マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

時の経つのは

 時の経つのは速いようで遅く、遅いようで速いです。前回からもう10日も経っておりました。内容は編集致しますが、日時までは編集しません。多分。今まではそうでした。これからも多分致さないだろうと思われます。1日過ごしていると時の経つのは速く感じます。しかし日にちの経つのは遅く感じておりました。しかし、ブログを書いていると、書いたと思ったらもう数日経っていることはよくあり、今回などはもう10日も経っておりました。こういう風に言うと、充実しているとかいないとかということになりそうですが、あまり関係ないように感じます。大概の人は無意識にでもバランスはとっており、ことの大小を上手く優先順位を付けたりして凌いでおります。寧ろ意識していたらバランスはとれないように感じます。今やらなければならないからという風にやっていると意識が働き、却って時間をやりくり出来なくて心身の不調をもたらしたり致します。パソコンを弄くっていると案外そう云う状態に陥ります。今も無意識に時計に目をやりました。時間は大丈夫かという訳です。このブログを今夜中に仕上げられるかどうか意識が働いたのです。意識が働いて無意識に目をやったというのは可笑しいでしょうか。可笑しいかもしれませんがそういう風になっております。寧ろそれがバランスというものではないかと思われ勝ちですが、バランスは刃境にありますから案外そう云うことかもしれません。

 内容面で自分から発信されるものは、ほぼありません。誰かの書いたものに触発されて書くことも多いのです。独創的な人というものはいらっしゃるものですが、そう云う方々は、どこから取ったということが判然しないように書くことに長けておられます。しかし人間は社会を構成しておりますから、社会の何事かに触発されるということは当たり前なのです。出来事に触発されたり、人の書かれたものに触発されたりと、様々です。そして今はオリンピックも終わろうという所で、選手達のあれこれに感じ入るということがありまして、書いておられる方も多いことでしょう。番組に感想を書き送るという仕組みになっている番組があり、一般市民が公共の場に躍り出る瞬間となっております。健康的ですね。それが自分の考えしか持ってはならないという思い込みに支配されると、閉じこもってしまって却ってよろしくないです。そう云う風景は昔カフェで見られたかもしれませんが、彼らでさえお互いには刺激し合っていたのです。全く一人ということは、あり得ません。ご飯を作って持って来てくれたり、何かと世話になるものです。人間は一人では生きて行けません。一匹狼ということはあり得ません。どこから始まりどこで終わるのか分かりません。

 今ラジオをつけました。二ュースがあっています。言葉を聞くと自分の考えがまとまらないかもしれないと一瞬不安になりました。今十時を過ぎた所です。10時のニュースだと語られたので分かったのです。その後時計に目をやりました。目で確認という訳です。こんな風に連綿と繋がって行きます。今ロシアの選手の名前を読み上げるアナウンサーが間違わないように一所懸命活舌しました。今は多分アイスホッケーの話かと思いますが、違うかもしれません。今は野球のキャンプの話で、次に大リーグの話のようです。移り行く話です。わたくしは「移り行く心」という小説もどきを書きましたが、主人公の父親はある大学の学長がモデルです。でもその方の私生活は全然存じ上げません。ただそういう人がいるという存在感だけがあったのです。その小説を書いてからその方は度々地方ニュースですがメディアにお出になることが増えました。その方がわたくしにものを書かせ、そのことによってその方がメディアに登場することが増えたという循環があります。その方がどういう家の方なのかを知ったのは知人の言に拠りました。その方が主人公ではありませんが、脇役ですがいい味が出せた気がしております。

 今400字詰めの原稿用紙にして4枚強書きました。この画面の下方に文字数が出て来ます。以前「マリーゴールドの幻惑」を書いていた時よりも随分開発が進んだようです。技術の進歩というものも、独創と影響の両方がありますでしょう。ここにもそういうバランスがあります。それにしても様々の機能があるようですが、わたくしには使いこなせません。簡単に難しいことをするという感じですが、あまり弄くっていると取り返しのつかないことになりそうで、最低限の所でやっております。若い頃というもは何も資本のない所にあります。歳の行ったものから見ると、若者は無知に感じます。若者からすると歳の行ったものは、胡散臭いものに見えます。今自分がどちらにいるのか、その所属に拠っても変わって来る年代でもあります。50代半ばのわたくしですが、働き盛りの人々からするとばあさんでしょうが、わたくしの所属しております同人誌の中では最年少でありまして、色々とご指南頂きやすいものです。有り難いことです。ラジオの番組では30近い20代の若者が、年寄り扱いされています。微笑むことしか出来ません。本当はブッスラしておりますが。ここまで書くのに1時間半かかりました。5枚は書きました。無駄に長く書く技術はついて来ましたが、内容は伴っていないかもしれません。以前のブログでは自分の殻に閉じこもって書いておりましたが、後で聞いた所によりますと、随分お人に慰めを与えていたということでした。嬉し恥ずかしですが、それならば何時かもう一度書こうと思いまして今がある訳です。書き始めて2ヶ月弱ですが、無理をしないで書いて行こうと思っております。

 もう6枚になんなんとしております。時間も迫って参りましたので、今日はこの辺りで終わることに致します。なかなか本題には入れずに玄関口でぐずぐずしているようなものですが、目も霞むような年頃になって玄関口はないだろうと自分でも思いますが、なかなか読書も捗りませず、こんなことを書いてごまかしております。胡散臭い大人に見えることでしょうか、無知な若いもんに見えることでしょうか。これってバランスですよね。人間は今の自分が一番良いと思って生きて行くものです。というのは年寄りの言です。若者は今が最悪と感じるもののようです。少なくともわたくしはそうでしたし、そうであります。今日自分が如何に紛らわしい文章を書くものであるか、つくづくと思い知らされました。人に誤解を与えるようなことばかり書いているなと感じました。それで相手を馬鹿者扱いしがちであります。それは小説を書いている時にもあります。それで人様の目に如何に映るものか、若輩者に取っては指摘されるうちが華であると思いまして、妥協することを覚えました。妥協するということは軟弱にも見えますが、現実的でもあります。それでは一応パラグラフのバランスもとれて参りましたので、本当にこの辺りで終わることと致します。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。