マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

駄文を弄する

 ふっと、雲間が晴れるように、人の心の暗雲は晴れることもあるもののようである。それには多くの場合、身体を動かすことが第一のような気がする。それと気がかりな人の元気な姿を見るだけでも気持ちは晴れる。それから自分の本分を少しなりとも前進させること、これが大事なようだ。暇人の私は、なかなかそれができなかった。でも、考える間もなく用事に身を浸し、気がかりな人の元気な姿を垣間見、私の本分、書くことを少しなりと進ませると、気分は落ち着いてきた。

 今日は1000字の予定で1パラグラフ、200文字のつもりで書くことにする。歳をとるとできなくなってくることがある。2000字の達成は、最近の私には難しくなりつつある。書く速度も年々遅くなる。くだらない考えなら次々に浮かんでくるが、書き留められるようなことはそうそう浮かばない。精神の安定のために、思い浮かぶまま書き綴ることが、最近言われている。私もモヤモヤするととにかく書き綴る。

 内容は伴わないので、死ぬ前には処分せねばならない冊子類は多々ある。それと小さなメモ帳であるが、日記がわりにくだらないことを書き留めている。時期によって書く内容は違ってくるが、この一年は睡眠状態に終始している。それで自分でもつまらないので、睡眠状態は、時間とマークでおおよそわかるので、メモまでする必要もないかと思い、方針を修正することにする。ほぼ備忘録なのであるが、大事なことは書いていなかったりする。後から読んでも、目がチラチラして探し出せなかったりもする。

 来年のメモ帳も用意している。2013年ごろから書いているが、これらは死が近まったら、処分せねばならない。自分一人だけ用のものなので、後世に残すまでもないし、誰も興味はわかないだろう。恥ずかしいことしか書いていないのだが、自分でもよく書くよなと思う。字が小さくて汚いので、自分でも判読不可能だったりする。それは今年のメモ帳が、希望の仕様ではなかったからで、小さな字にならざるを得なかったのだが、フリクションボールの0.5ミリは、そのメモ帳には太すぎるのだ。来年のメモ帳は、フリクションボールの0.38ミリで書くことにし、しかも大きめの字で書けそうだが、人から読まれてもまずいのだ。去年のを見ると判読可能である。それでも読み返しもしない。だいたいあれはいつ頃のことだったかがわかればいいので、内容には深く立ち入らない。思えば無駄なことをしている。