マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

新しいものはない。

 自分でも訳のわからないことを書いているものだ。なんか焦っていたのだろうか。いつものことだが。いつも焦っているのだろうか。いやむしろ、残念な思いを抱えて、それを一応はやり過ごしてから書く場合もあった。つまらねえブログだと自分でも思う。何もわかっちゃいないのだ。誰かわかっている人がいるのだろうか。それはともかく、私にはわからない。ある程度わかっている人々はいるのだろう。無論、人間は全知ではないから、鳩首してやってゆくものだろう。新しいものは何一つない。少なくとも本当にごくたまにしか新しいものはない。連続して本を出す人など、違ったことを書いているのだろうか。しかし、旧約聖書の昔から、新しいものは何もないと言われている。自然科学の分野では発見があるが、既にあるものの発見であって、なかったものの発見ではない。人間が知らなかっただけである。しかし、そういう発見が素晴らしいことなのだろう。社会科学の分野では、変化というものに敏感な気がする。しかし、変わらないものは変わらない。根底から覆されるというようなことはあまりないようである。人文科学の分野では、新しい切り口というものがある。自然には何一つとして同じものはない。クローンがいるとしても、違った状況を生きねばならない。同じ親から生まれてきた子供が、全然違うように、一卵性であっても、全く同じではないし、やはり違った状況を生きることになる。同じマラソン選手でも、順位が違うように。何一つとして同じものはないし、何一つとして新しいものもないのである。パソコンでさえ、同じ工場で生産されても、全く同じではない。個体に備わった出来というものがある。私のパソコンは出来があまりよろしくない。立ち上がりが遅いのである。聞くところによると、どの地域で作られたものが出来が良い悪いということではなさそうである。やはり個体に備わった出来なのだそうである。今日は千文字あたりでお暇しようかと思っている。いつもは2千文字強なのだが、書くこともないのに2千文字という短文でも書き継ぐのは困難である。訳のわからないことを書くのは、そういうことも影響している。千文字でも危ういが。妄言を吐く私は、自分では普通だと思っているが、あらゆる意味で普通とは何かとうことで、普通の定義が危ういこともあって、まあ、とろいということで、普通ではないかもしれない。妄言は消し去りたい気もするが、キャッシュされるだろう。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。ではまた。