マリーゴールドの現実

「幻惑」から「現実」へ

伊藤整の仕事

 伊藤整の「小説の方法」をやっとまともに読んでいる。まだ3章までしか読んではないが、今度は読み通せそうだ。古い文庫本で、昭和55年ぐらいに買っているようだ。38年ぐらい前の話である。私は読者として関心を持つと同時に、微かに、自分にも小説まがいが書けないものかという意識を持っていた。文章読本なる体裁の本なら、いくつか持っていた。福田恆存谷崎潤一郎中村真一郎、などである。しかし伊藤整のはただの文章読本ではない。もちろん日本文学科の学生として、持っていた感は否めないが、当時から理解不能だったにもかかわらず、野望を抱いていたことは認めねばなるまい。彼が問題にしている作品を、読んですらいなかったことも、理解できなかったことの理由として大きい。世界の名だたる本だが、まだその頃読んではいなかったものが多かった。名作とういうものは、人を広い意味で幸せにしてくれる。何事か起こるわけではないが、セルバンテスの「ドン・キホーテ」を読んだときには、特にそう感じた。ゲーテの「ファウスト」もそうだ。心の中では何事か起こったのかもしれない。広い世間を見せてもらったという気もする。広い世間というより、深い世間というべきだろうか、世間という言葉はふさわしいだろうか。ドン・キホーテ郷士だから限りなく庶民に近い。ファウストは老学者だったが、若返って若い娘と恋をする。また、ヘレナやイゾルテのような女性とも恋をする。ヘレニズム系やゲルマン系を意識しながらヘブライに囚われ、大きくはヘブライに準じている。若い娘グレートヒェンの救いを、ファウストの罪を贖わねばならなかった。伊藤整は日本人としてキリスト教に囚われない幸福と、残気を持っていたようだが、近代人として西欧諸国の文学作品を理解するにもちろんやぶさかではない。彼は西欧の文芸批評にも通じていたようだし、翻訳もしていることは有名だが、実作者として思うところ大だったようである。彼が単純に日本の「竹取物語」「源氏物語」や、「枕草子」「徒然草」を西欧の小説などと同列には置かないことは、そこにキリスト教の影がないからだろう。アウグスティヌスの「懺悔録」、ルソーの「懺悔録」の文学的意義は、神の前ではなく、一人で書かれ、一人で読まれることを意識して書かれたと言う。古代のあるいはサロンの文化の花開いた時期には、多くの人々の前で発表されるという、作者も視聴者も同時にそこにいて供されるというのとは自ずと違ったものになってゆくのだろう。しかし伊藤整カフカを論じない。カフカは友人間で朗読しあって作品を発表した。十分印刷技術のあった時代の人だったが、死後発表することは禁じていたにも関わらず、その遺言は破られて、今、私共はその恩恵に浴しているわけである。伊藤整が1900年代の半ばを生きた人であるからには、カフカを知っていてもおかしくないのだが、彼の関心はジョイスの「フィネガンズウェイク」などにある。多分、原典で読んだのだろうが、伊藤整の語学力には敬服するものである。私は自分の母語しかできないで、かりそめにも書いているが、それというのは書く上で大きな損失だろう。伊藤整は自分のチャタレー裁判の成り行きを小説化したりもしているが、私の家のどこかに文庫本でロレンスの「チャタレー夫人の恋人」があったのを読もうとして読めなかった。私には読もうとして読めない本がたくさんある。少しづつ切り崩していってはいるが、昔読めなかった本が読めるようになるとうのは嬉しものである。さしあたって今は「チャタレー夫人の恋人」にはあまり興味はないが、彼のこういう「小説の方法」のような批評的文章には興味がないでもない。だからこうやって読んでもいる。しかし小説も少ししか読んでいない。奇しくも伊藤整と同じ学歴の助教授の秘書的バイトをやったことがあって、その先生は多分、東大が入学試験を見送った年の受験生で、家計の都合上、小樽商大に行かれたのだろうと想像される。大学院はそれも伊藤整と同じ、一橋大学である。小樽商大には「蟹工船」の著者小林多喜二も在学している。ずいぶん毛色は違っているが。小樽商大は侮れない大学だ。まあ、学歴はともかく、東大以外の作家の学歴となると、どこだろうとなるのは自然の成り行きだろうか。それにしても、作家業はあまり儲からないのだろうか、最近東大出の作家をほとんど知らない。私はお二人ばかりお名前を知っているが、東大出だから読もうとは思わないのは当然だ。かくいう私は人を知らないし、ものを知らない。私の知らない人で優れた人は多いのだろう。「フィネガンズウェイク」の翻訳まである日本だが、実はこれもまだ読めていない。私が読めないのは当然だろうが、島崎藤村の「夜明け前」は読んでいるので、書き始めてからはまだ手に取っていないので、「フィネガンズウェイク」もそのうち読めるかもしれない。私は知らないことには全く手が出ない方で、どこかしら自分に何かの端緒が見つかれば読める質なので、歳をとった分読める可能性は出てくる。でももしかしたら失ったものもあるかもしれないのだが。語学力がないというのは、書く上で大きな損失である。日本の近代の作家の牽引役である、漱石と鴎外がお城に住んだり馬に乗って狩りをしたりする姿は想像できないが、と伊藤整は書いているが、漱石も鴎外も近代文学者としては立派な仕事をしていたが、貴族などではなかったので、それがまた漱石の神経衰弱の発端ともなったかもしれない。イギリスでの窮乏生活は相当こたえたようである。鴎外は軍の方なのでさほど困らなかったようだが、漱石は文部省の派遣留学生だったから貧窮にあえいだようだ。鴎外は「普請中」の日本を背負っていたのだろうか。彼の史伝は立派なものかもしれないが、いわゆる創作は「舞姫」など一連の小説は文語で書かれており、彼はわざとそうしたようだが、そうう文体で書くものの内容を次第に失っていったのではないだろうか。集英社近代文学全集は伊藤整も編集に名を連ねており、森鴎外の冊は2冊あるのだが彼らの選んだ鴎外の作はよく知られたものも多いが、書くものがないといった作品まで選んである。漱石近代文学者として一応一定の水準を保ち今に残るが、鴎外は近代文学者としてはちょっと物足りない気はするが、彼の近代日本語に対する貢献は大きかったようだ。冊子上で文芸批評をしたのも新しかった。いわゆる三人冗語である。一葉を見出したのも大きい。話は逸れたが、伊藤整も日本文学の行く末を案じただろうか。彼は日本語そのものより日本文学環境を案じたような気がする。外国語のできない私は一面的な見方しかできない。日本語で書いている私は外国の方々にまで届くだろうか。日本語でしか書けない私は、人間の普遍に迫ることができるだろうか。おしなべて文学それ自体裾野を広げてきているようだが、いろいろと書く人は多いから、多様であるのかもしれない現代であるが、私本人は日本だけを意識しているわけではない。一応外国を舞台にして書いてもいるのは、単なる趣味ではない。かく言う私は外国へ行ったことがない。だから書く資格はないだろうか。私は全くそうとは言えない気がする。インターネットでつながっている時代である。テレビで世界の風景を見ることもできる。人間の普遍と個に迫りたい。私の書いたものを好んでくださる方がいらっしゃれば、どこの国の方だって構わない。伊藤整は私のような世代の知る、最後の日本的個にこだわる多才な人だったかもしれない。日本の中での文学事情について云々した人だろうか。外国語のできない私が言うのもなんだが、今でももちろんそれは看過される問題ではないが、価値あるものは国境を超えるだろう。ここまでお付き合いくださりありがとうございます。