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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

たとえば、君がいるだけで♪

 例えば、「万歳君を好きで良かった」という歌があるが、これを聴いたときに人は心の中でどのような立ち位置で聴くだろうか。男と女とではまた違うだろうが、わたくしが女なので女の立場から言うと「君」を自分のことのように感じるだろうか、それとも誰か他の人を思い浮かべるだろうか、一般的な女性を思い浮かべるだろうか。歌というものは感情移入して聞くのが普通だと思うが、この歌を作った人は有名だが自分とは何んの関わりも持たない。しかし「君」と歌われるときに自分のことのように思わない人というのは珍しいのではないだろうか。世の中で一番ブスだと自認している人ならともかく、そういう人もまた少ない。大概歌というものは自分の歌になってしまう。たとえその人が恋愛経験がなかったり、少なかったとしても。人の心の中には誰かに恋した、好きになったということはあるだろう。また自分以外の意識している同性のことを考えるという場合もあり得る。一般的に感じるということはまずないように思われる。それをするのは学者くらいであろうか。しかし学者も人の子、人を好きになったことがないと研究もできないだろう。

 おすぎとピーコという双子の方達がいらした。どちらがどちらかわたくしに区別はつかないが、そのどちらかが、わたくしが恋をしていた最中に失恋していたようだった。失恋というと嫌なことに感じるが、わたくしにはそのじっと耐えている姿が美しく思われた。人を好きになったらその好意を裏切られることがある。多くの人が経験することだろう。誰も一番好きな人が自分に振り向いてくれるとは限らない。大概人は失恋を経験する。わたくしも失恋ならば何回かした。あまり深追いはしない質だし、それに何か言い交わした訳でもなかったので、本当の失恋とはいえないかもしれないが、多くの人が経験する淡い恋心を断つのをじっと耐えるということはあった。恋愛している人も美しいが、わたくしは失恋している人の姿も美しいと感じる。

 学生時代、客員でいらしていた日本中古文学の先生が言っておられたが、わたしは文学を研究しているから、この人は今恋愛しているかどうかということはすぐに分ると言われた。しかし恋愛の効用は文学研究に留まらない。科学の研究者でも人妻と恋愛して揉まれながら研究していたという方もいらっしゃる。効用と言うと人聞きは悪いが、実際恋愛は発奮材料にもなるし、もっと不健康にも怪しい思いを抱きながら何かをすることによって名作は産まれたりする。ショパンだって身体の不調がありながらもサンドと恋愛していたときに数多くの名作を残した。作中人物ながらホームズだってある事件に関係した一人のご婦人を心の中に生涯大切にしまっておいた。あのホームズがである。そのような秘かな思いが何とも人間のかわゆい所である。だが人を好きになるならば努力をしなければならない。その人に振り向いてもらいたい好きになってもらいたいと思うならば、少しでも自分んを良くしなければならない。それは例えば何かを勉強するということや、生活態度を変えるとか、身綺麗にするとか、性格さえ改変しようとする人さえいる。

 努力だけでも結果にそれほど現れなくても、努力していることだけは分るものである。わたくしは一度自分では身綺麗にしていたつもりが人様から見るとそう見えなかったらしくてえっ、それで、といった眼を向けられたことがあった。でもわたくしはその頃わたくしより10歳年上の人に恋していたので少々のグレイヘアはいいかなと思っていた。しかしそう見ない人もいらっしゃった。それから失恋したのでグレイへあのままだったが、近年また恋をし始めたので今は自分で染めている。あまり良く染まらないのだが、回数が少ないこともあるかもしれない。結婚した方でも髪を染めるのが似合っている人もいる。グレイヘアで素敵な人もいる。熟年の恋ならばグレイヘアでもいいかもしれないが、それは相手による。相手がグレイヘアよりも染めた髪がいいならば染めるだろう。染めなくても平気或は染めない髪が似合っている人ならばそれでもいいだろう。

 わたくしの今恋している方はグレイヘアはあまりお好きではないようだ。だから回数は少なくても染めている。えっ、それでといった顔をした張本人だからである。つまり以前恋をしていたことを話して聴かせたその方を今恋しているからだ。わたくしよりも若いかもしれないその方のことをわたくしは今恋している。年下はあんなに嫌いだと言っていたこのわたくしがである。この恋は実るだろうか。実ったら最初で最後の本当に関係を持った恋愛になることだろう。今までは片思いばかりしてきた。或は恋を打ち明けなかった。いや、この前の人にはネット上でそういった気持ちを書き表したことはあったが、あくまでもネット上である。今回の方はネット上ではそうそう簡単には答えない人である。だがわたくしは一方通行であっても告白し続けている。殆ど他愛ない内容だが、ちゃんと愛しているとも書いた。それはGoogleの人しか知らないその方と二人だけの限定共有の場である。限定共有なっているということはやはりもう実っているのだろうか。そうかもしれない。ブログは書いてみるものである。歳は下でもわたくしよりうんと大人になられたその方と二人暮らしができたらなあ。ここまでお付き合いくださっておりがとうございました。