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マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

哀悼

 津島佑子さんが、お亡くなりになったそうである。まだ60歳代のようである。早い死である。お悔やみ申し上げる。

 津島佑子さんが選考委員をなさっている文学賞に初めて応募した。彼女が読まれるような段階まで、愚策が残っているかはわからないが、なんだか肩透かしを食らったようで残念である。それにしても、彼女は読むことがおできになったのだろうか。去年の11月末日が締め切りだった。それから現在まで三か月もなかったのである。

 ご存知の通り、太宰治の娘さんである。何年か前NHKであっていた「ブックレビュー」に出演なさっていたのを拝見したのが、最後だった。誇り高そうな方だった。今思い出したが、その後何かの番組でも拝見した覚えがある。「斜陽」のお母様、ではなく、正妻のお子であられるわけだが、ご自分のお母様が太宰の最愛の人だったと、残った書簡を証拠に、そう言っておられた。「シーシュポスの神話」を書いた人は、太宰に倣って正妻をないがしろにして、愛人のかたを大事にしたが、津島家では太宰の心は正妻にあったということだったのだろう。そう言ったことにこだわり続けるのは、母親、父親、夫を愛しているからだろう。もっとも太宰が共に入水自殺を図ったのは「斜陽」のかたでもないが。

 遺体の上がらないのを目論んで、玉川上水に入水したわけだが、皮肉なことに太宰と愛人の遺体は上がった。遺体は綺麗な顔をしていたと、三羽烏の一人は書いている。

 私はどうも間が悪い。選考委員の方が亡くなってしまうとは。もっとも、津島佑子さんが目を通されたかはわからないし、そう考えるのは無理かもしれない。目を通されたにしても愚策がお目に止まるとは限らないが。私は土曜日の早朝にこれを書いているが、津島佑子さんの亡くなられたのを知ったのは19日の金曜日の夜だった。私は新聞をほとんど読まないので、家人がその記事を読んで教えてくれた。家人は私がその文学賞に応募したことは知らないと思うが。

 祖父が貴族院議員、伯父が貴族院議員、親戚が国会議員津島佑子さんは、どのように育たれたのだろうか。そんな華々しい親戚があり、一方無頼派の作家である太宰治を父とする彼女は。彼女の小さな時に逝ってしまった父親を、彼太宰治の兄である人は薬物中毒になっていた彼を迷惑な弟と、感じていただろうか。太宰の中期の安定した時期に結婚もしてうまくいっていたようだったが、彼は「桜桃記」を書く。ちなんで彼の命日は桜桃忌と呼ばれ、お墓は多くのファンで溢れるようだ。津島佑子さんにしてみれば、不本意な忌号かもしれない。

 津島佑子さんと私は出会わなかったが、彼女の「山猿〜」という作品は、どうも私のことではないかという疑念がある。読んではいないのだが、ちょうどブックレビューで取り上げられていた。その話される内容からして、そう感じたのだったが、思い過ごしかもしれないが、もしそうだったら津島佑子さんは私のことを少しはご存知だったかもしれない。

 それはともかく文学賞はどうなるのだろうか。津島佑子さんが欠けたまま選考されるのだろうか。初めて応募したのにその年にお亡くなりになるとは。太宰治のことをちらりと書いた。誇り高い津島佑子さんが、どう思われるかわからなかったが、今、思い出したが、太宰治は中期の安定した時期、甲府に住んでいたのだった。それで山梨だったのだ。今頃気がついた。というのも私には山梨といえば個人的に強烈な印象のある地であって、しかも甲府の方面ではなくて、韮崎、甲斐駒のあたりなので、甲府津島佑子さんが縁だったことを失念していた。

 甲府の郷土料理のなんとかいう、すいとんのような食べ物はいただけない。あれは不味かった。あんな不味い料理の店が出ているのは信じがたい。それはリンガーハットのちゃんぽんのキャベツが芯ばかりなのとは似ていないが、不味いという面では変わらない。私の味覚は異常なのだろうか。ここ長崎でもリンガーハットではなかったが、昔からある中華料理店のちゃんぽんがあまりに不味かったのと似ている。あんな不味いちゃんぽんを食べたのは初めてだった。

 津島佑子さんのご冥福をお祈りいたします。つまらないことを書き綴ったが、なかなか難しい立場を生きてこられた津島佑子さんは、ご自分のお仕事ではね返してこられたのだろうか。いつまでもお母様のことを思われるお姿を思い出す。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。