マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

今も昔も、昔も今も

 以前、姉の評判について文句を言った私であるが、私自身も相当な云われ方をしてきた。私の知人は私にいたずら電話をされていると思い込んでいて、皮肉交じりにいろいろ言っていたが、私はなんて失礼な人なんだろうと思いながら無視していた。ご近所では毎晩のように集まりがあり、そこでは私の「犯罪」についても云々されていたようだ。例えば私が痴漢的殺人行為を行ったとか、姉の書いたと言われていた小説を我が物にしているとか、もちろん私が書いたのであったが、ここが悪い、あそこが悪いと、実にうるさかった。普通なら自殺は避けられなかっただろう。そこのところ私は異常に精神力がある。へなちょこの私だが、叩かれても死なない。日本中が修身の教科書みたいになって、一人の私を叩く。実にヒステリーじみた奇怪な現象だった。しかしあるときを境に、それは失せた。まるで私の妄想だったように。あるときと云っても、8か月ぐらいのブランクがあった。8か月経って戻ってみると、その現象は失せていた。まるで私の妄想だったかのように。

 北風のような環境では、人は縮こまってしまう。8か月経って帰ってみると、私の精神的凍傷も治ったのか、まるで雪解けの合間から覗く花のように、私の心にも花が咲くようだった。つまり暖かさと、静けさと、安らぎがあった。私はあのような環境に耐えられるほど精神力があったが、やはり異常をきたしていた。3か月もあれば十分だったのに、私のねじ曲がった義侠心から、問題を起こしそれを過大視されて、5か月以上もの余計なときを過ごした。家の外壁は綺麗になり、工事はとっくに終わっていた。しかし世の中に無駄なものはない。その5か月の間に私は貴重な拾いものもした。世の中は自分次第というところもある。不当に云われることもあったが。ルールとマナー、これは必要なことである。身体はガチガチに硬くなり、怪我をしたり痛いところが幾つかあった。自分の身が思い通りに動かないということも初めて経験した。

 8か月経って帰ると心は癒されていたが、身体の不調との戦いが始まった。身体が不調な分、心にもその痛みは影響したが、8か月前のような、理不尽さはなかった。私の顔はその間、舐めた苦痛によって口角が下がり、不快なものになっていた。それから私は少々太り、顔もふっくらしていたので、さほど貧相ではなかったが、自分ではわかるのだ。いかに苦痛を味わってきたものの顔であることか。しかし傍目には、むしろ若くなったとみられる向きもあった。それはひとえに太ったせいであるが、その8か月前に痩せっぽちだった私が、むしろ貧相だったこともわかってきた。なにが良くてなにが悪いか、一言では云えない。地獄の8か月間のような気もしたが、その間も、心温まることは多かった。8か月前はいろいろと取りざたされて、針の筵のようだった。しかし過去から学ぶにしても、過ぎ去ったことに囚われるのは考えものである。

 今からが勝負だと思っている。老年期を前にしてこう云うのもなんだが、身体も以前よりは軽くなってき、心も案外、安定している。過去様々の良くないことがあった。それらにケリをつけねばならない。悪かったところは、詫びを入れ、手紙を書いて謝罪したりしてきた。もちろんその前に、神様に謝った。そして、人々との間にもいい加減にしてきたツケを支払ってきたりした。やはり私にも悪いところはあった。ひとりよがりは良くない。強調性のない私には、他人と共にしてきたことで、人を傷つけてきたことも多かった。一方的なものでないにしてもである。そういったことは黙って見過ごしてはならないだろう。私を苦しめた人を苦しめたことを後悔している。だからその人々の、幸福を祈りたいと思っている。

 すべてのことをあい働かせて、益と為したもう神の業を思うものである。私には苦しみが必要だったのである。そういった漠とした苦しみから、私はいろいろと学んできた。実際に大学にも行った。いろいろと学んだ。そういう意味では私は自分を向上させてきた。それも神様から頂いた精神力の強さに感謝したい。そして私を苦しめた人々も、やはり私の愛する人々だった。悲喜こもごも、愛憎半ばする、そういった引き裂かれる思いは、人を豊かにする。どちらか一方ということはあまりないのではないだろうか。悪いと思われたときにも、いいことはあったし、いいと思われたときにも、悲しむべきことはあった。今、私はまだまだ伸びる一方で、収穫の秋を迎えてもいるような気もする。収穫するためにはいろいろと準備が必要である。その必要を、今、満たそうとしているかのようである。収穫のための準備。そういった時期のようである。若かったころは、今から思うと空っぽのような気がする。しかしたまたま見つけた過去の論文などを見てみると、今とさして変わりはない。昔から見ていた風景は変わらないのだろうか。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。