マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

買い物と揺らぎ

 傳濱野の広告は載るようになった。それは私が検索したからであるが、初めて載った時には検索したこともなかった。「皇室御用達」という言葉ならどこかに書いたかもしれないが。やはり桁は間違えてはいなかった。私であっても、他は買い物せず、そのために貯金したらなんとか買えそうだ。買わないが。ポール・スミスのカードケースと、ダンヒルの小銭入れの中古の品を、贈り物した。新品だと高くて買えないし、高いものを贈ると気にされるし、革製品というものは新品を持つのは気恥ずかしいものだ。キャッシュレスの世に、財布かよと思われるかもしれないが、カードケースには、名刺も入れられるし、クレジットカードや銀行のカードやポイントカードを入れられる。大きな買い物はそれで済むし、何かちょっとした自動販売機などで買う場合に、小銭は必要だったりする。そうしたら、ちょうどいい贈り物だったという気がする。今の世にも財布という時代錯誤じみたものもまだまだ必要だ。中国のような歴史はあるが、いわば新進の国柄ならば、顔認証などでキャッシュレスもあり得るが、日本人はそこまでドライではない。

 そういう情緒的なことで、遅れているわけでもなく、政治的に遅れているだけかもしれないが。淀川長治氏はギャラも現金で受け取っていたらしい。彼はもう鬼籍に入った人だし、古い人だから話にならないと思われるかもしれないが、大概の人が銀行振込の世の中ではあった。ともかく財布は握っていたい。なぜか知らないがスマホを持ち歩くよりは安全な気がする。個人情報が漏れたり、ウィルスに感染したり、落としたりすると壊れやすいスマホより、革や布でできた財布はお洒落にもなる。一人ひとりに番号が振られている時代に、個人情報が顔認証レベルで把握されていることに、嫌悪感を持つのもバカらしいかもしれないが。日本人はいまだに番号を振られるのを渋っている国民だ。私はもう諦めて、早々にカードを取得したが。

 パスポートも、普通免許証も持たない私は、自分を証明するのが面倒くさかったのだ。麻生太郎氏のメンツなら誰もが知っていようが、役所の窓口では、そんなことでは通用しない。通販生活をしている人が多い世の中、いちいち自分を証明せねばならない。それはそれで面倒なことである。キャッシュはお金さえ払えば何も証明はいらない。現金主義の人がいても不思議ではない。財布というものは心地いいものである。四半世紀前なら現金を百万、2百万と持ち歩く人はいた。お金持ちである。それでも財布なら、そんなにやばくない。お金なら、お金の高しか問題ではないが、顔認証はそうではない。何もかもが知れている。そういうことが買い物のたびに引きずり出される。もちろんそれを見る人はいないのだろうが。何も気にしないでいいようであるが、ちょっと恐ろしいことである。私は古臭い人間なのかも知れないが、レジに並ぶのは嫌いでも、人間の仕事として、創意のある方達はいらっしゃるものである。

 一瞬にして誰が何をどれだけ買ったかが、わかってしまうというのは嫌な気がする。現在の日本でもちょっと調べればわかるのだろうが、何らかの逸脱を好む性癖のある私などは、まあ、盗みまではしないものの、顔認証は嫌だとう気がする。私はメッシュ革の財布を使っている。5、6年前に購入した。私には高い買い物だったが、4千円のポイントがあったので、その財布を安くで手に入れた。その財布が新品の頃、私がその財布を持ち出すと、ある画家の男の人が、軽蔑気味に見たものである。私に似合わない高価そうな品を持っていると思ったろうか、それとも新品の革製品を喜んで使っている単純さがおかしかったろうか。相手の顔色を伺うという、この人間らしい感情の揺らぎ。リアルというものは、あるいはアナログというものは、あるいは品物というものは、こういう情緒を伴う。感情の揺らぎのあるところ、人間がいる。

 顔認証の世界はどうだろうか。もしかしたら、微妙な変化はあるのだろうが、大まかなポイントでその人と認証される。その認証機のある所を通過する人間の心情なるものが云々されることになるのだろうか。背後には国家がある。その間に幾人と関わった人々を飛び越えて。何だか空恐ろしい気がする。新しいものが登場すると、いがちな古いタイプの人間なのだろうか、私は。しかし私はマイナンバーカードを早々に取得した者である。日本国家というものをさほどに低く見積もってはいない。色々と問題のあることは承知しているが。責任の所在のはっきりしない国柄ではある。尻込みしているうちに、深みにはまって行く体質はそうそう変わらないだろう。この間、かんぽでは不祥事があった。私には実害はなかったが、いつも働いている多くの郵便局の方々は、誠意を持って働いておられる。第一線で働いている人々というのはそういうものである。たまに不正をする人はいるが。でも、個人的に私は揺らぎが好きである。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。