マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

やきもき

 11月は推敲せねばならない時期に当たっていたが、なかなかできなかった。12月に入ってなんとか間に合わせたが、12月10日が締め切りの大きな賞の方のは、特に問題はなかったが、もう一つの小さな賞の方は12月31日が締め切りであるが、今年、同人誌に掲載されたものなら応募可だったので、同人誌を3冊送った。そこに貼る、表紙の400字詰め換算の枚数を間違った。作品自体は30枚以上50枚以内という規定には添っているのだが、当初別の作品を投稿予定だったので、そっちの方の換算枚数を書いて出してしまった。うっかりミスである。ちょっと急ぎすぎた。同人誌の方の編集の手伝いもあったので、早めに出してしまって日程的には良かったのだが、そんな間違いをしでかした。おっちょこちょいである。まあ、入賞しないのはわかりきっているので、いいのだが。しかし12月10日が締め切りの方は、前回はメールで受け取った旨、返事が来たのに、今回は来ない。

 応募数が多かったのは前回もそうである。だから応募数が増えたにしても、規約が変わったとは思えない。私のメールアドレスが変になっているのだろうか。そういうことも過去にはあった。知り合いからのメールの返事もなかなか来ない。それは相手が忙しいことはわかっている。だからいつものことなのであまり気にしてはいない。でもメールアドレスの確認はしてみよう。やはり間違ってはいなさそうである。私は知り合いでもない応募先からでさえも、切って切って切りまくられているのだろうか。前回は2日に出して5日には返事をもらっている。今回は5日に出したが返事は来ない。前回メールで予選通過者名なども送られてきたので、親切なところだなあと感慨深かったものだったが。こういうことがあると無事に届いたものやらわからなくなる。でもまあいいや。この作は来年、本を出すときには収載するつもりである。落こっちることはわかりきっている。

 東大出、新聞記者あがりには世間は口出ししない。私は口出ししたが。だっておかしいもん。文学の世界でこんなことが罷り通っていいものだろうか。私のようななんの肩書きもないものには、ああだこうだ言ってくるのにである。確かに私のはおかしいところもあったかもしれないが、草創期の人々だったらもっと違った対応があったのではないかと思われてならない。そんなことが上から下まで罷り通っている。もうみんな天国に逝っちゃった、草創期の人々。これから先いいこともなさそうである。早く死にたい。早く死ねるかもしれない。癌かなにかで死にたい。家の家系は癌だから、案外、癌で死ねるかもしれない。でも私は母方似、母方は癌の家系ではない。そういえば母方の叔母が癌だったが、私は延命治療はしない。抗癌剤も使わないつもりだ。私はあっさりと死んでゆきたい。でも母が生きているうちには死なれない。母を看取ってから死にたい。でも姉も心配だ。

 こんなことが文学と何の関係があるのかと思われるだろう。そう思われても仕方ない。文学の中には生きている全てが含まれる。文学賞がもらえないからといって、死にたいと思うのは短絡的に過ぎやしないか。確かに短絡的ではあろうが、私には趣味というものがない。楽しみがないのである。若かった頃は履歴書の趣味の欄にはいろいろ書いたものである。絵画鑑賞、音楽鑑賞、読書、日本舞踊等々。芸術はなんでも嫌いではない。でも私はあまり詳しくはない。日本舞踊は習っていた。能楽もちょっと習った。フルートもちょっとやった。中学の頃は深夜放送も聞いた。クラシック音楽も好きだ。一番好きなのはクラシック音楽だ。次が長唄、とくる。しかし詳しくはない。今ではどれもほとんど聴かない。それで小説の細部として取り入れることもない。なんか邪道な気がする。私は小説書きの代わりに絵描きを持ってくることがよくある。それは擬態だからしょうがない。細部ではない。

 12月10日に投稿した作は、去年書いたものだった。手を入れて再度出した。同じところではない。しかし題名は変えなかった。それ以外に考えられなかったからである。私は題名のセンスがないにもかかわらず、その題名には拘った。私は今、尿意を催している。早く書き上げねばならない。最近、東大出の作家が少ないのは、作家業が儲からないからだろうか。松浦寿輝氏はいる。もしプロになれたにしても食べては行けないかもしれない。それほど文筆業の価値は低くなっているのだろうか。しかし私はそんなことは問題にしてはいない。私は書くことが好きなのだ。邪道は許さん、自分には。だから基本的に「ノルウェイの森」も本当は認めたくない。あまり認めてはいないが。笑止である。私ごときが賞を取った作家について書くとは。賞品の万年筆の部分は削ったが、その後で大きな新人賞の副賞が万年筆と明記されるようになった。私の作は読まれていないにもかかわらず。そう、私の影響ではないのだ。