マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

世界の小ささ

 グダグダと面白くない、つまらないと言って読まず嫌いしていたら、ある方々から叱咤されました。いえ、大声ではないのですけどね。叱られるということは、気持ちのいいものです。大人になったら叱ってくれる人などそうそういません。これで読書の方も弾みがつきました。長くかかりそうですが、最近買った新書にも手をつけ始めました。

 スポーツシャツを買ってきたので、こまめに着替えようと思います。そういえば、スポーツシャツを買ってきてこまめに着替えようと思うほどの収入もなかったので、少し考えを変えました。今まで家の中にいることが多くて、お店で買い物をしようなどという気が起きませんでした。お店では手頃な価格でいろんな品があります。通販に頼っていると、思いのほか高くつきます。

 服なんて消耗品の側面もありますから、傷んできたら替えればいいわけですよね。もちろんサイズが合わなくなったものなどは、バザーに出したりはしましたが、着潰したら替えるという頭があまりありませんでした。新陳代謝は自然の理ですね。自分という存在も取って代わられるのだと思います。人間も死にゆく身ですから、去る者は日々に疎しで、後世まで名を馳せる人なんてほんの一握りですね。

 子供もいないので後世のことを考えるということは、具体的にはしませんが、何百年先の人々のことを考えて、植林したりすることもあるようですが、そういうお仕事は尊いなと思いますが、自分の関わりでは、何事か書いても、メジャーの世界を見ていても思うことですが、次々と現れては消える運命にあるものが多くて、虚しいようでいて、こう次から次と代替されると、おかしくなるくらいです。

 マイナーの私の書いたものは、図書館の奥深くに並んでいますが、殆ど手に取る人はいないでしょう。でも百人ぐらいからは読まれているのではないかと思います。もちろん少ないですが、確実に読まれていると思います。それでもすぐに忘れ去られます。私は業が深いのかもしれませんが、あまり人々の記憶に残る残らないで書いているよりも、ただ自分の法則に従って書き続けることにしようと思います。

 人間、何かやって生きているわけですし、その何かを取り上げたり否定することもないと思うのですよね。それで思うのですが、美空ひばりの歌に「人は可愛い、可愛いものですね」とありますが、まさにそういった感じで、物事を眺めたいと思っています。メジャーであれマイナーであれ、障碍のあるなしであれ、あまり二項対立で考える必要もないかなと思ったりしています。

 そんなに変えてしまったら私の詩じゃなくなるというご不満はごもっともです。今回編集に携わっていて、伝わってきたところですが、本当の詩人はどこが変わったのかとわからないような直し方をなさいます。私のような偽物は、明らかに違ったものを提示します。ご本人の性質を大切になさるからわからないのですが、私のようなのはバサバサと切り捨てます。どんどんご不満を並べて、書き直してみてください。

 詩の編集は初めてに近かったので、面食らいましたが、詩人の方が直すその直しを見て、教えられました。身につくものではないかもしれませんが、詩の世界の楽しさを垣間見させていただきました。自分では書けないでしょうが、人の褌で相撲を取るってこういうことかなと思いました。私たちはプロの集団ではありませんが、それなりにといったところです。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。