マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

「夢千代日記」に行き着いた

 年が改まって初旬も過ぎようとしている。初旬である間に一つぐらい書いておこうと思う。主題はない。本当なら、小説まがいを書き始めねばならないのだが、書くことが溢れかえるような質じゃないので、少し端緒が得られたら書き始めることにする。実はある人から「数年かけてじっくり温めた構想を大長編に仕上げる意気込みで挑戦しましょう」というお言葉をいただいているのだが、あと十年しか生きる予定がないので、数年というのは長すぎる年月である。普通、並行して書くことをなさるのかもしれないが、私はなかなかそういう器用なことはできない。書き急ぐことはするまいと思うようになったが、それも途中から崩れ出すこともある。去年は八日に親戚の家に行って、十日ぐらいから書き始めた気がするが、書き急いでしまった。長編にするつもりだったが、短編で終わってしまった。長い梗概を読んでいるような気分だという感想もいただいた。記録文学としてならそういう感想も当然である。

 ところが百年前の話だし庶民の話なので、またその親戚の話が記憶がおぼろげで、殆ど調べようがなかった。アナール学派の遣り方で行くならば、何か出来たかもしれないが、私は歴史も苦手である。名もない一人の男の移民の話などどうやって調べればいいものやら。最低限は調べた。農業移民だし、銀行やら組合の話ぐらいしか調べる余地はなかった。ここ長崎の夜景は百万ドルの夜景と言われている。それだけ美しいのだろうが、その額からすると、彼の得た額は小さく感じられるが、それでも彼は日本に帰るのだが、彼の余生は悠々自適なものだった。ちょっとした財産持ちになった。それに彼は長男として実家のためにお金を稼いだとう側面も強かったので、自分だけのために働きに出たわけではない。記録文学にはなり損ねたが、他の観点もあるやもしれない。梗概のようにつらつらと書いた感は否めないかもしれないが、私は記録文学の線は捨てた。

 あとは情緒である。情緒はそうそう長く書けるものではない気がする。しかし移民の話を情緒だけですませるわけにもゆかない。最低限調べられるところは調べたが、庶民の話も大きな歴史のうねりの中にある。第一次世界大戦第二次世界大戦とが挟まっている。彼はアメリカで収容所送りになった。アメリカの収容所はナチスユダヤ人収容所とは違って現金なもので、連盟国側と戦った息子がいた場合などは、優遇されたようである。しかし彼には息子はいなかった。幼くして死んだ息子はいたが。もしその息子が生きていたら、彼はアメリカに留まったかもしれなかった。しかしそうはならなかった。彼の家族は次々と死んでしまった。日本に残して行った娘の長男だけが残った。その人が今度、話を聞かせてくれた人である。彼の孫にあたるが、息子として迎えられたという。彼は美輪明宏と同じ旧制中学に通ったようだが、死んだ息子が生きていたら大学へやったかもしれない。日本に残した娘も女学校まではやっている。

 第二次世界大戦後、日本に帰ると、もう七十歳は過ぎていただろうが、またアメリカに移民しようと目論んだようである。が、それはならなかった。作業着であるジーンズのつなぎを着て町を闊歩したようだが、日本ではそういう人はまだ少なかっただろう。農民でもアメリカ帰りはモダンな雰囲気を漂わせていたようである。この情緒である。もともと貧農ではなかった彼の百姓家は次男が継いで、彼は長崎市内の原爆の落ちたあたりの土地に住むようになった。彼はもう老人だった。私もその近くに住んでいて、同じ小学校の校区である。その小学校に戦後二十年ぐらいで入学した私であるが、その小学校にはピアノがなかったそうである。それで、その爺さんが小学校の土地を買って、小学校はその資金でピアノを買ったそうである。確かアップライトではなくてグランドピアノだったと思う。私が行く頃にはもうピアノはあった。マンモス校であった。

 昔は、原爆を受けた人々は相当差別されたとうこともあったようだが、後から入ってくる人々は、原爆なんのそのである。今のような知識がなかったこともあるかもしれないが、戦後すぐ復興は始まっている。それにしても原爆記念館などには子供の頃は二、三回は行ったようだった。七十年は草木も生えないだろうと言われていた土地だったが、そんなことはなかった。放射能は残っていたのかもしれないが、昔の人々はあまり気にしていなかったようである。今日「夢千代日記」を視た。夢千代は広島で原爆を受けたという設定である。吉永小百合さんはあの番組がきっかけで、被爆詩を朗読するようになられたとか。「夢千代日記」は好きなドラマだった。山陰の温泉地で密やかに生きる夢千代という芸子。山陰にはまだ行ったことがない。その頃、長崎は表日本の気候の土地柄だった。今頃は裏日本化している感じもあるが、当時、山陰というと、独特な感じがしたものだった。ドラマもそれを意識しているようだった。山陰の冬の海は凄いよと言った人があった。二千字を越したのでここで終わることにする。お付き合いくださってありがとうございます。

中庸、下世話ネタ

 今日は美容院へ行ってきた。ヘアダイとヘアカットである。私はパーマはかけない。ヘアダイをしている間に、コーヒーとチョコレートをいただく。いつも出していただく。待ち時間のある人には出されるようである。そのお店でも最小限のことしか話さないが、よく話す人と同じように、信頼関係は成り立っていると感じられる。お客の個性を感じ取ってくださる。帰りに、薬店や量販店に寄って買い物をした。体温計やら、顔、身体用のオイルやら、ハンガーやら、靴下やら、襟巻きなどを買った。襟巻きはこの季節売ってあるので、冬用だろうと当たりをつけた。5百円台だった。薄い生地でできているので、もしかしたら夏用かもしれない。首がスースーするのはたまらなから、今もう既に使っている。その代わりに夏用の襟巻きをやっと洗った。夏用は日焼けを避けるためであるが、盛夏には小さなサイズのやつを首に結ぶ。気休めのようだが。よく身に付けるものは大概決まっている。殆ど袖を通さないものは案外あったりする。

 靴下は美容院で雑誌を見ていたら、青の靴下が載っていたので、私も買ってみようと思って、3足939円で買ってきた。青ばかりではもちろんない。オフホワイトと茶系の靴下も買った。冬になって身体がカサつくので、オイルを買ってみた。私は飽き性なので、小さなサイズのやつを買った。5百円ぐらいのやつを2種類買った。一つは美容オイル、一つはマッサージ用オイルである。マッサージ用は引き締め効果があるらしいが、あまり期待はしていない。まずお腹をマッサージしてみた。掌に残ったオイルを手の甲になすりつけた。肌をなめらかにする効果もあるらしいからだ。その効き目はあるようだ。美容オイルはまだ使っていない。お化粧は家に帰ったらすぐに落とすが、美容オイルのことは忘れていた。いつものオールインワンジェルで済ませた。このオイルはボディーオイルとしては口コミで第1位だそうである。顔用には何も言われていない。5百円の品を顔用には使わないのだろうか。

 ボディークリームを塗ったら、あんまりお風呂に入らないから、身体が冷えてしょうがなかった。オイルも変わらないかもしれないが、少し軽いんじゃないかと期待している。腕や足がカサカサしてきたので買ってみた。引き締め用は無論、引き締め効果を期待しているが、運動も心がけたい。ただお風呂には1週間に2度ぐらいしか入らないので、汚れとして積もるかもしれない。私はよくそうやって、無駄な買い物をする。でも、グレープシードオイルは、ちょっと賭けてみようかと思っている。主にお腹のマッサージに使おうと考えている。あとは二の腕とか、肘から下のカサつきに用いようかと思っている。足もカサつくがもったいない気がする。いくら5百円でも20㎖しかないのである。それでも私はよく使いかけては捨てることも多い。こんなところにも私の意志薄弱さは出ている。でも捨てるときには案外、気を強く持つ。

 年単位で持っていることが多いのだが、捨てるときにはエイっとばかりに捨てる。一度それまで使っていた安物の化粧品をごっそり捨てたことがある。代わりに少し高い化粧品を買った。私は殆どお化粧しないから、長く持てるので、化粧品代はさほどかからない。しかも基礎化粧品もオールインワンジェルだから安くつく。それに手間がかからない。あまり肌をいじるのはよくないと言われている。その観点からもオールインワンジェルはいいのではないだろうか。でも手入れしなさすぎるのもよくないようだ。ほどほどがいいようである。それは値段の面からもそうである。あんまり高級なのは栄養価が高すぎてよろしくないらしい。安すぎるのもどうかと思う。中庸というものはこういうことにも言えるのだ。つまらぬことだが。何も精神界のことばかりに中庸は言われなくてもいいようである。中庸というのは保守精神の権化のようであるが。どうだろうか。

 保守すなわち右翼ではないだろう。保守というのはやはり中庸ではないだろうか。穏便である、穏健であるというようなことだろうか。高校も終わりかけの受験期に入って、学校から言われたものである。履歴書には思想穏健と書くように言われたことを思い出す。あの頃本当に子供だったのだなと思う。学校から言われるままにそう書いたものだった。私は若い頃はどちらかというと左翼がかっていたものだ。政治的には19歳でキリスト者になってからも、ずっと左翼がかっていた。朝日新聞の影響もあったかと思われるが。朝日新聞が左翼だろうか。そんなことはないだろうか。リベラルとは言われるが、保守とはほど遠いだろうか。またしても尿意を催している。私のパソコンは暗転して長く経つと、インターネットまで切れてしまう。急いでお手洗いに駆け込んだ。私はいつもこうやってヒヤヒヤしながら、パソコンに向かっている。推敲するときにも睡魔は襲ってくるが、そんなときには暗転してしまっていることもままある。だから最近は眠気を催すと、推敲は諦めがちである。ここまでお付き合いくださってありがとうございます。

理解が大事

 私が自分のことをオナニスト呼ばわりすると、バカにする人々がいる。私の書く謂は、修辞としての謂である。なんだか情けない。この歳になって肉体でするかい。アホくさい言葉もいい加減にしてもらいたいものだ。しかも私の名前は呼び捨てである。なんという失礼だろうか。思い返すと私が肉体でオナニーをしていたのは18の歳までだ。もちろんセックスもしない。それでも顔が険しくなったことはない。私は性なしを自分に課してきた。それは自分には持病があるからだ。外発性のものを内面化してきた。思想信条上、避妊も堕胎もできない。だから自分に課してきた。そう腹をくくると、神様は応えてくれるものだ。私は今まで性に縛られることなく、生きてきた。といっても、6年前までは誰も理解してくれなかったので、生殖器の感覚を試されていた。今もそうかもしれないが、6年前からは私の心の中ではそんなことを人がしていても、あまり気にならなくなった。誰にでもある感覚だから、同席の人がなっても私がなっていることにされた。私はそれでも、不満は言わなかった。却って歪な人々の餌食になってお気の毒に思えた。私さえいなければ気にすることもなかったろうに、私がいたことによって余計な心の負担がかかったようだったので、よっぽどのことがない限り、私は人中に出ることを避けるようになった。自分を省みることができるならば、そんなことは人に向かってできるものではないだろうに、する人々がいる。6年前入院してから分かったことだったが、理解者はいたのだった。あとでまた誤解されたが、天の神様と僅かの人々には理解されているのだろう。しかし18歳以降、私は性的な妄想に悩まされてきた。私はセックスの経験がないので今でもわからないのだが、眠っている間にセックスをされてしまって妊娠したのではないかと思ったりしてきた。妄想ではあるのだが、妙に不思議なことがあった。着衣の乱れも何もないのだが、ふと目をさますと、二人の男の漏らす笑いが耳に届き車のドアがバタンと締まり発射音がする。今まで私の部屋にいたのではないか。そう思われた。性といいうものは、幸福な性と、不幸な性がある。私はさしづめ後者であるが、一人で寝るのは怖くなり家族とともに寝るようになった。性というものは一人で寝ても、家族とともに寝ても、気味の悪いものであることには変わりない。家族と一緒に寝るようになっても夢で悩まされたりした。私にも性欲の片鱗はあるのだろう。大きな性欲を背後に抱えながら、表面では性欲を感じなかった。特段、オナニーもセックスも欲求がなかった。刺激もなかったかもしれない。あまり出歩かなかったし、どこへも顔を出さない時期も長かった。顔つきは暗かったかもしれないが、険しくはなかった。でも私にも隠れた性欲はあるのだろう。幼児性欲的ではあるが、寝ていて失禁しそうになると、トイレで排泄する夢を見る。この歳になるとお漏らしすることだってある。途中で夢だと気付いて、そうひどい失禁はしないが。子供に返っているのだろうか。やっと最近、あまりおぞましい性妄想からは解放されだしたが、性がなかったにもかかわらず、性に振り回された人生だったかもしれない。不正出血じみたものがあったので、産婦人科に行くとピザが一片切り取られたみたく、処女膜が破られていた跡があった。それは20代の初めの頃、カンジダだったのを、ひどい性病だと思い込んだが、それも妄想で、先生は私が癌を疑っているのではないかと勘違いして、ピザの一片のように処女膜を破いて、内側の粘膜を少し取って、顕微鏡を覗かせて心配はないと言って聞かせた。性病でももちろんなかった。カンジダでもなかったようだった。その跡にうず高く薬を塗られたようで、不正出血だと思って行った時には、ぐいぐいと器具を入れられて、そのゴム状の薬の盛ってあるのもぐいぐいとへし折られてやたら痛かった。あとでぽろぽろと、出てきたのでそれとわかった。だからセックスによらず今は処女膜もない。違う産婦人科だったので事情もわからなかったわけである。また私がセックスをしないものであるという理解もなかった。今から6年目の入院の折には理解されていたようだったが。でもあとで一番大事な人からまた誤解されたのは痛かった。悲惨な思いをしたものだ。私は思想信条上オナニーもしなくなりセックスもしなかったが、18の歳にオナニーをやめる間まで、かなりオナニーをしていたのでその罪悪感が強かった。性は疚しいものであると、フランスの思想家は言っているけれど、本当にそうで疚しい思いをいっぱいしながらオナニーをやっていたので、心の負担がかかったものと思われる。大概の人がやっているにもかかわらず、私は特別な目で見られる。私は今は軽やかに過ごしているが、オナニストと言うのは修辞にすぎない。しかし郵便ポスト前のガソリンスタンドの人々はうるさい。私はまがりなりにも、ものを書いているので、そう書いたまでである。私はその類のことで人を指差す人の気が知れない。彼らはそんなにあっけらかんとした性の人々なのだろうか。羨ましい限りである。ここまでおつきあいいただきありがとうございます。

SNS尽くし

 メモ帳兼日記の余白もあとわずかになった。あれはいつのことだったかを調べるのにだけ有効なもので、殆ど読み返されないのだが、シコシコとつけている。今年はツウィッターなどに手を出してしまって、自分でも驚いている。フェイスブックもツウィッターも殆ど眺めるかいいねぐらいだが、ブログもあまり熱心ではなかった。ツウィッターではことの発端を知らずして、反射的にものを言ったこともあった。一番しっくりくるのはブログだが、オナニストの所以だろうか。どれも私への反応は薄いのだが。ブログも訪れる人は少ない。メモ帳にまで書き付けている。書き付けるのが好きなのだろうか。アウトドア派じゃないので、家の中に閉じこもっていることが多いのだが、SNSを眺めていると、なんと私と違う人々ばかりなのだろうかと、一種感慨を覚える。当たり前の話だが、それでも私はいいねボタンを押すことは多いのじゃないかと思っている。フェイスブックでは最近はコメント機能が麻痺していて、絵文字やスタンプやいいねしかできなくなっている。自分で投稿する機能はあるのだが。それで人様とのやりとりも随分、制限されている。

 昨日、私は孤独だった。出がけに鍵を掛け忘れたことに気づいた。もう引き戻せないところまで来ていた。母も美容院に行っていた。私の用事が済んでから、母に連絡をつけると、何事もなかったように母が家に帰り着いていた。鍵が掛かっていなかったことにも気付かなかったようだった。その間、憂鬱でたまらなかった。私が憂鬱だと医師は機嫌がいい。元気のいい私は嫌いなようだ。彼の医師性が発揮できるからだろうか。昨日、私は憂鬱だった。鍵を掛け忘れたからだ。何事もなかったと聞くと、途端に元気を回復して街まで出かけた。私はわざわざはなかなか出かけない。買い足さねばならないものもあり、同人誌が売れているかどうかも知りたかった。フリクションボールのブルーブラックのインクの予備がなくなったので、それを3本買った。三色のフリクションボールのインクの青と黒も替え芯を買った。

 鳩居堂の葉書を買った。これは安めのもので、10枚で130円未満である。いつもはグレーの線のを買うのだが、今回は青の線のにした。それから私の便箋はコクヨの横書きなので横書き用の便箋を買った。私は一筆箋を使うことが多いのだが、鳩居堂の蘭の一筆箋をこの間、買った。また桃ガステラの絵のついた一筆箋も買った。こちらは本屋さんの郷土のコーナーで買った。これは案外、高かった。文房具は高くつく。鳩居堂の一枚86円の葉書はさすがに買わなかった。お正月用が多かったし、それ以外でも冬場の植物の絵が多かった。冬場に葉書を書くあてはない。書くのだったら季節を選ばない、青の線のに書こうと思った。私は筆書きのように手を浮かして書くことができない。だから、縦書きはやめることにした。手でインクを滲ませてしまうからだ。で、最近はクリスマスカードも年賀状も何もかも横書きである。

 そのついでに本屋さんに寄って、同人誌が売れているかどうか偵察した。郷土のコーナーにはなかったので、お店の人に聞くと、売り切れていた。5冊全部売り切れていた。同人には詩人で福田正夫賞をとった人がいるし、小説でも県の文芸賞をもらった人もいる。そのお陰か売れ行きは好調である。郷土の本屋さんだから、規模は縮小されたとはいえ根強い人気がある。全国規模の本屋さんで売れているかどうか、近日中に偵察に行こうかと思う。前回は5冊全部は出されていなかった模様で、2冊しか売れていなかったが、今回も置いてもらえた。売れているといいのだが。本棚になかったので大分売れたと思いきや、小出しにしてあったのだった。でも全国誌の中に置かれていた。郷土のコーナーではなくて、全国規模の文芸誌の中に置かれていた。まだ、賞を取る人が出る前だった。そういえば賞をもらった人がこの同人誌に入会してくれたということもあった。

 またそのついでにぶらぶらしていると、古いものを売っているお店があった。そこでイヤリングの可愛いのを見つけた。四角い金属の台に四角にカットされたガラスが嵌め込まれている。赤銅色をもっと黒くした感じの色合いである。小さなものである。カジュアルにもいいし、夜会などにも良さそうである。夜会に出ることはなさそうだが、普段にしているのもいいかと思って、千円の値段で買った。着け心地も悪くない。もともと手にしていた人がどういった経緯で手放したのか知りたい気がする。小さいから付けにくいということもあるかもしれない。日常、イヤリングなどしたことはない私であるが、今度のは日常に付けられそうである。街の靴屋さんはどこも高くて品揃えがなかった。帰りにうちの近くの量販店の中にある個人商店の靴屋さんに寄って、30%引きのショートブーツを買った。靴は値段通りではあるが、サイズも大きかったので中敷をしてもらって買ったらまあよかった。冬にしか履かないと思うが、母は雨が降っても履けると考えているらしい。

 私の靴はどれも短靴である。一昨年ぐらいから買いなさいと言われていて、ずっと買わなかったショートブーツである。私には高い買い物だったが仕方ないと手を打った。イヤリングの6倍はするが、イヤリングが手に入ったことで気を良くしていたので、ついつい買ってしまった。今から夕食である。北の人から今、ショートメールが届いた。受けるのはタダだが、送るのは3円かかる。普通のメールだと2ギガまではタダである。私は滅多にメールはしない。先日までショートメールは送っていたが、2ギガまではタダのに乗り換えたから普通のメールでお返事した。そう、私も格安スマホを手にしている。Yモバイルの奴である。もちろん家族間ではラインをやっている。他にはラインができそうな人はいない。来月からスマホ代は2千円台である。京セラのスマホは今の所気に入っている。持つならiフォーンと思っていたが、あれは壊れやすい。京セラのは強いし安い。家族で乗り換えた。これより安くなったら、2年後にまた乗り換えるかもしれない。歳とった母が、なんとかできるようになってきた。ありがたいことに家の母はまだまだ若い。

やきもき

 11月は推敲せねばならない時期に当たっていたが、なかなかできなかった。12月に入ってなんとか間に合わせたが、12月10日が締め切りの大きな賞の方のは、特に問題はなかったが、もう一つの小さな賞の方は12月31日が締め切りであるが、今年、同人誌に掲載されたものなら応募可だったので、同人誌を3冊送った。そこに貼る、表紙の400字詰め換算の枚数を間違った。作品自体は30枚以上50枚以内という規定には添っているのだが、当初別の作品を投稿予定だったので、そっちの方の換算枚数を書いて出してしまった。うっかりミスである。ちょっと急ぎすぎた。同人誌の方の編集の手伝いもあったので、早めに出してしまって日程的には良かったのだが、そんな間違いをしでかした。おっちょこちょいである。まあ、入賞しないのはわかりきっているので、いいのだが。しかし12月10日が締め切りの方は、前回はメールで受け取った旨、返事が来たのに、今回は来ない。

 応募数が多かったのは前回もそうである。だから応募数が増えたにしても、規約が変わったとは思えない。私のメールアドレスが変になっているのだろうか。そういうことも過去にはあった。知り合いからのメールの返事もなかなか来ない。それは相手が忙しいことはわかっている。だからいつものことなのであまり気にしてはいない。でもメールアドレスの確認はしてみよう。やはり間違ってはいなさそうである。私は知り合いでもない応募先からでさえも、切って切って切りまくられているのだろうか。前回は2日に出して5日には返事をもらっている。今回は5日に出したが返事は来ない。前回メールで予選通過者名なども送られてきたので、親切なところだなあと感慨深かったものだったが。こういうことがあると無事に届いたものやらわからなくなる。でもまあいいや。この作は来年、本を出すときには収載するつもりである。落こっちることはわかりきっている。

 東大出、新聞記者あがりには世間は口出ししない。私は口出ししたが。だっておかしいもん。文学の世界でこんなことが罷り通っていいものだろうか。私のようななんの肩書きもないものには、ああだこうだ言ってくるのにである。確かに私のはおかしいところもあったかもしれないが、草創期の人々だったらもっと違った対応があったのではないかと思われてならない。そんなことが上から下まで罷り通っている。もうみんな天国に逝っちゃった、草創期の人々。これから先いいこともなさそうである。早く死にたい。早く死ねるかもしれない。癌かなにかで死にたい。家の家系は癌だから、案外、癌で死ねるかもしれない。でも私は母方似、母方は癌の家系ではない。そういえば母方の叔母が癌だったが、私は延命治療はしない。抗癌剤も使わないつもりだ。私はあっさりと死んでゆきたい。でも母が生きているうちには死なれない。母を看取ってから死にたい。でも姉も心配だ。

 こんなことが文学と何の関係があるのかと思われるだろう。そう思われても仕方ない。文学の中には生きている全てが含まれる。文学賞がもらえないからといって、死にたいと思うのは短絡的に過ぎやしないか。確かに短絡的ではあろうが、私には趣味というものがない。楽しみがないのである。若かった頃は履歴書の趣味の欄にはいろいろ書いたものである。絵画鑑賞、音楽鑑賞、読書、日本舞踊等々。芸術はなんでも嫌いではない。でも私はあまり詳しくはない。日本舞踊は習っていた。能楽もちょっと習った。フルートもちょっとやった。中学の頃は深夜放送も聞いた。クラシック音楽も好きだ。一番好きなのはクラシック音楽だ。次が長唄、とくる。しかし詳しくはない。今ではどれもほとんど聴かない。それで小説の細部として取り入れることもない。なんか邪道な気がする。私は小説書きの代わりに絵描きを持ってくることがよくある。それは擬態だからしょうがない。細部ではない。

 12月10日に投稿した作は、去年書いたものだった。手を入れて再度出した。同じところではない。しかし題名は変えなかった。それ以外に考えられなかったからである。私は題名のセンスがないにもかかわらず、その題名には拘った。私は今、尿意を催している。早く書き上げねばならない。最近、東大出の作家が少ないのは、作家業が儲からないからだろうか。松浦寿輝氏はいる。もしプロになれたにしても食べては行けないかもしれない。それほど文筆業の価値は低くなっているのだろうか。しかし私はそんなことは問題にしてはいない。私は書くことが好きなのだ。邪道は許さん、自分には。だから基本的に「ノルウェイの森」も本当は認めたくない。あまり認めてはいないが。笑止である。私ごときが賞を取った作家について書くとは。賞品の万年筆の部分は削ったが、その後で大きな新人賞の副賞が万年筆と明記されるようになった。私の作は読まれていないにもかかわらず。そう、私の影響ではないのだ。

エルサレム、エルサレム

 「この広告は90日間以上更新されていないブログに表示しています」様のことが書かれてあって、その広告というのが、夏頃行った美容室で見た雑誌に載っていた560万円もするエメラルドカットのダイヤモンドの指輪が素敵だったので、帰ってからしばらくして、ネットで検索してみた。するとネットでは桁が違って、30万円以下であるものしか出てこない。そういう訳で自分で種は撒いた訳だが、その広告は、私がネットで検索したものである。ヘンリー王子の婚約者に贈られた指輪とどこか似ているが、もちろん広告の品の方が見劣りはする。しかし私が見た雑誌のダイヤモンドの指輪は素晴らしかった。私はカットのせいだろうか、ダイヤモンドという宝石が好きではなかった。しかしエメラルドカットされたダイヤモンドは素敵である。でも私はエメラルドもサファイヤもルビーも好きではない。もちろんどれも持ってはいない。贈られたこともない。

 ブリリアンカットというものが好きではない。光ればいいというものではない。輝きよりも佇まいである。お相撲を云々する人々ではないが、品格である。ブリリアンカットは品がない。雑誌に載っていたものは台座が24金のようだった。その組み合わせも良かった。普通ダイヤモンドといえば、プラチナか白金の台座が多いようだが、ダイヤモンドのクールさを優しく緩和する、その台座の色味が良かった。月収の3倍が560万円以上の人というのは限られているだろうか。ヘンリー王子ならばちょろいものだろうか。ダイアナ妃ゆかりの品で、ご自身でデザインされたとか。そのお品も中央部分はエメラルドカットに見えたが、見間違いだったろうか。ちょっとゴテゴテした感じには見えたが、王室となればそれぐらいのゴージャス感はあった方がよろしいだろうか。個人的にはシンプルなエメラルドカット一つが好きである。こんなことを宣言しても誰も贈ってはくれないだろうが。

 なぜネットには安めの宝石しか載っていないのだろうか。検索するものを選んでいるのだろうか。そう勘ぐるしかないが、私は検索欄に560万円と入れたにもかかわらずである。ユダヤ系の人々がダイヤモンド市場は握っているようだが、ダイヤモンンド自体の質の良さなども関連しているのだろうか。桁違いにしても30万円以上のはなかなか出てこない。出てきてもゴテゴテしている。私だったら23万円弱ぐらいのアマンで我慢する。それが好みなのである。しかしなぜ高価な宝石は、しわくちゃの婆さんに集まるのだろうか。若い人には似合いそうにもないが。でもそのちょうど真ん中ぐらいの層に、なぜ集まらないのだろうか。イヴァンカさんなら持っているかもしれないし、義理のお母様のメラニア夫人だって持っているかもしれないが。しかしあの人々には品格があるだろうか。エメラルドカットの品格があるだろうか。

 エルサレムは誰のものであろうか。アメリカの福音派の人々ならば、ユダヤ教徒でなくても、イスラエルのものだという意識が隠れているかもしれない。旧約聖書によればコーランもだが、ユダヤ人のものかもしれないが、これを言ってしまったらおしまいなのである。新約聖書ではユダヤの神は世界に開かれた。もちろんユダヤ教も基本的にはそうだが、ドイツ人つまりゲルマン民族の神父が言ったものである、キリスト教はアジア的ですよと。どうもご自分の感覚とは齟齬がありそうだった。私ども日本人は世界を知る必要がある。そのドイツ人の司祭は宣教師ではなく、修道司祭だった。故郷で最初に高校に行った人であり、ドイツでは高校に行った人は自動的に大学進学となる。ドイツの高校は英語と数学に力を入れているそうだ。今80歳代の人だから、今は違ってきているかもしれない。その司祭は大学へは進まず、神学校に母親の手によって売られたと、冗談で言っていた。もちろん、彼の同僚には大学まで行ってから神学校に入って司祭になった人々もいる。

 エルサレムは3つの宗教の聖地であるから、誰のものでもあり誰のものでもないのかもしれない。政治は無宗教に語られがちだが、無論、神は歴史に介入されるかもしれない。トランプ発言は自分の支持層に取り入った感はあるけれど、そういう一つ一つのことが歴史を刻むのである。いいと言っているのではない。悪いと言っているのではない。争いの火種が用意された感もあるが、今後、世界はどうなってゆくのか、イスラム教徒にとっては受難のときだが、エルサレムは空白地帯でもいいのかもしれない。既成事実というものがある。その恩恵に与ってきたものにとっては、変わりたくないだろう。それに、世界はイスラム教徒の立場の擁護をするだろう。それが今までの良心だったからだ。バチカンはローマの司教座である。これもとても政治的である。バロックロココと文化は進んできたけれども、カトリックプロテスタントは仲の悪い兄弟関係から、歩み寄ろうとしている。また日本では仏教とのコラボもある。私たちの隣人は誰だろうか。自分は悪者だと自覚している人々には先が見えるような気がする。ここまでおつきあいいただきありがとうございます。

Twitterくささ

 Twitterなんてあぶくなどやるものかと思っていたけれど、なんの拍子か、つい手を出してしまった。無論、無名人なので、私のつぶやきはあっという間にかき消されてしまう。ホームを見ていると、だんだん眠くなってくる。知らないことが多いからでもある。こういう先端を行くところを追っていると、自分の卑小さが思い知らされる。ある有名な画家がフォロー0というのがおかしかった。フォロワーはさすがに多かったが。突飛だが、五木寛之氏はこういうのはなさらないようなきがするが、どうだろうか。何かネットとは無縁でいらっしゃるような気がしたりしているが、そんなことはあり得ないだろうか。先日たまたまラジオをつけると、五木寛之氏の番組があっていた。藤圭子についての番組だった。私は演歌は嫌いだが、ごくたまに気になる歌はある。藤圭子はもう他界されたが、音楽関係者をはじめとして文化人の面々が、彼女について言葉を献じておられるようだった。音楽として個人的に聴く気はしないが、五木氏がまとめておられる文脈で、合間合間に聴くと面白かった。宇多田ヒカルのお母様なのだよなとか、私などはつい思ってしまうが、五木氏はそのようなことはおっしゃらない。電撃結婚、電撃離婚については軽く触れられただけだったが、私はこのことは彼女にとっては大きなことだったと思う。どうしても当人同士のことではなかったように思われたからだったが、あれはどう考えてもいびつな結婚だった。芸能界というところが個人の域を超えてきて、なだれ込んでくる、そういう気がした。デリケートなことだからあっさり済ませられたのだろうが、彼女も触れられたくない部分だろうか。私がほじくり返すのもなんなので、これ以上書かないが、人の浮沈というものはわからないものである。盛者必衰の理であるかもしれないが、歳をとるごとに円熟する人もいるにはいるが、衰えを醸しながら変化してゆく。一人の人の中でも、あの能力は衰えたが、この能力は伸びているというふうに複雑ではあるが、やはり人も無常の風に吹かれるのだろう。それにしても、何か制作するということは、自分の力を超えたものが働く瞬間を感じることもあるが、私なんぞの作でそう言うのは笑止かもしれない。書いているときは苦しいが、書いた後もまた怪しゅうこそ物狂おしけれであって、スッキリするものではない。悩みは尽きないが、嬉しい瞬間がないとも言えない。ブログだってつぶやきのようなものだが、ブログのように長めに書くのも下手だし、Twitterでつぶやくのも下手だが、時間ばかり取られるこういうものに手を出してしまう自分が信じられない。スマホは絶対にやらない。と思う。ではまた。