今日、久々に開けました。さすがに明るいです。2005年までは確かに開けておりました。いつ頃からか開けなくなったのか、自分でもよく覚えませんが、自分の心を閉ざし始めた頃からだろうと推測されます。その間、陽動では何事もなかったようにしておりましたが、内心では様々に移り行きました。

 誰もが自分の幸福を追求する権利がございますが、わたくしは自分の不幸を背負い込んでおりました。それなりに家庭生活は細やかながらいいものでしたが、「私の人生おわた」状態でした。この歳になって恥ずかしい気もいたしますが、やはり愛だの恋だの言っている方が幸せです。愛や恋は固定観念や常識があってはできないものであるのかもしれません。ある方のブログで、すべての人が恋愛出来るとは限らないと、恋愛出来ない人も多いのだと書かれてありました。

 「私の人生おわた」状態でもリセット出来ることも学びました。このリセットをする為には人様のおっしゃることに向き合うことができなければならないような気がします。自分を閉ざしていては何もできないと思われます。わたくしがそうでした。自分自身に関することならば幾らでもやってみせることも或は可能かもしれませんが、人様との関係はそういう訳には行きません。関係を取り結ぶ為には自分を開かねばなりません。わたくしはカーテンを開きました。布のカーテンですが、わたくしの心のカーテンはそれこそ鉄のカーテンだったかもしれません。でもその鉄のカーテンを開きました。そうすると自由な心持ちが、いや勝って感じられました。軽くなりました。そしてそれは自分一人ではできなかったことでした。人様の助け舟を受け入れることに拠って初めて出来たことでした。

 それと同時に人から何と言われようが構わないという気概も必要かもしれません。そういう思いでさえ人様からお教え願ったことでもあります。入れ子状態になっていると言ったら良いでしょうか。これから様々の困難が予測されますが、必ずや成ることと思います。その為に心を開いたのですから。自分が幸福になると人様の幸福も考えます。自分の一人勝ちでは何事も良くは成らないでしょう。自分の幸福と他者の幸福と計りに掛ける必要はないかもしれませんが、やはり両方が必要だと感じます。

 人を赦し忍耐することに拠って幸福は得られるものだとカレンダーにも載っておりました。なるほどそうだと思います。人を憎む心は或は必要な場合もあります。それは正義が通らなかったり、公憤を覚えるような時に限られるでしょう。それ以外で人を憎むと良いことは何もないような気がします。今までわたくしは人様を憎んでいたかどうかと申しますならば、憎んではおりませんでした。ただデフォルト状態だったのでした。何もしないということも、物事を進展させない要因であります。

 実に本も読み街にも出なければならないのかもしれません。あの方は過激に過ぎますね。これも常識でしょうか。書を捨てることはやはりできません。書物には普通典拠があるものです。しかしわたくしは自分の学生時代、レポートを書く時にも典拠しませんでした。そしてそれを公然とできる人がまたいらっしゃるのです。本物のナンバーワンなのです。でも自分の頭で考えるということに関しましては、小規模も大規模もないでしょう。わたくしは学生時代、就活をいたしませんでした。デフォルト状態でした。そんなわたくしにある先生が論文でも書いて持って来てご覧とおっしゃられました。それは必ずしも、仕事にありつくことができなかったからではないと感じておりました。わたくしの書くものはある程度認められていたのだと感じます。当時は長い文章は書けませんでしたが、今は小説など書いております。まだ芽は出ておりませんが、才能は認められているかもしれません。

 その先生には未だに論文ではありませんが小説のご講評を願っております。わたくしは先生方に恵まれて参りました。友人にも数は少ないながら恵まれて参りました。そして家族にも恵まれました。そんなわたくしは病気持ちでありますが幸福です。多幸感のある病気じゃないかと思われるかもしれませんが、そうでもないのではないかと思います。もうすぐ実現するであろうことはひしひしと感じられます。自分に正直になることがこんなに幸福なことだとは思いも拠りませんでした。そして自由です。こんなに自由を満喫出来る国もないかもしれません。先日自由だろうかと書きましたが、誰でも、よそでは遠慮するものです。でもこの日本国を選んでくださる外国人だった方もいらっしゃるのですよね。

 日本人は外国人をお受け入れすることが苦手かもしれませんが、自分が外国に赴くことも下手かもしれません。でもわたくしは今後あちこちにパートナーと一緒に出かけることになるのではないかと思っております。せめて英語くらいは出来なければいけません。お恥ずかしい話ではありますが、外国の方からも知られているわたくしではありますが、英語を話せないばかりに関係することが出来ずにおりました。少しばかり勉強しなければなりません。Googleの日本語訳も下手ながら、堂々とネット上にあります。わたくしも下手であっても何とか通じ合える程度にはなりたいと思っております。

 外国語が下手なのは日本語が優れているという訳ではないのかもしれませんが、一か国語には精通していなければ外国語も上手く行かないことでしょう。そういう訳で日本語をわたくしは愛しております。でも何十年と生きて来て、外国語の一つも出来ないというのはどうかと思います。わたくしはこれから忙しくなるかもしれません。でも無理は出来ない者ですから、やり過ぎには注意しなければいけません。

 入浴剤にリラックスとリフレッシュがあることを先日書きましたが、リセットも必要だなと感じます。パソコンは初め触るのが怖いものですが、わたくしは未だに怖いのですが、それでもいつでもリセット出来るように出来ておりますね。そのように柔軟性のあるところが優れていると感じます。でもそのリセットの仕方を知らないとなかなか思うようには参りませんが、そこにもちゃんとヘルプがございます。そのヘルプを見たくないわたくしなのですが、そこに実生活でも人様の助けを受け入れきれなかった大きな繋がりがあるように感じます。これも言葉の壁があるのかもしれませんが、ちゃんと日本語で書かれてあるにも関わらず、ですが、パソコン用語はもうちょっとどうにかならないものかと感じます。でもそれこそ英語を知らないということですから、勉強しなければなりません。

 ブログをここ二日間くらい書きませんでした。書く気はあったのですが、時間がありませんでした。時間がないというのは弁解がましいですが、実際夜中の三時だの四時だのかかって、何事かやっておりました。これも不勉強の所為かも知れませんが、パソコンをいじくっているとそうなるのは何方もご経験がおありなのではないかと存じます。まだ一月だったという思いがよぎりました。不意に小説の締め切りを思い浮かべました。でも今回一月中が締め切りでどうにか間に合ったばかりでした。ぽつぽつ書いておかないと、また締め切りが迫ってどうにかなりそうな気がしてしまうかも知れません。同人の方は新聞記者上がりで締め切りがないと書けないようなことを言っておられましたが、わたくしはそうではありません。せき立てられるといけないのです。これは誠実な心の反映かもしれませんが、その誠実さを買ってくださる人もいらっしゃいます。

 postメイラーが続々とやって来ております。そろそろここを切り上げて、mailの方に移りたいいと存じます。それではここまでお付き合いくださり有り難うございました。