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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

病と死

 同人誌と文学学校にそれぞれ投稿し終えまして、昨日は洗面所に置く棚を家人と共に組み立ててしまいました。それで時間がぽっかり空いたところで、ブログを書こうと思い立ちました。すっかり月一のペースになってしまいました。

 最近、過去のことを思い出して、人様に対してよかれと思ってしたことや言ったことが、あれで良かったのだろうかと、随分悩まされます。またしなかったことも悔やまれます。それも悪意はなかったのですが、ただ知らなかったというだけで、今頃になって当時の情報が入ってきて、陰惨な結果になっていたことなどが悔やまれます。知らなかったというのは、愛が足りなかったからかもしれません。言い逃れかもしれません。胸に楔が打たれたようです。わたくしに何ができただろうかという気もします。今頃になって、ああしておけば良かったのじゃないかなどと、もっと相応しい言動が取れたのじゃないかと、昔の自分の無知を恥じます。

 今でも十分に無知ではありますが、以前よりは少し記憶を失った分、また新たな知識も加わっております。「無知の涙」は読んではおりませんが、無知というのはやはり良くないです。自分の経験からだけで言動しても、それが他の人にとって相応しいかどうかは分りません。よく自分の呑んでいるお薬を似た症状というだけで、素人判断で呑ませる方がいらっしゃいますが、自分に処方されたお薬を他人に呑ませるのは危険です。キャベジンやバッファリンであっても、呑むのにはお薬は細心の注意を払うべきです。最近、危険ドラッグを使った人が、犯罪を犯していますが、やはり溢れかえる情報の渦が、結局は本当の知識としてではなく用いられた結果そうなったようです。現今、お薬がたやすく手に入るようになりましたが、わたくしは病院に行くことをお勧め致します。でももしそれが精神的なものならば、心理療法士にかかることもお勧めするかもしれません。心理療法で、一度の施療で良くなる人もいらっしゃいます。また何回か回を重ねるうちに、精神病を発症しそうだと判断されると、精神科にかかることが勧められているようでもあります。お薬を必ずしも呑まなくて済む場合もある訳ですから、急性期でなければ、心理療法をお勧めします。

 ただ、精神科のお医者さんと心理療法士が仲良しかどうかは分りません。自分の持ち分で、働いている場合もあります。最近子供社会で事件や災害があった場合、心理的ケアがなされるようになって参りましたが、精神病は何かのきっかけで起こる場合があるからです。何かのショックがあった場合、その当の人物の一番弱い部分に負荷がかかるそうです。そして何らかの病気に罹るそうです。勿論病気にならない人もいます。健やかさとは一体なんでしょうか。病気になって初めて分る心境というものもあります。知りたくない心境かもしれませんが、ほぼ99%の人が病気であるという見地からすると、病気の心境を理解しないというのは、大きな欠陥でもあるような気もします。兼好法師も、友人にしたくない人の中に、病気になったことのない人をあげています。つまり弱さで苦しむ人を理解しないというのは、欠点でもある訳です。

 わたくしは特に皇室というものに関心はありませんが、雅子妃には関心があります。彼女は最高の教育を受け、最高のご身分でありながら、ご病気も知っておられます。彼女は今後、弱い人々の支えとなって、歩んでゆかれることでしょう。身を以て苦しみを知るということは、左程悪いことではありません。英雄や大人物の心境を知るのは難しいかもしれませんが、それはプルターク英雄伝や、回想録を見れば案外知った気分になるかもしれません。でも人間は、ほぼ凡人です。わたくしは大人物の影の部分にも興味があります。彼らもやはり病を経験したりしております。英雄も流行病には勝てない場合もあります。それならば、ミソもクソもない訳です。

 近代は、作家と言えば東大卒でした。その東大卒の作家達は多く自殺しました。漱石も、胃潰瘍と気の病に苦しみました。しかし彼は自殺しませんでした。彼は分裂病だったという人さえいますが、相当変わった人であったことには違いないでしょう。しかし、漱石山脈の人々への面倒見は良かったようです。鴎外は孤高の人であるかのようでしたが、自宅で観潮会という文学の会を持っていて、他者との交わりも深かったようです。彼は医師で軍人で作家でしたが、最後は一人の人間として死んでゆきました。やはり死の淵に近かった人として、自分の死をあらかじめ想像していたと思われます。芥川龍之介は親が病気持ちでしたが、その怖れがあったのでしょうか、「漠とした不安」を感じて自殺しました。痛ましいですが、彼はエロスの人でもありました。多くの女性と交わり、ポルノまがいも書きました。これは漱石や鴎外とは違う側面ですが、やはり正直ではあるでしょう。彼の死で近代は終わった訳ですが、現代も長くなりました。そのうち戦争でも起こるでしょうか。でも戦争は時代の画期ではありません。人は寧ろ個々人の死によって、一つの時代が終わったと感じるものです。日本が元号制を廃棄するかどうかは分りませんが、明治からは天皇の着位から死までが一つの元号となりました。面倒くさいですが、日本独特のものでもあります。天皇制が続く限り元号制も続くのかもしれません。皇太子が天皇になられるころまで、わたくしは生きているかどうか分りませんが、惚けて生きているかもしれません。それを計算に入れて、生きて行くつもりです。でも今でさえ、惚けていてもおかしくはない脳の状態かもしれません。切りがないのでここら辺で終わります。お付き合い頂いて有り難うございました。いつの間にか原稿用紙6枚分は書いています。脳は縮んでも、大丈夫のようです。ではまた。