マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

最後の10年

 投稿を控えておりますが、今日はちょっと気分が楽なので書いております。とはいえ闇雲に書き始めているので、着地点などまるっきり見えません。大学の先生の秘書(と言えば聞こえはいいが)をやっていたことがありましたが、その先生は「雲をつかむような話」という表現がお好きでした。実際、研究生活で、そのような感覚を持たれることもままあったのだと思われます。その先生はよく私にグラフを書かせなさいましたが、決してよくできたグラフではなかったと思われますが、私が書いてお渡しすると、にっこり笑ってご覧になっておられました。奥様のご実家が洋品店をなさっていて、私は綺麗なハンカチをたくさんいただきました。朝、研究室に行くと挨拶をいたしますが、キャンパスで出会っても、知らんぷりで通り過ぎる方でした。でも律儀な方で年賀状は必ずいただきました。それも私がそこを辞めてから、年賀状を出さなくなっても、先生からはかなりの期間年賀状をいただきました。その頃の私は、今でもそうですが、不躾なやつでしたから、返事も出しませんでしたが。今では申し訳ないことしたなと、思い返したりしますが、もう遅いです。

 その先生は経済学の方面からの統計学の研究者でした。それで数学の方面からの統計学の先生もご紹介くださり、その二箇所で働いておりました。数学の先生は、他方で被差別部落、同和関係のお仕事もなさっておられました。時々その関係の別の教授や関係者が訪れました。それで何の関係だったか忘れましたが、そこで戦争体験の話をテープに録音したのを興す作業をいたしました。いたしましたとはいえないのですが、とてもじゃないけれど文字にすることはできませんでした。爆撃の音とかが主だったので、擬声語や擬態語が殆どで、またこてこての方言でして、私は方言が恥ずかしい年頃でしたし、仕事になりませんでした。でも、蔵書の整理はあっという間に済ませてしまいました。先生は整理に手をつけられないでいらしたのですが、私は表題の中に件名的言辞を探してから類別してちゃっちゃと済ませてしまいました。司書資格を取ったのはもっとずっと後でしたが、司書的才能は双葉より老いてはいましたが、芳しかったと思っています。

 このお二人の先生方やその周辺は、人物造形や細部に利用させていただこうと思っていますが、すでに利用したこともあるのですが、そこは教養部だったので、学部や、大学院の教授連がどのようであるかは、よくわかりません。自分の卒業した短大では、私は一年留年し、同時に入学した人が三年目から補助員になって日本文学科の仕事をしておりましたが、彼女も私が知った顔だったので、気安くしておりましたが、彼女は勤めてみるとドロドロした人間関係にうんざりするよと言っていて、学生時代の綺麗な印象を持って卒業していった方がいいよとも言っていました。そういうわけで学生で過ごした大学と、勤めてみて知った大学とではずいぶん違うのかなと思っていました。私は秘書でしたが、大学の内部を知ったとは言えないでしょう。のちに知り合った人が、彼女の大学のある教授の秘書は愛人も兼ねていたと、言っていて、そんなこともあるのかと、自分の経験の薄さを思い知らされました。

 小学生の頃将来、作家になりたいとうっすら思ったことはありましたが、成績は芳しくなかったしずっと忘れたように過ごしておりました。私は今も作家ではありませんが、小説まがいは書いており、西九州文学41号作には秘書をした時の経験が少しだけ生かされていますが、国立大学というところは大体あんな感じかと思い込んでおり、頑固にそう書いております。そういえば、私は秘書だけでなく司書としても大学、短大で働いたことが多いのですが、これは村上春樹の影響ではありません。村上春樹公共図書館を書くことが多いようですが、私は大学、短大図書館です。村上春樹なんか絶対読まないぞと思ってきましたが、ここ1年ぐらいで読み始めました。あの頃から村上春樹を読んでいたら、私は自分が書くなんてことはしなかったかもしれません。怖いもの知らずというのは、困ったものです。今は読んでも、もう書き始めたことだし、私は私だという思いもあり、下手の横好きを自認しておりますが、心臓に毛でも生えているのでしょうか。この間ひさびさに心電図をとりましたが、何の異常もありませんでした。コレステロール値は高くなってきておりますが、少しの運動で改善される範囲ですので、本当に少しの運動で済まそうと思っております。でも、コレステロール値が高くなってくると、何かの病気で死ぬことができる可能性があります。私は癌ぐらいしか心配のない年月が長かったのですが、二人に一人がかかる確率の癌ですから、なってもおかしくないし、死因がそれでも構わないと思っています。自分が死ぬことを考えないというのは、私としては考えられないことですが、今を生きる姿勢に欠けているのかもしれません。星野仙一氏の死のご様態は羨ましい限りですが、私は認知症にかかる確率が高いと思います。70歳までには死ねるようにお祈りしています。あと10年です。10年て短いでしょうね。私の生きてきたその訳はこの10年にかかっています。それではまた。