マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

書くことへの疑い

 「寂しさの徒然に」と題しようかと思ったが、徒然はともかく、寂しくはないなと思った。本来私は客観的には寂しいと思われる者である。だが今は寂しくない。寂しい時もあった。これから先寂しいと感じる時も来るだろう。だが今は寂しくない。客観的に見たら寂しいだろうにと思われるだろうが。「寂しさの徒然に」は井上陽水の歌の歌詞である。私はこの方のヤバさが好きである。ちょっと失礼な言い方かもしれないが。ロバート・キャンベルさんが井上陽水の歌詞を英訳しておられるという記事も見たことがある。リービ英雄が「万葉集」を英訳していたが、その新書は部屋のどこかにあるが、まともに目を通していない。私は日本語すらまともでないから、いわんや英語をやである。先日、面白そうな新書を3冊ばかり購入したが、それは机上にあるものの、読まれる気配は一向にない。私は読むべき本に囲まれているのだが、どれから手をつけるべきか迷っている。手をつけても読み通せないことは多い。

 私の書くものは炎上とは無縁だろう。よし炎上していたとしても、私は知らない。どこかで炎上していても知らないことが多い。パソコンを持っていても情報貧者である。それだけ頭が悪いということだろう。義務で読むべき文章は、なんとか読んだ。義務ではない文章は、面白そうでも読めない。面白そうでも、というところが肝腎である。本が多すぎるのである。それなのに自分も屋上屋を築くようなことをしている。こんなに本があってもしょうがないと思う。私のようなマイナーリーガーは思う、これ以上書いていいものかどうか。しかし書く。なんの意味があるのだろうか。あるいはメジャーの人でも思うことかもしれないが。いや、思わなければおかしいと思う。「ヨハネ伝」の終わりにはイエスのなさったことをすべて書くなら万巻の書があっても書き尽くせないだろう、というような文言がある。似て非なることだが、万巻の書を誰が読み通せるだろうか。読み通す人は世の中に3人ぐらいじゃないだろうか。

 知識の共有もできないで、どうするのだろうか。共有の意味が少しわかるようなことであるが。何十年来、読まなきゃと思っている書物はいくらもある。しかし、今はこれを読まねばならない。それは後でと、純粋に楽しみとしてある本は、先を越されてしまう。この分で行くと、いい本は読めずに終わるかもしれない。下手の横好き、私自身もそうだが、そういったつまらぬ作ばかりに目を通すことになるやもしれぬ。私のようなのが編集の片棒を担いでいるが、自分のも含めて、下手な作ばかりに目を通すことになるのかもしれない。人様にもそれを強要することになっているのかもしれない。しかしマイナーリーガーにもいいところはあるのである。自慢話は書きようによっては面白くもなる。佳い作というのは遠大なる自慢話ではないか、直接、間接はあるが。書くこと自体で自分の存在を確固たるものとしようという意図がある。

 詩は比較的短いからその欲求が少なく感じられる。度肝を抜くような詩だと、そうでもないかもしれないが。「詩」と言ったら聖書の詩篇だが、あれこそ有っていい詩である。150篇の中には終わりの方は神を讃える詩篇ばかりである。旧、新約聖書は、神について、イエスについて書かれてあるが、そしてその言葉自体が神なのだが、それこそ有っていい本である。私などはなくてもいいものを吐き出しているのかもしれない。ぽかんとして書いているのはどうかと思う。当たり前のように書いているのはどうかと思う。抗儒焚書を云々しているわけではない。書くことへのたゆたい、ためらい、そういったものがなければ、あまり意味はないかもしれない。それでも古代の作から現代の作に至るまで、新しいものはないと断言するのが聖書である。作だけではない、事象全てがそうなのだ。新しいものはないのである。それなのにまだ書くのである。虚無的なぐらいにそう書いてある。

 新約聖書の時代からも2千年が経った。古い書になった。中国などに比べたら、日本の歴史や文学の日は浅いが、それでもアメリカ文学などよりは長く、優れた作も多い。女性の書いた日記文学などは立派なものである。日記文学のはじめは紀貫之だが、その後の女流は目を見張るものがある。意識的に書いている。それが大切だと思う。「蜻蛉日記」「和泉式部日記」などは意識的である。「源氏物語」は筆が立つだけに、却って披露している感がある。「枕草子」になると書かれる意味はあっても、存在意義までは問わない気がする。あの立派な作品群を前にして、私ごときがまだ何か書くことがあるだろうか。私は書き続けて良いのだろうか。現実生活で私はいないように生きてきた。その私は書くことだけに意義を見出していたが、それも疑われるとなると、どうしたらいいものか迷ってしまう。私は庶民の書くものというつもりで書こうと試みた。私は社会性というものにも疑いを持ち始めてきた。社会性だけでは存在理由は問えない気がする。途中だがここまでお付き合いくださってありがとうございました。

 

何する人ぞ

 つくづく私は稼げないようになっている。在宅OKパソコン、スマホでできる仕事を探して、もちろんスマホは格安スマホを使っているくらいだからできないし、当然パソコンを考えていた。するとMacOSは使えないことが判明した。日曜日の午後ぐらいしかできないなと思いながら、内村鑑三の「余は如何にしてキリスト信徒となりしか」をお読みになった人ならおわかりのように、日曜日は大体働かないことになっている。しかし聖書にはイエス安息日にも働かれたことが記してある。人の子は安息日の主でもあると言われたりしている。それで意を強くして、日曜日の午後でもいいじゃないかと、小遣い稼ぎを考えた。そんなことが頭の中を去来した。しかしMacOSは使えなかった。スマホも使えない。つくづく私はお金に縁がないらしい。

 その過程でいろいろと世間を見ることができた。そのいちいちは書かないが、あの人たちはこうやって、とか、思い当たる節があった。最近、副業を認める会社が出てきた。副業、バイトと喧しいが、あの人たちはこういう流れでやってきていたのだと、長年の疑問が解けたりした。それにしても何をやるにも関東地方は有利である。特に東京は。私の在住している長崎県は、人口流出の激しいところである。その求人状況を見てみると、ああ、これは出て行かざるを得ないなと、残念だが見てしまった。そういえば今日は県知事選挙日だった。私は期日前投票で済ませていた。有効求人倍率は上がったというが、実際のところは職業選択の自由は奪われていると言っても過言ではないだろう。そんなことは以前からだったが、安倍さんが経済に喝を入れて、景気は良くなったと言われているものの、悪くなったとは言わないまでも、あまり変わりはないようである。マスコミには要望するが、現実をよく見て、から騒ぎはしないでもらいたい。

 今のところ私にはお金にならなくてもやるべきことがある。これは自分に課していることだから、お金にならないことは承知の上でやっている。アンチ副業の私だが、同人を退かれたご高齢の方が年賀状にゆったりした年にしたいものですと書いてこられた。聞屋さん上がりのこの方は、定年退職後、同人誌の編集長をされていた時期があった。書くこともされていたので、趣味とはいえ、なかなか責任あるお立場だった。ゆったりした年にしたいとは、ご本心だろう。今はスーパー主婦の方々が編集をなさっている。40号から私も編集のお手伝いをしているが、とても彼女らの忙しさには及びもつかないのに、編集量は少なくしてもらっている。だからお手伝いなのである。私は書くことの方に力点を置きたい。しかし会員だった以前とは違って、同人になるとなんらかの働きをしなければならない。編集以外にもやることはあるが、それは年に2週間もあればできる。それは外回りの仕事である。私の苦手とするような分野だが、売れてくれなければ次からは断られることになる。

 「西九州文学」と申します。これを以前G+で繋がっていた方が一冊買ってくださった。しかし今私はG+で不義理をしているから、その方もうんざりしているだろう。それにしても、同人誌を売り込むためにSNSを始めたのではなかった。ある一人の人と繋がりたいだけで始めたことだった。ブログは別だが。Twitterもあまり関係ない。フェイスブックもマメにやらないし、いろいろと機能も壊れてはいるが、付き合い悪い私である。その一人の人とは決して繋がることはできない。どうであれ繋がれないことは繋がれない。羽をもがれた鳥のようだから、フェイスブックでも飛べないだろう。Twitterはほぼ傍観状態である。滅多につぶやかないし、つぶやいても何の波紋もないに等しい。全くではないが。気の利いたことの一つもつぶやけない。私はいろいろと不義理を働く。矛盾撞着という言葉は私のためにあるようなものである。

 しかし物事は変化してゆく。どうせなら宣伝もやっちまうかとか、人助けもしようかとか、それが本当に助けになったかどうかはともかく、状況は変わる。何もやらないよりはマシなのかどうかもよくわからない。私はブログを書く時間帯が、よく昼ご飯を作らねばならない時間帯だったり、夕食を作らねばならない時間帯だったりにかかることが多い。今も夕食は家族の誰かが作っているだろう。そしてもうすぐご飯だと知らせがくるだろう。書き出したからには書き終わらねばならない。始めと終わりが綺麗な円弧を結ぶようだといいのだが、私はどうも歪なものになりそうだ。私という者は、生まれてからこのかた、成功するという体験がほぼない。何かを待ち望みながら挑みはするが成功とは縁遠い。永遠にそうなのだろうか。自分でも訳のわからぬことをやっているが、成功したと言える人は1%にも満たないのかもしれない。人のことはいいのだが、私自身はこの状態を続けることができるのだろうか。1%の人を支えている者の一人だと考えることにしようか。何をもって成功というのかは、自分の中にしかない気がする。もしも何かの賞をもらったとしても、その先があるのだ。永遠に運動しはしない。いずれ死が訪れる。パウロのように言えるだろうか。それが問題だ。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。

「夢千代日記」に行き着いた

 年が改まって初旬も過ぎようとしている。初旬である間に一つぐらい書いておこうと思う。主題はない。本当なら、小説まがいを書き始めねばならないのだが、書くことが溢れかえるような質じゃないので、少し端緒が得られたら書き始めることにする。実はある人から「数年かけてじっくり温めた構想を大長編に仕上げる意気込みで挑戦しましょう」というお言葉をいただいているのだが、あと十年しか生きる予定がないので、数年というのは長すぎる年月である。普通、並行して書くことをなさるのかもしれないが、私はなかなかそういう器用なことはできない。書き急ぐことはするまいと思うようになったが、それも途中から崩れ出すこともある。去年は八日に親戚の家に行って、十日ぐらいから書き始めた気がするが、書き急いでしまった。長編にするつもりだったが、短編で終わってしまった。長い梗概を読んでいるような気分だという感想もいただいた。記録文学としてならそういう感想も当然である。

 ところが百年前の話だし庶民の話なので、またその親戚の話が記憶がおぼろげで、殆ど調べようがなかった。アナール学派の遣り方で行くならば、何か出来たかもしれないが、私は歴史も苦手である。名もない一人の男の移民の話などどうやって調べればいいものやら。最低限は調べた。農業移民だし、銀行やら組合の話ぐらいしか調べる余地はなかった。ここ長崎の夜景は百万ドルの夜景と言われている。それだけ美しいのだろうが、その額からすると、彼の得た額は小さく感じられるが、それでも彼は日本に帰るのだが、彼の余生は悠々自適なものだった。ちょっとした財産持ちになった。それに彼は長男として実家のためにお金を稼いだとう側面も強かったので、自分だけのために働きに出たわけではない。記録文学にはなり損ねたが、他の観点もあるやもしれない。梗概のようにつらつらと書いた感は否めないかもしれないが、私は記録文学の線は捨てた。

 あとは情緒である。情緒はそうそう長く書けるものではない気がする。しかし移民の話を情緒だけですませるわけにもゆかない。最低限調べられるところは調べたが、庶民の話も大きな歴史のうねりの中にある。第一次世界大戦第二次世界大戦とが挟まっている。彼はアメリカで収容所送りになった。アメリカの収容所はナチスユダヤ人収容所とは違って現金なもので、連盟国側と戦った息子がいた場合などは、優遇されたようである。しかし彼には息子はいなかった。幼くして死んだ息子はいたが。もしその息子が生きていたら、彼はアメリカに留まったかもしれなかった。しかしそうはならなかった。彼の家族は次々と死んでしまった。日本に残して行った娘の長男だけが残った。その人が今度、話を聞かせてくれた人である。彼の孫にあたるが、息子として迎えられたという。彼は美輪明宏と同じ旧制中学に通ったようだが、死んだ息子が生きていたら大学へやったかもしれない。日本に残した娘も女学校まではやっている。

 第二次世界大戦後、日本に帰ると、もう七十歳は過ぎていただろうが、またアメリカに移民しようと目論んだようである。が、それはならなかった。作業着であるジーンズのつなぎを着て町を闊歩したようだが、日本ではそういう人はまだ少なかっただろう。農民でもアメリカ帰りはモダンな雰囲気を漂わせていたようである。この情緒である。もともと貧農ではなかった彼の百姓家は次男が継いで、彼は長崎市内の原爆の落ちたあたりの土地に住むようになった。彼はもう老人だった。私もその近くに住んでいて、同じ小学校の校区である。その小学校に戦後二十年ぐらいで入学した私であるが、その小学校にはピアノがなかったそうである。それで、その爺さんが小学校の土地を買って、小学校はその資金でピアノを買ったそうである。確かアップライトではなくてグランドピアノだったと思う。私が行く頃にはもうピアノはあった。マンモス校であった。

 昔は、原爆を受けた人々は相当差別されたとうこともあったようだが、後から入ってくる人々は、原爆なんのそのである。今のような知識がなかったこともあるかもしれないが、戦後すぐ復興は始まっている。それにしても原爆記念館などには子供の頃は二、三回は行ったようだった。七十年は草木も生えないだろうと言われていた土地だったが、そんなことはなかった。放射能は残っていたのかもしれないが、昔の人々はあまり気にしていなかったようである。今日「夢千代日記」を視た。夢千代は広島で原爆を受けたという設定である。吉永小百合さんはあの番組がきっかけで、被爆詩を朗読するようになられたとか。「夢千代日記」は好きなドラマだった。山陰の温泉地で密やかに生きる夢千代という芸子。山陰にはまだ行ったことがない。その頃、長崎は表日本の気候の土地柄だった。今頃は裏日本化している感じもあるが、当時、山陰というと、独特な感じがしたものだった。ドラマもそれを意識しているようだった。山陰の冬の海は凄いよと言った人があった。二千字を越したのでここで終わることにする。お付き合いくださってありがとうございます。

中庸、下世話ネタ

 今日は美容院へ行ってきた。ヘアダイとヘアカットである。私はパーマはかけない。ヘアダイをしている間に、コーヒーとチョコレートをいただく。いつも出していただく。待ち時間のある人には出されるようである。そのお店でも最小限のことしか話さないが、よく話す人と同じように、信頼関係は成り立っていると感じられる。お客の個性を感じ取ってくださる。帰りに、薬店や量販店に寄って買い物をした。体温計やら、顔、身体用のオイルやら、ハンガーやら、靴下やら、襟巻きなどを買った。襟巻きはこの季節売ってあるので、冬用だろうと当たりをつけた。5百円台だった。薄い生地でできているので、もしかしたら夏用かもしれない。首がスースーするのはたまらなから、今もう既に使っている。その代わりに夏用の襟巻きをやっと洗った。夏用は日焼けを避けるためであるが、盛夏には小さなサイズのやつを首に結ぶ。気休めのようだが。よく身に付けるものは大概決まっている。殆ど袖を通さないものは案外あったりする。

 靴下は美容院で雑誌を見ていたら、青の靴下が載っていたので、私も買ってみようと思って、3足939円で買ってきた。青ばかりではもちろんない。オフホワイトと茶系の靴下も買った。冬になって身体がカサつくので、オイルを買ってみた。私は飽き性なので、小さなサイズのやつを買った。5百円ぐらいのやつを2種類買った。一つは美容オイル、一つはマッサージ用オイルである。マッサージ用は引き締め効果があるらしいが、あまり期待はしていない。まずお腹をマッサージしてみた。掌に残ったオイルを手の甲になすりつけた。肌をなめらかにする効果もあるらしいからだ。その効き目はあるようだ。美容オイルはまだ使っていない。お化粧は家に帰ったらすぐに落とすが、美容オイルのことは忘れていた。いつものオールインワンジェルで済ませた。このオイルはボディーオイルとしては口コミで第1位だそうである。顔用には何も言われていない。5百円の品を顔用には使わないのだろうか。

 ボディークリームを塗ったら、あんまりお風呂に入らないから、身体が冷えてしょうがなかった。オイルも変わらないかもしれないが、少し軽いんじゃないかと期待している。腕や足がカサカサしてきたので買ってみた。引き締め用は無論、引き締め効果を期待しているが、運動も心がけたい。ただお風呂には1週間に2度ぐらいしか入らないので、汚れとして積もるかもしれない。私はよくそうやって、無駄な買い物をする。でも、グレープシードオイルは、ちょっと賭けてみようかと思っている。主にお腹のマッサージに使おうと考えている。あとは二の腕とか、肘から下のカサつきに用いようかと思っている。足もカサつくがもったいない気がする。いくら5百円でも20㎖しかないのである。それでも私はよく使いかけては捨てることも多い。こんなところにも私の意志薄弱さは出ている。でも捨てるときには案外、気を強く持つ。

 年単位で持っていることが多いのだが、捨てるときにはエイっとばかりに捨てる。一度それまで使っていた安物の化粧品をごっそり捨てたことがある。代わりに少し高い化粧品を買った。私は殆どお化粧しないから、長く持てるので、化粧品代はさほどかからない。しかも基礎化粧品もオールインワンジェルだから安くつく。それに手間がかからない。あまり肌をいじるのはよくないと言われている。その観点からもオールインワンジェルはいいのではないだろうか。でも手入れしなさすぎるのもよくないようだ。ほどほどがいいようである。それは値段の面からもそうである。あんまり高級なのは栄養価が高すぎてよろしくないらしい。安すぎるのもどうかと思う。中庸というものはこういうことにも言えるのだ。つまらぬことだが。何も精神界のことばかりに中庸は言われなくてもいいようである。中庸というのは保守精神の権化のようであるが。どうだろうか。

 保守すなわち右翼ではないだろう。保守というのはやはり中庸ではないだろうか。穏便である、穏健であるというようなことだろうか。高校も終わりかけの受験期に入って、学校から言われたものである。履歴書には思想穏健と書くように言われたことを思い出す。あの頃本当に子供だったのだなと思う。学校から言われるままにそう書いたものだった。私は若い頃はどちらかというと左翼がかっていたものだ。政治的には19歳でキリスト者になってからも、ずっと左翼がかっていた。朝日新聞の影響もあったかと思われるが。朝日新聞が左翼だろうか。そんなことはないだろうか。リベラルとは言われるが、保守とはほど遠いだろうか。またしても尿意を催している。私のパソコンは暗転して長く経つと、インターネットまで切れてしまう。急いでお手洗いに駆け込んだ。私はいつもこうやってヒヤヒヤしながら、パソコンに向かっている。推敲するときにも睡魔は襲ってくるが、そんなときには暗転してしまっていることもままある。だから最近は眠気を催すと、推敲は諦めがちである。ここまでお付き合いくださってありがとうございます。

理解が大事

 私が自分のことをオナニスト呼ばわりすると、バカにする人々がいる。私の書く謂は、修辞としての謂である。なんだか情けない。この歳になって肉体でするかい。アホくさい言葉もいい加減にしてもらいたいものだ。しかも私の名前は呼び捨てである。なんという失礼だろうか。思い返すと私が肉体でオナニーをしていたのは18の歳までだ。もちろんセックスもしない。それでも顔が険しくなったことはない。私は性なしを自分に課してきた。それは自分には持病があるからだ。外発性のものを内面化してきた。思想信条上、避妊も堕胎もできない。だから自分に課してきた。そう腹をくくると、神様は応えてくれるものだ。私は今まで性に縛られることなく、生きてきた。といっても、6年前までは誰も理解してくれなかったので、生殖器の感覚を試されていた。今もそうかもしれないが、6年前からは私の心の中ではそんなことを人がしていても、あまり気にならなくなった。誰にでもある感覚だから、同席の人がなっても私がなっていることにされた。私はそれでも、不満は言わなかった。却って歪な人々の餌食になってお気の毒に思えた。私さえいなければ気にすることもなかったろうに、私がいたことによって余計な心の負担がかかったようだったので、よっぽどのことがない限り、私は人中に出ることを避けるようになった。自分を省みることができるならば、そんなことは人に向かってできるものではないだろうに、する人々がいる。6年前入院してから分かったことだったが、理解者はいたのだった。あとでまた誤解されたが、天の神様と僅かの人々には理解されているのだろう。しかし18歳以降、私は性的な妄想に悩まされてきた。私はセックスの経験がないので今でもわからないのだが、眠っている間にセックスをされてしまって妊娠したのではないかと思ったりしてきた。妄想ではあるのだが、妙に不思議なことがあった。着衣の乱れも何もないのだが、ふと目をさますと、二人の男の漏らす笑いが耳に届き車のドアがバタンと締まり発射音がする。今まで私の部屋にいたのではないか。そう思われた。性といいうものは、幸福な性と、不幸な性がある。私はさしづめ後者であるが、一人で寝るのは怖くなり家族とともに寝るようになった。性というものは一人で寝ても、家族とともに寝ても、気味の悪いものであることには変わりない。家族と一緒に寝るようになっても夢で悩まされたりした。私にも性欲の片鱗はあるのだろう。大きな性欲を背後に抱えながら、表面では性欲を感じなかった。特段、オナニーもセックスも欲求がなかった。刺激もなかったかもしれない。あまり出歩かなかったし、どこへも顔を出さない時期も長かった。顔つきは暗かったかもしれないが、険しくはなかった。でも私にも隠れた性欲はあるのだろう。幼児性欲的ではあるが、寝ていて失禁しそうになると、トイレで排泄する夢を見る。この歳になるとお漏らしすることだってある。途中で夢だと気付いて、そうひどい失禁はしないが。子供に返っているのだろうか。やっと最近、あまりおぞましい性妄想からは解放されだしたが、性がなかったにもかかわらず、性に振り回された人生だったかもしれない。不正出血じみたものがあったので、産婦人科に行くとピザが一片切り取られたみたく、処女膜が破られていた跡があった。それは20代の初めの頃、カンジダだったのを、ひどい性病だと思い込んだが、それも妄想で、先生は私が癌を疑っているのではないかと勘違いして、ピザの一片のように処女膜を破いて、内側の粘膜を少し取って、顕微鏡を覗かせて心配はないと言って聞かせた。性病でももちろんなかった。カンジダでもなかったようだった。その跡にうず高く薬を塗られたようで、不正出血だと思って行った時には、ぐいぐいと器具を入れられて、そのゴム状の薬の盛ってあるのもぐいぐいとへし折られてやたら痛かった。あとでぽろぽろと、出てきたのでそれとわかった。だからセックスによらず今は処女膜もない。違う産婦人科だったので事情もわからなかったわけである。また私がセックスをしないものであるという理解もなかった。今から6年目の入院の折には理解されていたようだったが。でもあとで一番大事な人からまた誤解されたのは痛かった。悲惨な思いをしたものだ。私は思想信条上オナニーもしなくなりセックスもしなかったが、18の歳にオナニーをやめる間まで、かなりオナニーをしていたのでその罪悪感が強かった。性は疚しいものであると、フランスの思想家は言っているけれど、本当にそうで疚しい思いをいっぱいしながらオナニーをやっていたので、心の負担がかかったものと思われる。大概の人がやっているにもかかわらず、私は特別な目で見られる。私は今は軽やかに過ごしているが、オナニストと言うのは修辞にすぎない。しかし郵便ポスト前のガソリンスタンドの人々はうるさい。私はまがりなりにも、ものを書いているので、そう書いたまでである。私はその類のことで人を指差す人の気が知れない。彼らはそんなにあっけらかんとした性の人々なのだろうか。羨ましい限りである。ここまでおつきあいいただきありがとうございます。

SNS尽くし

 メモ帳兼日記の余白もあとわずかになった。あれはいつのことだったかを調べるのにだけ有効なもので、殆ど読み返されないのだが、シコシコとつけている。今年はツウィッターなどに手を出してしまって、自分でも驚いている。フェイスブックもツウィッターも殆ど眺めるかいいねぐらいだが、ブログもあまり熱心ではなかった。ツウィッターではことの発端を知らずして、反射的にものを言ったこともあった。一番しっくりくるのはブログだが、オナニストの所以だろうか。どれも私への反応は薄いのだが。ブログも訪れる人は少ない。メモ帳にまで書き付けている。書き付けるのが好きなのだろうか。アウトドア派じゃないので、家の中に閉じこもっていることが多いのだが、SNSを眺めていると、なんと私と違う人々ばかりなのだろうかと、一種感慨を覚える。当たり前の話だが、それでも私はいいねボタンを押すことは多いのじゃないかと思っている。フェイスブックでは最近はコメント機能が麻痺していて、絵文字やスタンプやいいねしかできなくなっている。自分で投稿する機能はあるのだが。それで人様とのやりとりも随分、制限されている。

 昨日、私は孤独だった。出がけに鍵を掛け忘れたことに気づいた。もう引き戻せないところまで来ていた。母も美容院に行っていた。私の用事が済んでから、母に連絡をつけると、何事もなかったように母が家に帰り着いていた。鍵が掛かっていなかったことにも気付かなかったようだった。その間、憂鬱でたまらなかった。私が憂鬱だと医師は機嫌がいい。元気のいい私は嫌いなようだ。彼の医師性が発揮できるからだろうか。昨日、私は憂鬱だった。鍵を掛け忘れたからだ。何事もなかったと聞くと、途端に元気を回復して街まで出かけた。私はわざわざはなかなか出かけない。買い足さねばならないものもあり、同人誌が売れているかどうかも知りたかった。フリクションボールのブルーブラックのインクの予備がなくなったので、それを3本買った。三色のフリクションボールのインクの青と黒も替え芯を買った。

 鳩居堂の葉書を買った。これは安めのもので、10枚で130円未満である。いつもはグレーの線のを買うのだが、今回は青の線のにした。それから私の便箋はコクヨの横書きなので横書き用の便箋を買った。私は一筆箋を使うことが多いのだが、鳩居堂の蘭の一筆箋をこの間、買った。また桃ガステラの絵のついた一筆箋も買った。こちらは本屋さんの郷土のコーナーで買った。これは案外、高かった。文房具は高くつく。鳩居堂の一枚86円の葉書はさすがに買わなかった。お正月用が多かったし、それ以外でも冬場の植物の絵が多かった。冬場に葉書を書くあてはない。書くのだったら季節を選ばない、青の線のに書こうと思った。私は筆書きのように手を浮かして書くことができない。だから、縦書きはやめることにした。手でインクを滲ませてしまうからだ。で、最近はクリスマスカードも年賀状も何もかも横書きである。

 そのついでに本屋さんに寄って、同人誌が売れているかどうか偵察した。郷土のコーナーにはなかったので、お店の人に聞くと、売り切れていた。5冊全部売り切れていた。同人には詩人で福田正夫賞をとった人がいるし、小説でも県の文芸賞をもらった人もいる。そのお陰か売れ行きは好調である。郷土の本屋さんだから、規模は縮小されたとはいえ根強い人気がある。全国規模の本屋さんで売れているかどうか、近日中に偵察に行こうかと思う。前回は5冊全部は出されていなかった模様で、2冊しか売れていなかったが、今回も置いてもらえた。売れているといいのだが。本棚になかったので大分売れたと思いきや、小出しにしてあったのだった。でも全国誌の中に置かれていた。郷土のコーナーではなくて、全国規模の文芸誌の中に置かれていた。まだ、賞を取る人が出る前だった。そういえば賞をもらった人がこの同人誌に入会してくれたということもあった。

 またそのついでにぶらぶらしていると、古いものを売っているお店があった。そこでイヤリングの可愛いのを見つけた。四角い金属の台に四角にカットされたガラスが嵌め込まれている。赤銅色をもっと黒くした感じの色合いである。小さなものである。カジュアルにもいいし、夜会などにも良さそうである。夜会に出ることはなさそうだが、普段にしているのもいいかと思って、千円の値段で買った。着け心地も悪くない。もともと手にしていた人がどういった経緯で手放したのか知りたい気がする。小さいから付けにくいということもあるかもしれない。日常、イヤリングなどしたことはない私であるが、今度のは日常に付けられそうである。街の靴屋さんはどこも高くて品揃えがなかった。帰りにうちの近くの量販店の中にある個人商店の靴屋さんに寄って、30%引きのショートブーツを買った。靴は値段通りではあるが、サイズも大きかったので中敷をしてもらって買ったらまあよかった。冬にしか履かないと思うが、母は雨が降っても履けると考えているらしい。

 私の靴はどれも短靴である。一昨年ぐらいから買いなさいと言われていて、ずっと買わなかったショートブーツである。私には高い買い物だったが仕方ないと手を打った。イヤリングの6倍はするが、イヤリングが手に入ったことで気を良くしていたので、ついつい買ってしまった。今から夕食である。北の人から今、ショートメールが届いた。受けるのはタダだが、送るのは3円かかる。普通のメールだと2ギガまではタダである。私は滅多にメールはしない。先日までショートメールは送っていたが、2ギガまではタダのに乗り換えたから普通のメールでお返事した。そう、私も格安スマホを手にしている。Yモバイルの奴である。もちろん家族間ではラインをやっている。他にはラインができそうな人はいない。来月からスマホ代は2千円台である。京セラのスマホは今の所気に入っている。持つならiフォーンと思っていたが、あれは壊れやすい。京セラのは強いし安い。家族で乗り換えた。これより安くなったら、2年後にまた乗り換えるかもしれない。歳とった母が、なんとかできるようになってきた。ありがたいことに家の母はまだまだ若い。

やきもき

 11月は推敲せねばならない時期に当たっていたが、なかなかできなかった。12月に入ってなんとか間に合わせたが、12月10日が締め切りの大きな賞の方のは、特に問題はなかったが、もう一つの小さな賞の方は12月31日が締め切りであるが、今年、同人誌に掲載されたものなら応募可だったので、同人誌を3冊送った。そこに貼る、表紙の400字詰め換算の枚数を間違った。作品自体は30枚以上50枚以内という規定には添っているのだが、当初別の作品を投稿予定だったので、そっちの方の換算枚数を書いて出してしまった。うっかりミスである。ちょっと急ぎすぎた。同人誌の方の編集の手伝いもあったので、早めに出してしまって日程的には良かったのだが、そんな間違いをしでかした。おっちょこちょいである。まあ、入賞しないのはわかりきっているので、いいのだが。しかし12月10日が締め切りの方は、前回はメールで受け取った旨、返事が来たのに、今回は来ない。

 応募数が多かったのは前回もそうである。だから応募数が増えたにしても、規約が変わったとは思えない。私のメールアドレスが変になっているのだろうか。そういうことも過去にはあった。知り合いからのメールの返事もなかなか来ない。それは相手が忙しいことはわかっている。だからいつものことなのであまり気にしてはいない。でもメールアドレスの確認はしてみよう。やはり間違ってはいなさそうである。私は知り合いでもない応募先からでさえも、切って切って切りまくられているのだろうか。前回は2日に出して5日には返事をもらっている。今回は5日に出したが返事は来ない。前回メールで予選通過者名なども送られてきたので、親切なところだなあと感慨深かったものだったが。こういうことがあると無事に届いたものやらわからなくなる。でもまあいいや。この作は来年、本を出すときには収載するつもりである。落こっちることはわかりきっている。

 東大出、新聞記者あがりには世間は口出ししない。私は口出ししたが。だっておかしいもん。文学の世界でこんなことが罷り通っていいものだろうか。私のようななんの肩書きもないものには、ああだこうだ言ってくるのにである。確かに私のはおかしいところもあったかもしれないが、草創期の人々だったらもっと違った対応があったのではないかと思われてならない。そんなことが上から下まで罷り通っている。もうみんな天国に逝っちゃった、草創期の人々。これから先いいこともなさそうである。早く死にたい。早く死ねるかもしれない。癌かなにかで死にたい。家の家系は癌だから、案外、癌で死ねるかもしれない。でも私は母方似、母方は癌の家系ではない。そういえば母方の叔母が癌だったが、私は延命治療はしない。抗癌剤も使わないつもりだ。私はあっさりと死んでゆきたい。でも母が生きているうちには死なれない。母を看取ってから死にたい。でも姉も心配だ。

 こんなことが文学と何の関係があるのかと思われるだろう。そう思われても仕方ない。文学の中には生きている全てが含まれる。文学賞がもらえないからといって、死にたいと思うのは短絡的に過ぎやしないか。確かに短絡的ではあろうが、私には趣味というものがない。楽しみがないのである。若かった頃は履歴書の趣味の欄にはいろいろ書いたものである。絵画鑑賞、音楽鑑賞、読書、日本舞踊等々。芸術はなんでも嫌いではない。でも私はあまり詳しくはない。日本舞踊は習っていた。能楽もちょっと習った。フルートもちょっとやった。中学の頃は深夜放送も聞いた。クラシック音楽も好きだ。一番好きなのはクラシック音楽だ。次が長唄、とくる。しかし詳しくはない。今ではどれもほとんど聴かない。それで小説の細部として取り入れることもない。なんか邪道な気がする。私は小説書きの代わりに絵描きを持ってくることがよくある。それは擬態だからしょうがない。細部ではない。

 12月10日に投稿した作は、去年書いたものだった。手を入れて再度出した。同じところではない。しかし題名は変えなかった。それ以外に考えられなかったからである。私は題名のセンスがないにもかかわらず、その題名には拘った。私は今、尿意を催している。早く書き上げねばならない。最近、東大出の作家が少ないのは、作家業が儲からないからだろうか。松浦寿輝氏はいる。もしプロになれたにしても食べては行けないかもしれない。それほど文筆業の価値は低くなっているのだろうか。しかし私はそんなことは問題にしてはいない。私は書くことが好きなのだ。邪道は許さん、自分には。だから基本的に「ノルウェイの森」も本当は認めたくない。あまり認めてはいないが。笑止である。私ごときが賞を取った作家について書くとは。賞品の万年筆の部分は削ったが、その後で大きな新人賞の副賞が万年筆と明記されるようになった。私の作は読まれていないにもかかわらず。そう、私の影響ではないのだ。