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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

カラバッジョ

 今日、カラバッジョの画集をパラパラしていた。一瞬の表情を切り取ったようなその画風は、官能、狡猾、おバカさん、後悔、招命、病、健康美、死、悲嘆、などなど、聖なるものから俗なるものまで網羅されている。人だけではなく、物、特に果物と液体の入った瓶など、はん祭図風な生物と、見ている者が息を呑むような人物像のクリアな色使い、光線の効果など、後々の画家達のお家芸がぎゅっと詰まっている。あまり見たくない表情だったり、場面だったりするが、率直に描いている。真実という言葉が思い浮かぶ。その人の人と成りが暴露されていたり、ここまで描くかと言いたくなるくらいに描写されている。マタイの招命の場面などは、キリストは寧ろ背後に追いやられて、マタイのお金を数えている姿がクローズアップされている。西洋絵画にはよくあることだが、時代錯誤を敢えてやっている。つまりフランチェスコなどの聖人がキリストの誕生の場面に立ち会っていたりする。聖人は聖人だが美しくは描かれてはいない。そこら辺の人に後光を付けたといった感じである。しかし、愛すべき人々といった愛情が籠っている。聖家族は伝統的な心構えで描いている。特に私情は挟まないといった感じである。旧約聖書の外典に出て来るユーディットの表情はあまりにも美しい。男の首を切っているのにである。わたくしはカトリックなので外典とは思わないが、日本の普通の本屋さんで売られている聖書には無いからそういったまでであるが。

 カラバッジョには芸術家の魂が宿っている。真実を追究するその姿には感動を覚える。だから顔を背けたくなるような表情や場面に出会すのである。カラバッジョはものの見方の先生である。また生徒である。誰から学んでいるのだろうか。盗むのではないだろうか。誰々からとは言えないが、盗んで考えて学んでいるような気がする。やはり観察眼はあるのだろうが、偽善者だったら描けないような所を描いている。勿論わたくし自身、カラバッジョから教えられる所、大である。わたくしは絵は描けないが、文章を捻くっている者として、カラバッジョの姿勢には感動を覚えずにはいられない。おそらく、下品にして崇高なのだろう。このようなことはダ・ヴィンチにはあり得ない。ダ・ヴィンチにはその良さはあるが、彼は高貴である。また線描では様々の表情を描いているが、或は人々を描いているが、型破りではない。ミケランジェロにしても、自分の姿を醜く描いているに過ぎない。カラバッジョは実に下品である。そこがいいのである。病めるバッコスなど実に下品である。一方で健康美溢れるバッコスも描いてはいるのだが。しかしそこには官能も忘れられてはいない。官能というものは健康であるのかもしれないが、つまり魅了するには健康的なのが好まれるだろう。目から入ってくるものは特に。病めるバッコスと健康なバッコスとを比べると、病めるバッコスには目を背けたくなるし、健康美あるバッコスには官能を覚えるので恥ずかしい。さりげなく官能の象徴である葡萄が描き込まれていたりするが、神々は細部に宿るという言葉に象徴されるかと思えば、なんか足りないんじゃないかと思えるように、光線の具合はあるが、人々だけで構成されていたりする。光線の具合と言えばレンブラントが思い出されるが、彼もカラバッジョを見ていたのだろうか。よくは知らないが通底する所はあるようだ。彼は自画像を克明に描いているが、カラバッジョの衒いの無さとは違うものを感じる。そして彼カラバッジョは自分は描かないで自分が現れている。そうして普遍的な人間像が出来上がっている。

 たまたま一冊あったカラバッジョの画集を手に取って思わされたことだが、やはりただ人ではない。本分は若桑みどりさんの翻訳だった。文字の部分は殆ど読まなかったのだが、早々とあの世に逝ってしまわれたので、放送大学で講義を聴きたかったのだが、間に合わなかった。メディアにもよく登場されている方だったが、わたくしがパソコンを持ち始めた頃にはまだ生きておられた。返す返すも残念だったが、様々な方面で活躍されていたようであった。フェミニストの側面もおありだったようだ。あのような風貌でいらっしゃったが、結婚の経験もありお子さんもいらっしゃったようである。男勝りというのであろうか、そのように感じられたが、女の情念のようなものも解されるような所がおありだったのではないかと感じた。ここまでくると殆ど歌謡曲の世界だが、今頃わたくしは昭和時代の歌謡曲に興味がある。歌詞が面白いのである。曲ものどかである。激しい感情を歌っていてもやはりのどかである。郷愁を感じるのだろうか。だから激しくてものどかな感じがするのだろうか。一番嫌いだったものが今頃になって気になるようになって来た。わたくしも堕落したのだろうか。恥ずかしい言い方だ。堕落しているに決まっているではないか。さて、日付も違ってしまったので、休まねばならない。今日は外出している間に新しいテレビと洗濯機が届いていた。今日も読書が出来なかった。このような駄文を書いている間に読めばいいのだが、カラバッジョを見たからには書かねばなるまいと思った訳ではないが、書いてしまった。少ししか書けなかったが、今晩はこれで終わることにいたします。