マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

途中経過

 ここ5日間ほど、合間に休憩を入れながらか、休憩の合間にかよくわからないが、同人誌の編集作業をしていた。昨日の昼には自分の作の直しも一応済ませ、2方面から来たので、2方面に送り終えた。「ご自分の作品から優先させてください」と書かれてあったが、心理上そうも行かず、愚作は後回しにして、他の方のから見た。先ず、言葉数の少ない詩から見る。しかし、そこでうんうん唸ることになる。詩の編集など私にできるはずもないが、一応見る。素晴らしくいい詩だった。この方の詩で、今まで読んできた限り一番いい詩だと思われた。本気になられたなという気がする。私の所属する同人誌は詩と小説とエッセイの同人誌である。詩は佳い出来だ。エッセイは今のところ2編見た。どちらもその方々らしい、話題豊富なエッセイである。一人の方は、小説を書かれることもあるがエッセイを書かれることもある。元記者という来歴の方で、ジャーナリズムのこぼれ話に花を咲かせたようなお作である。もうお一人は主婦であり、日本料理の師匠について自ら学ばれて、割烹のお店をご自分で持たれた方である。お店は繁盛したようだった。その後、阪神大震災に遭われたのだったが、今は九州の人となられた。今回は関西の香りのする九州でのお話。エッセイも面白い。

 次は小説。同人誌掲載としては長めの150枚からなるお作があった。自分の家と近いが、ちょっと距離を置いて眺めることのできる立場で書かれた一族ものだった。興味深く読んだが、どこから情報を得られたのだろうかと思っていたら、最後の部分で、親戚の話だとわかる。自分の参加できる小説というものは、書き味も軽いものだが、ほぼフィクションということで、想像力を羽ばたかせられたのだろう。実に面白く読ませていただいた。あと短編があった。清く正しいお作で、ユーモアもあるのだが、アクがないので読んですぐに忘れてしまった。が、一所懸命思い出して、思い出した内容を反芻するうちに、そこに価値があるのだろうかなどと思わせるのだった。こき下ろしているわけではない。この方は、世の中の問題と向き合う方である。今回のお作は、日米の先の戦争のわだかまりについて、その問題点を模索する内容である。出てくる人出てくる人、まっとうな人ばかりで目がくらみそうだったが、社会派とは言い切れぬ、叙情をも併せ持った方なので、これも立派なお作。問題は愚作である。問題とも言えない。このところの出来事を同時進行的に書いていたのだったが、世の中は終わらなくとも、小説は終えねばならない。一体、小説と言えるのだろうか。今日のブログはいつもの半分だが、千文字を超えたところで、終わろうかと思う。今の世も遠くない将来終わるのかもしれないが。自分のは逃げの一手だが、ここまでお付き合いくださってありがとうございました。