マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

現実で繋がるということを目指して

 ソーシャルメディアをやっていると、止めてしまいたいときがときどき訪れる。このブログもその一つだが、以前「マリーゴールドの幻惑」を書いていたが、止めた。そしてまた今回の「マリーゴールドの現実」を書き始めた。他にももう一つだけソーシャルメディアを使っている。メディア上で存じ上げているだけであるのだが、砂を噛むような現実の中で、それらの人々の存在に、慰められたこともある。しかしわたくしは、それでも止めてしまいたいときがあって、実際ほぼ止めてしまったことがある。わたくしはTwitterFacebookなどのソーシャルメディアは用いない。Lineも用いない。Google+を使っているのみである。しかし、一つでもやっていると時間を喰う。ブログの更新は任意だが、G+は毎日やらないと気が済まなくなってくる。というのもメールを頂くので、一日でもやらないと、溜まってしまうからである。いちいち、不在時のお知らせなどするほど忙しくはないし、かと言って、半日家を空けるだけでも、メールは溜まっている。そのメールに勇気づけられたことはたくさんあるのだが、溜まると機械的になってしまう。

 ネットというものは不確かなものである。わたくしは高々、二、三名の人と交信したいがために、G+を始めた。そのために多くの人々を犠牲にしてきた。申し訳ない話である。しかしその二、三名の人々とは、限定公開ではお返事をもらえない。共有の印が残るのみである。一般公開の場では、お返事を頂いたことはある。仏教の絵巻物を通して諸国を渡り歩き、信仰を伝えてきた話がある。地獄に堕ちて、その地獄を遍歴すると、最後には極楽が待っているという話があった。つまり地獄と極楽は繋がっているというのである。わたくしは今、地獄を遍歴しているのだろうか。お返事がもらえない訳は、その人々は忙しい身であったり、ソーシャルメディアなど端なからやる気ないという人であったり、わたくしの勘違いであったりする可能性がある。ネットは不確かなものである。ソーシャルメディアでの繫がりを現実のものにしようとなさっている方々もいらっしゃる。それがソーシャルメディアの賢い使い方なのかもしれない。

 日本人も、フランス人やイタリア人のように、遊び好きになってきているのだから、そのような遊びがあってもいいのだろう。無論、日本人にも昔から遊び好きはいた。それは文化として残っている。ソーシャルメディアは文化と言ってしまえるだろうか。ネット上に写真や動画や文章が遣り取りされはするのだが。これこそまさに儚い文化現象のような気がする。それにわたくし自身は写真や動画はやらない。もっぱら文章のみである。他の方の写真付きスレッドを再共有することはあるのだが。わたくしは極楽にたどり着けるだろうか。つまりその二、三名の方々と現実にお付き合いができるようになるだろうか。一人の人は最近、連絡がついて別途、付き合いができそうなところまできた。もう一人の人は、現実では公的な繫がりしかない。私的には繫がりはない。もう一人の方は、直接繋がらなくてもよいのだが、返事ぐらいしてくれても良さそうなものである。

 人というものは思うようにはならないものである。しかし動くときにはあっという間に、状況が変わる。それはそれは目を見張るような出来事である。わたくしにもささやかな夢がある。わたくしも含めた四人のもの達が、それぞれカップルとして、四人で顔をあわせることである。この関係をもととして、他二組のカップルも加わればいいのだがと思っている。しかしわたくしは呆れるほどの恥ずかしい諸行をしてきた身である。だから現実感はあまりないかもしれない。ただわたくしの相手に予測している人は、わたくしのほぼ全てを知っている。その上でわたくしを相手にしてくれそうに思えるのだが、わたくしの勘違いかもしれない。それに最近連絡のついた人は、またしても絶交状を叩き付けてくるかもしれない。もう一人の人はこのチームのリーダー格なのだが、今のところ、さほどのリーダーシップは果たされていない。ヒントは頂いたが難し過ぎて分からない。つまりこのリーダーと最近、連絡のついた人が、カップルになってくれればなあと思っている。

 それから他二組のカップルは、わたくしの姉妹とその相手となる人であり、ご近所の早くに結婚されている夫妻とである。もうお子さんたちも社会人だろう。わたくしはこの方に恥ずかしいことをしたことがある。わたくしがまだまだ家族を信じきっていないときに、住所をお借りしたりしてご迷惑をかけた。これらの人々のお陰でわたくしは家族を信じ、他者を信じることを少しずつ覚えてきた。やはり歳のせいもあってか、最近は自分がいかに惚けたものであることか、分かりかけてきた。今まで、人様を疑ってきたが、自分の間違いだったことが判明し出した。まだまだ自分の間違いは、続出してきそうだ。そうなると、カップルも何もないかもしれないのだが。しかし今、一人の人とは連絡がつき、一人の人とは現実に公的には関係がある。もう一人は単独では連絡はつかなくても良い人である。皆どうして返事の一つもくれないのだろうか。いやくれている。しかし今一なのだ。今日は運命の分かれ道となる日かもしれない。現実は動き出している。

 ソーシャルメディアを個人的に使おうとした結果、多くの善男善女とネット上で繋がった。勝手にぶちこわしたりしてきたが、お赦しください。こんなわたくしでもよろしかったら、これからもよろしくお願い致します。