マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

個人情報の骨格

 日本では第二次世界大戦下の国の締め付けの厳しさの記憶から、まだ自由になっていない。この国の国民は国というものを信用しないように刷り込まれてしまっている。どこの国にも愚かな国民は多くいるし、神を信じるように国家を信じる人はおるまい。ジャーナリズムというものは反権力ということだそうだが、10年近く前、民主党政権となり、その前に、村山氏の社会党政権もあった。それ以外は長らく自民党政権の我が国である。つまり長らくジャーナリズムは反自民党であったわけで、反自民党がジャーナリズムであったわけではない。ドイツにも大衆紙はあるし、その読者層は新聞に書かれたことを鵜呑みするのかどうか知らないが、その論調はエリート層とは甚だ違ったものであるようだ。しかし日本の場合は、もっと国民全体が均質で、朝日、読売、毎日、産経、日経等々の読者層に大きな意見の隔たりはない。大概、反自民で一色である。朝日と読売は違うという人も多いが、戦後日本は中間層が分厚かったし、ひとしなみだった。

 ところで日本人は新聞評ができるだろうか。ある程度できる人も多かろうが、社説、論壇、文芸時評をおし頂く人は多い。一時は天声人語でさえだった。この国では、国イコール自民党だから、自民党の言うことにはとりあえず反対しておくという人も多かろう。医師会や経団連など、特異な人材で有力な団体に押しあがったものもある。この人々は、国に自分たちを認めさせてきた。だから国の政策には一定の信頼をする。最近では地方によっては格差のあることも出てきたが、食いっぱぐれのあまりない職業団体である。その他の国民はいかがだろうか。国は恐ろしいということがプリンティングされているので、国に情報を握られるのを極端に恐れる。国民総背番号制に始まって、マイナンバーカードも道半ばである。税務署に行ったら、取られるものは取られるが、還付されるものは還付される。そういう国であるはずの我が国が形無しである。

 そうやって国に情報を握られたくないと意地を張りながら、国からの給付が遅れると、国はどうしたとなる。これは日本人の実情だろう。国というものを信じないという個人主義もここまでくれば遅くても仕方ないとなるはずである。国に協力はしないし、国に憤懣はぶっつける。自分を見せるということがない。それなのに、何かことがあると実情を踏まえていないという批判が飛ぶ。一時期日本の財産は人材だったことがあった。教育水準も高く、技能もあり、ということだった。しかし今や、自由な文人の国である。中国などとは好対照である。私自身ITには弱い。今日も本来所属する同人誌の最新号の宣伝をするつもりだったが、写真がどうしてもアップできない。これは私のせいなのか。おそらくそうかもしれない。それでこんなことをあげつらっている。自由な文人の国日本である。私は政府寄りなのではない。自民党寄りとは言ってもいいかもしれない。自民党こそ、日本人の中間層の厚みを体現してきた党である。

 フーコーが言っていたが、日本で週刊朝日のような誌において自分の本について云々されるのは、と珍しがっていた。諸外国ではもっと階層がしっかりあるようだ。ニュースの街頭インタビューを見ていると、皆お利口さんである。海外では俳優などようの人々が政治的発言をするのはよくあることだが、日本ではそのようなことは今まであまりなかった。今度の検察庁の任期延長問題では反対の声が上がったが、それも付和雷同的である。多くの人が言うから我も我もといった感じである。悪いと言っているわけではないが、あまり顔がないように見受けられる。外国は知らないが、日本の芸能はもともと河原乞食である。芸能人風情といったところだ。外国と同じでなくてもいいのではないか。しかし俳優連の地位向上を言うなら、政治的発言をすることにも順序があるのではないだろうか。

 まず平田オリザ氏のように文化芸術の擁護を言うべきである。しかし皆が揃って言う必要もないかもしれない。国を作り上げるのはお上ではなくて国民一人一人であるからには、国に情報を握られる云々ではなくて、自分の身分を明らかにしておくと言う当たり前のことがなされて当然ではないだろうか。これと個人情報の保護とは結びつくのである。だからこそ個人情報は権力によって開示されたりしてはならないのである。犯罪や、反社会的なことが心配されるからといってでも開示されてはならないのだ。それは図書館の自由にも繋がることなのだ。図書館情報は権力によっても開示されるべきではない。それが文化の強度というものである。自分たちが作り上げてきた事柄ではないから、思想がついて行かないかもしれないが、現代のG A F Aの個人情報の思想もそれによって守られねばならない。我々は時と場合によっては権力に身を委ねるが、権力によって排除されるべきではないのである。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。