読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

初めての経験2

 先日初めての経験と言って書いたが、またしても始めて、二転三転した。お恥ずかしい限りであるが、まだ殆ど関係していなかったとはいえ、男の人を取り替えたのである。小学生がババギャルとか行って通り過ぎたが、そんなものかもしれない。中学生は「誠実」と言っていた。なんといっても、わたくしのパートナーとなる人とは思念で通じる仲なのだが、だからこそわたくしはよそ見が出来たのである。なにがあってもずっと手を離さないと言ってくれた人であるから、わたくしがけじめをつける為に、よそ見をしていた時にも待っていてくれた。昨晩、パソコンをいじくっていたら、どうなっているのか分からないままいろいろやっていたので、彼のお友達が私を馬鹿にしていたのをかばってくれたりもした。そんなに人をバカにする暇があるのなら、自分たちはパソコンで失敗したことがないみたいじゃないか。だれそれさんもよくmailをくずかごの中から引っ張りだして見ているような所がある。その方は何にでも通じた方である。車であろうが自転車であろうがパソコンであろうが自分で修理する人である。わたくしは昨日、くず箱からmailを選り分けながら、あの方もこういうことをなさっているのだと得心が行った。それで少し気が楽になった。

 考えてみると、わたくしは宗教も二転三転した。やはり気が多いのである。でも真実だからそうなったとも言える。中学生風に言えば「誠実」ということかもしれない。そこにいたら壊れてしまいそうな所にいられる人は少ないだろう。わたくしはよく設定ミスをする。その設定した所が分からなくなっているし、勝手に触っているとまた修理に出さねばならなくなるかもしれない。パソコン屋さんで、あまりあちこち触らないでくださいと言われた。その言葉を守っている訳である。それにわたくしの主治医の病院でも、パソコンに不具合が起こるから、アップデートしないことにしたと言っておられた。そういえばパソコンも今のは四台目である。これもかなり変わったことになるかもしれない。ある脳科学者が、すぐに恋人や職業を変えたくなるのはどうしてかと訊かれたら、それは人間だからです、とおっしゃっていた。わたくしは変えっぱなしではなくて、二人の間を行ったり来たりしたのだが、わたくしとてそんなに簡単に行ったり来たりした訳ではない。崖っぷちを経験した。しかし人はこれからわたくしを幸せな人と呼ぶだろう。マリア様じゃないが。

 自分に優しくなる為には自分を甘やかす必要があるのは、わたくしのような固定観念でガチガチの者には必要なことである。思いのままに言動するということは、わたくしのような宗教観念の虜になっている者には、なかなか出来にくいのである。修道者が自分を苦しめることを喜ぶのは彼らの法に拠るとモンテスキューは書いている。わたくしもそのような所は似ている。わたくしをみてある女の子がシスターみたいと言ったことを覚えている。今わたくしは不良信者の道をまっしぐらである。普通の信者に成って行っているのだろう。わたくしの高校2年の時の担任の女の先生はカトリック者だったが、やはり男の人をとっかえひっかえしていた。お固い女性に見えていたので、他の先生からそのようなことを訊いた時には少し驚いた。その先生は九大出なのでこのような地方都市では相手はそうそういないということだったのだろうか、それでも国立大学の当時助教授の方と結婚された。でもそんなにとっかえひっかえ出来るほど独身のインテリはいたのだろうか。そういえばわたくしもインテリに愛されるような所がある。わたくしはその先生のように積極的ではないが。あるいはググレカスみたような人ともお付き合いなさっていたのだろうか。謎である。

 わたくし自身がググレカスであるが、パソコンをググルのが嫌でしょうがない。だから寧ろそういわれるのだろうが。そんなことないという、優しいパートナーの声が聞こえて来た。わたくしにも彼らの思念や声はやはり聞こえているのだろう。わたくしの思念や声ばかりが人に聞こえていると思い込んでいたが。それもこれもインターネットの所為である。そうでもないような気もするが、やはりそうとでも言っておかないと病気そのものであろう。自分を疑うことが出来るとうのはほぼ完璧に治っていると今よりもっと調子の悪い時に言われた経験はある。疑うことが出来たから調子が悪かったのかもしれない。今は調子も良くて疑うことも出来る。何より自分に正直になれた。自分に正直といことは、自分の調子の悪さを隠さないこととも言える。でも本当に調子が悪いと、自分を疑うことは出来ない。だからほぼわたくしは治っているのだろうが、お薬は呑み続けなければならないだろう。再発との隣り合わせのようであるが、自分に正直であり続ければ、主治医に自分の症状を正確に言えることだろうか。正確に言えなかったら、間違いの元である。だから医者は本人と他者の目が必要なのだと言う。わたくしの場合家族がいるので幸いしている。家族に何か言われるのは実に嫌なものであるが、でも我慢しなければならない。

 民主制の教育は家族から始まるとモンテスキューは書いている。まだ一分冊の四分の一くらいしか読めていないが、何度も繰り返し読まないと頭に入ってこない。合間に簡単な短編小説を読んでは紛らせている。料理本も眺めている。そしてパソコンでトラブったりしている。買い物をしなければこんなにトラブルこともないのかもしれないが、やはり女性であるからにはショッピングは付き物である。これはわたくしに特有な現象であろうか。名前の移行期にこのようなことは起こり勝ちであろうか。パートナーが気を利かせてくれているので、わたくしはパソコン上でだけトラブっており、実生活では何もトラブってはいないのだが。しかしパソコンよ、もう少し賢くなっておくれ。わたくしが賢くならねばならないだろうか。パソコンは速いようで遅い。しかし設定通りに作動するから、どこかをいじくらねばならない。それがよく分からなかったりするのだが、ネット上には親切な御仁がいらっしゃったりして助かるのだが、それでも鈍いわたくしには小手先でどうにかしようとする所がある。設定を変えなければならないのだが。それがどこから出てくるのかが今一分からない。

 文体がですます調だったり、である調だったりしていいるが、今日は自然とである調である。前回の「初めての経験」の時には確かですます調だったと思うが、今は自分に言い含めている所大なので、こういうことになっているのだろうか。わたくしは自分でもですます調を使うとは思いも寄らなかったが、なぜか今回のブログではですます調になっているものが多いので不思議である。少しは人様のことを思うよになったのだろうか。論文ならばである調が今の所優勢であるが、現今ですます調を使う人もいるみたいである。小説ならば書き手の設定の仕方にも拠るのでもっと自由だが。何かものを書くとき、或は研究する時には先行研究や先行論文がないかなど調べるものだが、そうして引用文献はたくさんあった方が良いし、また多く引用されている論文、文献が良い論文、文献とされるのは当たり前のようになっている。しかしわたくしは一度ならず二度ばかり驚いたことがある。それは典拠のない研究文献の存在を知った時である。それはあるヘーゲリアンの書いたものだったが、ほう、そうか自分がナンバーワンという訳だなと、皮肉を込めて思ったものである。そしてこの間この人をwikiで調べるとやはり、この著者には典拠がありませんと大書きしてあった。誰でも思うことは同じなのだなと思った。でも、この人は自分の研究に誇りを持っておられるのだろう。原典で一字一句漏らさず読み、自分で考え抜いて書かれたのだろう。それが世界に冠たる東京大学大学院の教授の意気込みなのだろう。

 わたくしはこのような挙動には普通は不信感を覚えるが、この方のは本物だろうと感じる。焼き肉ばかり食べながら、おせんべいなど齧りながら、原典と首っ引きだったのだろう。わたくしはその方に決別の思いを抱きながらこれを書いている。それでもやはり先生であるし大学は聖なる所だからというその人はどこか教育的な所があって、ご指導ご鞭撻の源泉である。それでも大学外で奥様を裏切られたことは二度三度と言わずということだそうである。ご自分でそう書かれていた。鬼嫁ともおっしゃっていらしたが、そら鬼にもなるだろう。わたくしは踏みとどまったが、やはり魅力的な人である。しかしわたくしはもっとゆるキャラな人がいい。あんなに活動的な方は疲れてしまう。自分自身が無理の利かない病気勝ちなものでもあるし、いくらほぼ治っているからと言っても・・・・ このかたのお口からクレヨンしんちゃんと言う言葉を聞こうとは思わなかった。わたくしが雨にそぼ濡れていると、クレヨンしんちゃんの歌の二番を思い出されたようであるが、わたくしはクレヨンしんちゃんなど興味はない。だから歌の二番など知らない。一番でさえ知らないのに。何か勘違いなさったのだろう。でもこの方は教育的な方なので、ある人に妹さんにはもうちょっと良くしておいた方がいいですよ、将来の為にとおっしゃられたようである。

 その妹さんはおそらくわたくしであろうが、御陰さまで良い姉になって来た。ビューンと成長しましたよ、その姉さんは。やはり姉の将来の為にわたくしは良い関係を描いて来たようである。今そのように思われるのは、事が実現しつつあるのかもしれない。昨晩天気予報で翌日のこの地は確か寒波に見舞われるはずだったが、今日は暖かい日である。最近天気予報があたらない。人の予報も分からないものだ。大きく外れることもあるだろう。姉はいい人である。この人は誤解されやすい人であるが、道を踏み外しはしないだろう。一度くらいはあったかもしれないが、それは子供時分だろう。子供の罪は自分で思っているほど重くはないものだ。だから姉はいい人なのである。今日は日曜日。曜日に関わらない仕事をしている姉は怒りっぽい人であるが、もうすぐ態度が軟化してくるだろう。わたくしはそれを含み笑いしながら見ていることだろう。相手になる予定の方の態度も面白い。先日内心で笑った。わたくしと同い年なので、姉と結婚してもわたくしのパートナーより一歳下なので込み入った関係になるが、おそらく名前で呼び合うことになるだろう。でもわたくしのパートナーは姉より二歳下なので姉のことをお姉さんと呼ぶかもしれない。いつもわたくしをかばってくれるパートナーであるが、今まで結婚しても自分から関係を取り崩していたようである。わたくしが本来の相手だと神様は計らってくださっていたのだろう。お互いに正直になれば、出会ってすぐに恋心を持ったのは否めない事実であろう。あれから十数年。神様の摂理というものの素晴らしさを思う。ここまでお付き合いくださってありがとうございます。幸福な人生を誓い合いましょう。