マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

月一

 月一のペースになって参りました。今後はもうちょっとインタバルが短くなるかもしれません。色々することが増えるかもしれないので、やはり難しいかもしれません。でもはてな市民でいられるくらいには書けるかもしれません。今はまだはてなの市民権はとってはいないかもしれません。まだちょっとしか書いてはおりませんので。前置きはこの辺にして。

 お金というものは魔性のものです。でもそれから解放されるということも出来ます。なくて元々と思えばいいのです。わたくしは今のところ貧乏人です。それなのにカード会社の宣伝がしつこく出て来ます。わたくしはセディナの方々にお世話になっておりますので、そこから変わろうとは思ってはいません。以前ちょっと乗り換えようと致しましたが出来ませんでした。お金があると思い込んでいたのでそうしたのです。でも障碍者年金生活者のわたくしをセディナは差別せずに入会させてくれました。障碍者差別撤廃法の出来るずっと前からです。そのお陰でパソコンんも持つことが出来ました。パソコンを持つようになったのは、一時疎遠になっていた人から障碍者は情報貧者になりやすいからという言葉を聞いたからです。そうでありながら自分でググルことの少ない者で、人様に頼りやすい者です。ググレカスという言葉はわたくしの為にあるようなものです。まだまだ紙媒体に頼りやすいものです。本も電子書籍は買いません。電子書店を利用したことはございます。子供の頃からずっと本屋さんに行って本の背表紙を眺めるのが好きでした。でも今は本屋さんにもめっきり行かなくなりました。持っていながら読んでいない本が多いからです。そして何か勉強している時には、図書館から借りることが多かったのです。

 誕生日を必ず祝ってくださる知人がいますが、一万円の図書カードを3枚ばかり頂きましたが、使い切れてはおりません。またあろうことか図書カードの使えない古本屋さんで目分量で使ったりしました。その古本屋さんはどこにも引き取り手のないような本を受け入れてくださるところです。またしてもあろうことか雑誌を引き取って頂いたことがあります。只ででもいいから引き取ってもらいたかったのですが、買い取ってくださいました。たまたまその一冊が芥川賞の受賞作が掲載されていた号でして引き取り甲斐もあったかもしれません。雑誌掲載と単行本とでは違ってくるところもあったりしますから。後々の研究文献としては価値があるかもしれません。でも正直のところ芥川賞は新人賞で登竜門ですから、大した作品ではないことも多いです。それで芥川賞受賞作なるものを初に読んだのでした。いや二度目です。もう一冊は「赤ずきんちゃん気をつけて」を単行本で読みました。言っちゃあ悪いですが実に駄作ばかりです。池澤夏樹さんが仰ってましたが、日本の近代文学は大嫌いで読まなかったと。わたくしも以前はそうでした。でも今頃の小説を読んでいると、まだ近代文学のほうが読み応えがあります。最近のは頭を使わずに読むようなものばかりです。その点近代文学は頭を使います。19世紀の世界文学も然りです。ドストエーフスキーやゲーテプルーストなどの新訳が出ているのは画期的なことですが、そのような文学作品が売れるということは、日本人もまだまだ頭を使って読みたいのが本音ではないでしょうか。

 「竹取物語」や「伊勢物語」や「源氏物語」では和歌が多く折り込まれております。それらは全部作者自身が詠んだもので立派なものです。わたくしには和歌の素養がないので、引用させて頂いて小説を書いたことが2度ばかりありましたが、それでも難しいと言われました。日本の古典は実に立派です。「源氏物語」に至っては現代語訳が幾つもあります。学者以外に歌人や作家が訳出しもしました。わたくしのパートナーになる人はお坊っちゃまなので和歌の素養があります。初恋の人もそうであったようです。彼らはわたくしの小説のファンでいてくれてるようです。初恋の人をモデルに書いていたときには、今のパートナーとなるべき人は全く興味ありませんと言いながら読んではいたようです。初恋の人をモデルにしなくなった作品からは、今現在よいと思われる作品が多少あります。処女作は別として。処女作は完成しておりませんでした。でも途中でアメリカの大学人に買われて行きました。2作目も似たようなことがありました。3作目は仕上げることが出来ましたが、ポルノめいたところがあったので知る人ぞ知る程度です。そう云えば3作目は今のパートナーとなるべき人の親子がモデルです。モーリャックの作品を下敷きにしながらですが。それを書き始めたときには初恋の人がやきもちを焼いておりました。

 今年は大村純忠公の記念の年だそうですが、以前彼の存在を借りて初恋の人を書きました。彼が奥さんをどんなにか愛していることかと、わたくしがやきもちを焼きながら書いておりました。それも和歌入りの作品でした。古今集から引用しました。綺麗には出来上がっておりません。それを原稿用紙で読まれたのは同人誌の同人の方だけです。ネット上で読まれた方は或はいらっしゃるかもしれません。わたくしの作品は最初からネット上で読まれていたようです。パートナーとなるべき人はネット上で読めるのにわざわざ紙媒体を買って読むなんてばからしいと言いましたが、こちらからすると損なことです。最近政府はネット上で読めるものにも課金するというようなことを言っておりましたが、如何なされるのでしょうか。「べき」には4種類の意味があることはご存知ですよね。どれを使っているかは考えてお読みください。わたくしは親切ではないでしょうか。太宰治森鴎外のことをどこかで親切だと書いていたようですが、鴎外は近代小説と言えるようなものでは揮いませんでした。逆に史伝では確固たる地位を占めています。彼の史伝は難しいです。親切ではないのかもしれません。でも読む人の身になってはいないなどと言えるでしょうか。読む人は書いている人から何事か学ぶものです。共感ばかりではなくて、教えられることも多いはずです。わたくしから教えられることはあまりないかもしれません。書く暇があったら誰でも書けるようなものしか書いてはいないと言われますから。それでも自分で読み返してみると、本当に自分が書いたのかと疑いたくなるようなことはこの身にも起きます。谷川俊太郎が言った意味でです。

 わたくしは妄想の固まりですが、その妄想力のお陰で書いているようにも感じます。従兄の精神科医にアンテナが多いと言われました。彼は本好きで、仕事が大変でも家に帰ったらちゃんと読書していました。音楽も好きで自宅に音響設備の整った部屋を持っておりました。カメラに凝ったり様々な物事に関心を持っています。そして名医です。長い間会ったこともなかったわたくしの病状を一発で言い当てました。今のパートナーになるべき人もわたくしのことを誰よりも理解してくれています。わたくしのことならなんだって知っていると豪語しました。知らないことが一つ二つありました。それは彼の所為ではありません。わたくしが他の方のことを考えて一言も申さなかっただけですから。

 多分わたくしはアンドロイドを用いることはないかもしれませんが、Google+もパソコンでのみやることになるでしょう。机に齧りついているばかりじゃ良くないと言われますが、アンテナは多くてもフットワークはそれほど良くはないので、あまり外にまでもって歩くことはないと思われます。わたくしは昭和時代に育った大人ですから、人様からのmailにすぐに返事しなくても平気です。向こうから来るのが遅いと気になります。自分勝手ですね。でも忘れた頃にやってくるのですよね、幸いも災いも人様からの連絡も。今日一カ所珍しく携帯電話でmailしなければなりません。電話でなくてよかったです。わたくしの電話代は高くつきます。mail代はあまりかかりません。家族がそのようにしてくれました。mailをよく使っているようだと思ってそうしてくれたようです。たまたま話の長い人に一度掛けたら、それは高くつきました。でもその話をしているときには楽しかった、そう思っております。まだお八つをとっていません。家は夕食が遅めなので、お八つも遅めで大丈夫ですが、何か頂くものがあったでしょうか。昨日家人が職場から貰って来たものがありますが、それにありつけるでしょうか。それがダメならあれでもいいや。あれってなんでしょうね。パートナーになるべき人には分かった模様です。何でも知っていますからね。

 今日は一日曇っておりました。もう大分寒さは遠のいたとはいえ、やはりシャワーでは寒いです。三寒四温の時期でしょうか。明日までは寒いようです。4月13日はご復活ですが、古い信者さん達はご復活が過ぎないと暖かくならないと仰っていました。ご復活の日取りはその年によって違いますが、大体そうなのでしょう。わたくしは無駄に長く書くようになりました。四百字詰めの原稿用紙にしてここまで9枚以上書きました。「マリーゴールドの幻惑」時代には3、4枚がせいぜいでした。それを4時間くらいかかって書いていたときもありました。今はせいぜい2時間強で書きます。下書きを書いてから書くという方もいらっしゃるようですが、わたくしはそのような真面目さは持ち合わせておりません。多分10枚近くで終わることと思いますが、早く書き終わったらお八つを頂きます。パラグラフのバランスもあまり良くないのですが、バランスも考えねばなりません。プロを目指しているのですからそれくらい致さねばなりません。書き終わりは丁度10枚くらいになると思います。それではここまでお付き合いくださってありがとうございました。