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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

高貴な狂気

 先日書きました文学賞は逃してしまいました。残念と言えば残念ですが、仕方ないですね。今の実力でしょうか、それとも才能がないのでしょうか。同人の方に見て頂いたときには、「ここは田舎だから理解されないかもしれないよ」と言われました。県庁の息のかかった人々の選出ですから、まあ、田舎と言えば田舎ですね。毎年三万人からの人々が自殺してゆく時代ですが、そのようないびつな社会に生きているわたくし共は、まだまだ心の病に不寛容なのでしょうか。不寛容だから自殺者が多いのでしょうか。わたくしの作中人物は、自殺してもおかしくない状況下にありながら、生き延びており、ハッピーエンドですが、甘いでしょうか。でも実際にそういう人物はいるのです。ですからあり得ない話ではないのですが、あり得ない話を書いても良い訳ではあります。古典作品はあり得ないような話が多いです。我が国の「竹取物語」「源氏物語」にしましてもそう云えます。「ドン・キホーテ」「白痴」「城」、その他もろもろもそう云えます。勿論わたくしの作品など、そのような作品とは比肩されるようなものではありませんが。

 それにしましても、選考中の裏話はいろいろあるようです。よく分からないので書きませんが、裏話というものはつきもののようです。あとで、食事を共にしながら、グチグチと話しているかもしれません。或は自分たちには権限はないからとか、まあいろいろですね。お役所の文学賞というのは名折れだなと感じておりましたが、やはり選考されなくてよかったと思うべきかもしれません。おまけに、芥川賞直木賞に殆ど関心がなかったというわたくしですから、その賞を得た人々から芥川賞作家が多くても、あまり意味がないのです。それに最近の芥川賞直木賞は迷走しているように聞きます。第一回の芥川賞からして様々の裏話があったようです。有名な話ですので敢えて書きませんが、いい作品が選ばれるとは限らないもののようです。

 しかし賞を貰うことに依って書く場が与えられ、才能を伸ばしてゆくことができる可能性はあります。また賞の重みで潰れる場合もあるようでもあります。また、受賞作を超えることができないという場合もあるかもしれません。まさに悲喜こもごもですね。最近の作家さん達は、芥川賞直木賞は貰わなくても、活躍している方々は多いようですね。賞の数が増えたともいえるでしょうが。知っている人物とか、義理や人情もからんでいるようですね。それから仕事をしているかどうかとか、学生さんだとか、そういった人々は有利ですね。無職、ニート、などは不利でしょう。わたくしにも細やかな職歴はありますが、今は無職です。この無職というのを嫌うのですね、人々は。このような無料ブログしか書くこともできません。しかも読まれてはいないようですが、読まれていたとしてもあまり共感は得られてはいない模様です。たまにスターをつけて頂くことはありますが。

 わたくしには運良く家族がおります。お陰で生きて行っております。細やかな障碍年金もございます。障碍者を見くびらないで頂きたいのです。わたくしもデイケアに通っておりますが、弱っているとは云え、皆きれいに生きている方々です。そこには他の芸術分野で認められている方もいらっしゃいます。身体にも生まれつきの体力差や、運動神経の良さの差があるように、精神の世界にも差があるかもしれませんが、それは病気だからという訳ではありません。一つのことの裏表といったようなものです。大概障碍者は、傷ついた人々かもしれませんが、それが先ず先天的な清い心に負担がかかってしまいますが、持ち前のものでちゃんと立ち直って歩き出す人々です。ただ世の中は無理解であると云えるかもしれません。健常者の世界と障碍者の世界は、同様に美しくも汚くもあります。でもえてして障碍者は忍耐強いです。弱くて強いのです。大体、健常者の中にも狂気はあるものです。

 ぱかっと両方に別れている訳ではありません。誤解を怖れずに申しますと、パラリンピックは身体の障碍のある方々のものですが、あんなにきれいに別れてしまっているのは如何なものだろうかと思います。同じ土俵で戦ってもいいのではないかと思います。スポーツの限界でしょうか。わたくしはそこに垣根のあるのが不思議です。パラリンピックも凄いからです。盲人の方がカメラを持たれる時代です。ピアノを弾かれる時代です。芸術分野でもここまできました。心と身体は二つで一つです。「谷間の百合」では、副主人公の夫人が精神の危機を迎える場面が描かれています。それは作家が狂気についてよく理解していたからでしょう。恐らくそのような経験があったか、身近に見てきたかしたものでしょう。夫人は狂気が見舞っても、常軌は逸しませんでした。寧ろ主人公に、こんこんと言って聞かせます。高貴な魂ならば健常者であれ障碍者であれ、高貴に生きることができます。

 ここまでお付き合いくださって有り難うございました。