マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

2016-01-01から1年間の記事一覧

痛し痒し

10月も書かず、11月になってしまった。今、特に暇なわけではない。また特に忙しかったので書かなかったわけではない。人にはいろいろと、事情があって書けないことがある。私など文学賞に応募している者は、余計なことは書けないという心理が働く。しかし去…

アーメン

私にはわからないことが多い。当たり前かもしれないが、つくづくそう思う。このブログのアクセス解析の部分だけでも謎である。9月の11日から12日にかけて4という数の方が読んでおられるようだが、単なる4人なのか、何かの単位なのかわからない。無料ブロ…

言葉、もろもろ

昔の作品を見返すと、いやあ、ひどいものである。よくあんなものをいけしゃあしゃあと投稿していたものだと思う。あれで昔は自信満々だった。今もさほどに上達はしていないが、もうちょっと謙虚にはなってきた。今は自信もなく、これだけしか書けないから仕…

評判の悪い私、

ある県へ家族旅行してきた。私と姉の仲の悪いのは知られているようで、いろいろ憶測された。しかし母の評は違っている。母は姉と私は絆が強いという。母にはあと二人の妹がいるが、彼女らと仲は良くても、姉と私のような絆の強さではないという。よく考えて…

伊藤整の仕事

伊藤整の「小説の方法」をやっとまともに読んでいる。まだ3章までしか読んではないが、今度は読み通せそうだ。古い文庫本で、昭和55年ぐらいに買っているようだ。38年ぐらい前の話である。私は読者として関心を持つと同時に、微かに、自分にも小説まが…

病、犯罪の内在

なにかものごとがうまくゆかないとき、人はどういった思いを持つだろうか。大概は、自分になにか足りないところがあったのだろうかと、吟味する。しかし私のような誇大妄想狂のものになってくると、なにか社会悪があるのじゃなかろうかとか、誰かがなにかや…

社会病理と個人的病理の狭間で

世の中には奇怪なことがある。普通、精神病者は奇怪だと思われている。しかし、その周辺でもっと奇怪なことが起きる場合がある。金融機関は、契約者が精神病であることを知ったら、そしてその人に莫大なお金があったとしたら、どうするだろうか。このお金の…

哀悼

津島佑子さんが、お亡くなりになったそうである。まだ60歳代のようである。早い死である。お悔やみ申し上げる。 津島佑子さんが選考委員をなさっている文学賞に初めて応募した。彼女が読まれるような段階まで、愚策が残っているかはわからないが、なんだか肩…

信仰と文学と護教論

前回の元旦に書いた状況と今の状況は何一つ変わっていない。だから今書くべきかどうか迷った。しかしここはもともと、自分自身について語るところではなかったはずだったのだ。「マリーゴールドの現実」に成ってから、自分を語ってばかりである。こんなのは…

元旦から揺らぐ

元旦に計を立てたことなどない。それだけ漫然と過ごしてきたということかもしれない。この文章でもそのようなことは考えにない。元旦とは限らず、計画を立てることはよくある。しかしいつものことながら、計画倒れである。三日坊主という言葉があるが、まさ…