マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

行き着くところは神様、

 今年も末ごろにあるだろう教会のバザーに出す服を、早々とクリーニングしてしまった。痩せていた頃に買ったはずのレインコートが、太っている今もブカブカである。ピージャケットは小さすぎる。姉からもらった、上等のジャケットもなぜか大きく感じる。それを着たらまるで男みたく見える。以前はそう見えなかったのだが、髪を短くした今はそう見える。髪を伸ばす予定はないし、この3つはバザーに出そうと思っている。レインコートはクリーニングに出す上で、撥水加工もしてもらっている。ニタニユリエである。いずれも良い品だが、合わなくなっているので、お譲りしようと思っている。男みたく見えるというのは、そのジャケットを着たときばかりではない。どんな服を着ていても、去年の4月ごろインタビューを受けたときに、写真が必要だったのだが、私が構えると、「どうも、ボーイッシュに見える」と文芸ジャーナリストはのたまわる。2度目にお会いしたときには、少しでも女らしく見えるようにと、赤い服を着た。それでも白黒写真だと思っていたら、カラー写真だった。書斎が一番いいのだがとおっしゃったが、私の部屋は書斎と呼ぶには、貫禄がない。それにうっすらと埃が積もっているし、何せ4畳半なので、ところ狭しである。この中に約1500冊の本があり、タンスがあり、もちろん机と椅子もある。低いおんぼろソファまである。汚いのは私の部屋だけではない。築45年の我が家はどこも汚い。自室にたどり着くまで、汚い廊下と階段を通ることになる。いつもはそんな家にしがみついている私であるが、見られたくないばかりに遠藤周作記念文学館まで、わざわざ行った。スコセッシ監督による「沈黙」が映画化されたとの情報が流れたのは、そのちょっと後である。遠藤周作の記念の年だったらしく、もうすぐ記念の行事がある様子だった。私がカトリックであることを知ったその御仁は、遠藤周作についての何かを聞き出したい様子でもあったが、私はあまり興味はないとの一点張りで通した。実際、あまり興味はない。スコセッシ監督が映画化されたのでまた多く読まれるかもしれないが、私はその機運にも乗らないだろう。しかし、遠藤周作という人は好きだった。テレビを通してしか知らない、いや一度、母校であった彼の講演会を聴きに行ったことがある。彼は「一応売れているのに、自分がその土地に行って何か喋ると、途端に売れなくなる」とか言っていた。私はその講演会に遅れ気味に行ったのだったが、私が席を探している様子を見て、にんまり笑ったような気がした。その人がもういないのだ。しかし、彼は死んでしまってはいないようだ。彼の存在感はしかとある。彼の文学館は外海地区に寂しく建っている。風に吹かれている。それでいいのだろう。私はカトリックとは無縁のものを書き続けるかもしれないだろうが、ふざけた小説まがいである。

 今度の文学賞に落選して、自分で梗概を書いたものはなくなった。書くべきものも書かなかった気もするが。ともかく落選した。勝負は2か月後である。私は自分で書いたものの梗概が書けない。そんなに短くできるものならば、長く書く必要もないではないか。私は本能的に書いているので、なおさら梗概は書けない。私は着地点を知らないまま書くのが好きである。それから調べないで書くのが好きである。ただのデタラメかもしれないが、最低限しか調べない。事実とは異なったことを書いているかもしれない。しかし私の作はもともと創作である。人様にお尋ねして書いても良かったものを、その労を取らないで書いたこともある。ただのズボラである。しかし、自分自身の身に起こったことは、ちゃんと裏を取ってある。私にしかわからないが。それにしても、こんな私のような小さな存在が大きな企業に影響を及ぼす。なんだか空恐ろしような気もする。ペンの力はやはり大きなものらしい。ペンの力は書いたものの力によるものだろう。ペンそのものに力があるのではないからには。私にも力があるのだろうか。波紋なら何回も投げかけた。しかし文学として評価されることはなかった。私は直木三十五賞が欲しい。芥川賞は年寄りの私には向かないような気がする。それに内容的にも、向かないような気がする。なにを寝ぼけた戯言をと思われるかもしれない。賞には無縁の私である。今、朝日新聞では吉田修一氏の小説が連載されている。この方とは同郷である。同じ新聞の同じシリーズに載った。しかし私はこの方のような才能もなければ、探索力もない。私は図書館学を学んだが、図書館でうまく資料を探せない。私の探そうとするものは特殊なせいか、ヒットしないのである。キーワードで探して借りて読んでも、すかされる。やはり人様とのつながりも必要なのだろう。本ばかりが相手ではない。取材するにはある程度の、認知度がなければならないかもしれないが、私の場合、教会の神父様にお尋ねすれば良かったものを、それさえしなかった。そのことを知っておられるような神父様がまだお一人いらっしゃる。いずれお尋ねしたい気がしている。だがだいぶあとになるだろう。30年ぐらい前まではラテン語でミサがなされていたようであるが、地域と時代によって異なるそうである。その違いが知りたい。長崎で当たり前でも、全国ではどうだか知らない。私の家はもともと仏教なので、その辺り訊く人がいない。先祖代々の信者さんが多いこの地域で私は異色の存在だが、結婚のために、それを通して洗礼に至る方も多いようである。最近はあまりそういう方も見かけないが、結婚講座は開かれている。2、3か月後にはなにが待ち受けているのだろうか。私には縁の薄い事柄ばかりだが、世間では日常的に起こっていることである。異宗婚というものは寂しいものである。私は結婚していないが、私の家族は同じ宗教ではない。それでもぶつかることはないが、一人で教会へ向かうのは寂しいものである。カトリックの方はよくご一家で信仰を持たれる。それがいいあり方のような気がする。無論、信教の自由があるので、他宗教の人と結婚しても、家族の中で信仰が違っても構わないのだが。私は神棚の水も変えれば、仏壇にご飯も供える。さすがにお参りはしないが。しかし親戚の仏壇にはお参りする。それは日本の風習だからである。ご都合主義かもしれないが、自分では柔軟性があると思っている。信仰は秘められた中にあり、公にされる。ここまでお付き合いくださってありがとうございました。