マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

待宵草

 何事か実現しないものかと心待ちにしているときには実現しないもののようです。焦るのを止めて気を長く持った方が精神衛生上もいいし、冷静になれて賢く振る舞うことができるでしょう。心待ちにしているときには自分が見えていなかったりするものです。気を長く持つと言っても諦める訳ではないし、現実が見えてきて実現させる為にはどうしたらいいか見えてくると思います。一歩一歩進むとはこのことでしょうか。「見つけるのを止めたとき、見つかることもよくある話で♪」とあるのに似ています。

 背中にデキモノがしました。それを切ってもらいました。血膿はまだ出てきますが、三、四日病院に行くと診察の間隔が大分空くようになってきました。普段は家族に血膿を出してもらい、消毒して絆創膏を貼ってもらいます。背中なので自分ではできないのです。こういうときに家族などがいるということは本当に有り難いことです。家族の有り難さを知ったのも、家族を疑い不信感を持った経験があるから、寧ろ何かの折にふっと分ってくる感じがしました。作用反作用はセットになっているようです。

 また自分の考えだけではなくて人様の助言を聴いてみることもいいのではないでしょうか。そういうときにはどこか間違っているような気がするものですが、自分の感覚だけでは万全ではありません。自分の考えだけの方が万全感はあるものですが、自己過信もあり得ます。騙されたと思って人様の助言に耳を傾ける必要が出てくる場合もありましょう。いやいやながらでもその方がいい場合もあります。自分を信じるのもいいことですが、自分で完結することはあまりないものですから、やはり他者の目も必要でしょう。

 自分一人になっても生きて行けるようになることは出来た方がいいです。しかしその裏腹に人と共に生きて行けることが人間には求められていることではないでしょうか。自立と共存は表裏一体でしょう。個人的にはわたくしはまだ自立しているとは言えません。でも人様の助言を聴く用意はできております。それで半分は達成できているような気が致します。多分、今度も大幅に譲歩する必要が出てくるのではないかという事案が控えております。

 案外一発で良いということになるかもしれませんが、小さな字の間違いとか表現を変えるとか、その程度に治まりそうな気が致します。いや多分、大幅譲歩でしょう。あまり時間はありません。どの程度書き直せるものか分りません。枚数に制限がありますので大幅譲歩となるとかなり難しい作業になります。まず全体が認めてもらえるかどうかも分りません。何故今なのかとよくいわれます。しかし今がそのときだからということもありましょう。

 永遠に今は今なのです。ですからどこかで区切りを付ける必要があります。人間は人間以外の動物にも及ばないくらい不完全です。人間以外の動物は本能に従っていればまず間違いはないでしょう。生き死にはあるにしても。でも人間は本能だけで生きている訳ではありませんので、いろいろ考えねばなりません。そうすると間違いも起こる訳で、間違うことにも必然性はありますが、それを何度となく繰り返しながら、どうにかなって行くものなのかもしれません。

 人間の属性をみると、やはり自立と共存が必要でしょう。昔からよく言われるように人間は社会的動物なのですから。そのお陰で人間は地球上にこんなにもはびこってしまいました。人間以外の動物にはお気の毒ですが、その昔人間は将来立錐の余地もなくはびこるだろうという予測もありました。それは大袈裟というものでしょうが、そういうときには神様が、人間を減らしてくださるでしょう。社会的な背景で少子化が進んだり致します。こんなところでも人間の社会性は発揮されるのですね。

 できればそのような不幸なあり方はなくなる方が良いのかもしれませんが、女性が結婚してからずっと妊娠と出産を繰り返すのは却って人間的ではないかもしれません。わたくしは避妊や堕胎を勧めている訳ではありません。堕胎をすると人間の女性は大きなショックを受けます。それは自然と社会性の入り交じった経験だからでしょうか。母はわたくしを生んだあとに避妊の手術を致しました。堕胎の経験もあるようです。堕胎の経験は不幸ですが、経済的理由やら教育の問題で現代社会では避妊は必要事項ではないかと思います。

 アフリカの難民キャンプでは子供は次々と生まれて次々に死んで行きます。ああいった事態を目にしますと、神様はいらっしゃるのかと思ったりします。人間的ではない生のありようが同じ地球の上であっているのですから。このようなことがなくなることが実現しないものかとも思います。でも焼け石に水のような状態が続いています。社会的動物である人間が、それらしく生きることができるようであって欲しいものです。人間には教育が必要です。

 教育があると光源氏のような場合も出て来るかもしれませんが、光源氏もそれ故に苦しみました。須磨明石では流浪の身となって罪滅ぼしをします。しかも政治的な要素がなきにしもあらずではありますが、自ら遠流の身となりました。そこで明石の女御と出会いは致します。女御の父親に頼まれたとはいえ、そんなところでも女人を頂いたのは彼の知性にも依るのでしょう。歌詠みに必読の書と言われるだけの作品だけはあります。

 わたくしも自分の光源氏を待っております。心待ちにしております。でも気を長く持つことに致しました。もっと若かった頃自分に恋愛を禁じてきた分、今は却ってある一人の人を待ち望んでおりますが、一向に相手は気付きません。相手のペースにあわせるのが必須なそうです。だからわたくしも気を長く持つことにしました。その間もっと自分を立て直して、きちんとなるように努力致そうと思っております。これはポーズではありませんよ。実際現実をみると自分が今どれくらい回復しているか自分で分りそうなものですから。

 ここまでお付き合いくださってありがとう存じます。今日はこの辺で失礼致します。